橘諸兄の墓
うちの近所に久米田池という大きな池があるんだけど池のきわには大きな道路が通ってないので、もう10年以上久米田池を見たことがなかったんよね。なんとはなしにカーナビを見てたら、ちょっと曲がるだけで池に出るのが分かったので、ヒョイとハンドルを切って池のはたに出てみたんだ。というのがね、カーナビってのは地図だから上から俯瞰した絵が見えるわけだから大きな池なんかがあると画面上に水色の広がりが出てきたりして、実際の景色とイメージが違ったりするんよね。だから大きな池の近くを通ったりすると気になっちまうんよ。で、池のはたに出てみたら、まぁ、こんなに綺麗に整備されててびっくりしたよ!↓どの写真もクリックすると大きくなるよ。でね、この写真のちょうど中央付近になるんだけど多宝塔の相輪のようなものが見えたんだ。←その部分をトリミングして大きくした写真がこれ。”これは立派な寺なんやないのん!”と思ってカーナビで、そのあたりをアップにして見たら「久米田寺」と書いてある。で、池沿いに近づいてみた。ほら!立派なお寺みたいでしょ!でね、カーナビをよく見ると、この久米田寺のすぐ西隣に妙な書き込みを見つけたんだ。「諸兄塚」って書いてある。”諸兄塚って、もしかして橘諸兄(たちばなのもろえ)のお墓?”ってすぐに思いついたんよ!橘諸兄というのは、孝謙・称徳天皇の時代に最高権力者の左大臣にまで上り詰めたけど、藤原仲麻呂によって失脚させられた人物なんだ。ちなみに橘諸兄の母親は県犬飼橘三千代の子で、三千代は諸兄を生んだのちに藤原不比等の奥さんになったから、諸兄は不比等の義理の息子ってことにもなるんよ。この辺のことは里中満智子さんの『女帝の手記』を読んだばかりだから、新しい記憶として残ってたんだよね。で、これは行ってみなくちゃと思って久米田寺の西側にまわってみた。ほら~!立派な古墳っぽいでしょう!こんなふうに、お堀をこえるように道がついてる。なんの書き込みもないし扉もないので、これが古墳がどうかも分からないけど入ってみると墳丘のような感じではある。てっぺんに三角点があった。でも、なんとなく前方後円墳っぽかったので前方部の端から後円部方向を写した。で古墳の周りをうろうろうろうろしたのだけれど、説明文など、この場所の意味に関して知るべき文字は一切なかったんだ。ここが橘諸兄の墓なのかどうかは現地では確認できなかったんだけど、岸和田市のホームページで確認することができたよ↓http://www.city.kishiwada.osaka.jp/soshiki/3/kaihukiyama.htmlで、久米田寺とその左に諸兄塚が入ってる地図を載せるので、ちょっと見てやって↓右下の水色が久米田池。その左上のかなり広い地域に久米田寺の寺域がある。その左側にあるのが諸兄塚なんだけど、これをジィーっと見てたら前方後円墳に見えてきたんだ。その見えてきたところに赤線を入れてみた↓ねっ、周りの道とか、お掘のきわに赤い線を入れてみたら前方後円墳みたくなったでしょ!見ようによっちゃぁオバQみたいでもあるんだけどね(^。^)