『その時、歴史が動いた』双方向企画 歴史の選択 邪馬台国はどこか ~近畿説 VS 九州説~
水曜の『その時、歴史が動いた』のビデオをやっと見た。松平定知アナウンサーが近畿説、上田早苗アナウンサーが九州説を主張するかたちで、視聴者が、地デジと携帯で、どちらを支持するかを投票するって趣向なんよね。超簡単に、内容を説明するとね、九州説は、2世紀から3世紀の時代に圧倒的な鉄の武力を持ってたことと、佐賀県の吉野ヶ里遺跡の実際の形態が魏志倭人伝の邪馬台国の記述と合致してること、それと「東征神話」にある、九州から近畿への「やまと王権」の移動のことをあげていた。近畿説は、魏から下賜された銅鏡という権威を持ってたことと、魏志倭人伝の中に「女王卑弥呼を共立」という記述があることから、「共立」という部分に着目して、奈良県桜井市の纏向遺跡が各地の文化を集積したような形跡があることをもってして、「各地の勢力の共立国家」ではなかったのかということを論拠としてた。で、番組最後のどちらを支持するかの集計結果は、近畿説 21,102人九州説 35,087人で、九州説がかなり優勢だった。面白かったのは、近畿の視聴者と、九州の視聴者を別々に集計した結果なんよ。近畿の視聴者の集計結果は、近畿説 7,499人九州説 4,028人九州の視聴者の集計結果は、近畿説 527人九州説 7,506人ねっ、面白いでしょ(^。^)みんな自分の住んでるところに邪馬台国にあって欲しいんだよ!(^^)番組のエンディングには、「邪馬台国、沖縄説」や「邪馬台国、四国説」をとなえてられる方も紹介されてたけど、どれも遺跡をあげられて、主張されてるんよね。結局、発掘調査によって、邪馬台国の比定地を推定するしかないのだろうけど、僕にはそれは無理じゃないかと思うんよね。前に書いたうちの近所の「いずみの高殿」なんかは邪馬台国より300年も前の遺跡だけど、あんなに巨大な建造物がすでに出来てたわけだし、邪馬台国の時代には、それ級の規模の遺跡は日本中から出てくるかもしれない。つまり、それだけのものを建設する技術力も、人を動員する政治力も、日本各地に別個にすでに存在してたようなんだもん。江戸時代に、「漢委奴國王」の金印が志賀島から発見されたのは有名だよね。いつの日か卑弥呼が魏からもらった「親魏倭王」の金印が出土するかもしれない。いつか「親魏倭王」の金印が出土する、その時までは「おらが町こそ邪馬台国」って、みんなが思ってたらいいと思う(^。^)人はそれぞれ好みがあるから、人に本を薦めたことってあんまりないんだけど邪馬台国がらみの本で超面白かった本がある。一度騙されたと思って読んでみてください。邪馬台国はどこですか? 創元推理文庫鯨統一郎