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テーマ:受験シーズン(578)
カテゴリ:テスト
わたしは古い時代の受験生なので、
(統一模試よりも前です・・・トシがばれるw) そのころの英文解釈の問題といえば、長文といっても今ほど 長くはなくて、ただし、こねくりまわしたような英文の一部を 「下線部を訳せ」というのが多かった。 特に国立のT大学、私立のW大学の問題なんか、クイズか パズルを解くような快感(?)があったものでした。 (はい、ここで、「あ used to be を使うんだな」 とか思ってしまったあなた!あなたは立派な受験生です。) 最近の長文読解は、センター英語式とでもいうのでしょうか、 内容はシンプルで構文もそれほど難しくないが、けっこう長い 長文を短時間にいくつも解く、という流れが多くなっていると 思います。 これは、インターネットでの情報検索が大切なスキルである 現代に一番求められている英語の使い方だという点で、良い 傾向だと思います。 (ついでに言えば、同時に求められている「要旨のはっきりした 短い英文を、短時間にたくさん書く」というスキルを試す問題が もっとあってもいいですよね。) その一方で、超難解な英語長文を出題する大学もたくさんあります。 きのう、高2の生徒が質問に来ました。学校の期末テストに向けて 長文を読んでいるのですが、学校の先生の解説を聞き、日本語訳を ノートに書き写してきたにもかかわらず、 「何を言っているのか、さっぱり解らないんですぅ・・・><」 その長文というのが、単語も難しい、構文も複雑な上に、内容 そのものが難解!という、ため息の出るような素晴らしいもの でした。 高校2年生の生徒にこんな内容の英文を読んで、何かを感じろと 言うほうが無理だと思うんだけどなぁ・・・つまり、 「人間が人生最大の避けられない運命(たぶん「死」のこと)に 直面したときこそが、人間性における最大の美徳(たぶん 「精神力」のこと)を発揮する最も輝かしい一瞬であることを 考えると(そんなの考えられる年齢じゃないでしょ・・・)、 ただ単に欲望のみに突き動かされて生きている生物(犬とか 豚とか言いたいわけ?)と一線を画している存在に創られた ことを(キリスト教的にはそうなんでしょうね)、誇りに 思わずにはいられない。(勝手に誇れ・・・)」 みたいな英文です(笑) いや、笑ってはいられないんですね。実際に某K大学で出題された 英文なんですから。 「先生、これくらい読めないといけないんですか?」 「どこを受験するかによるけどねぇ・・・これがスラスラ読めたら、 京大とか東大とか入れるレベルだよね。」 「読めなくてもいいんですか?」 「読めなくていい、というより、これを読むのに使う時間を、 ほかのことに使ったほうがいいと思うな。」 「世界史の勉強しようかな・・・」 「うん、そのほうがいいと思うよ」 付け加えますと、世界史を始めたその生徒から、わたしは先ほどの 長文読解の問題文を借りて、大変興味深く読みました。 「死に直面したときにこそ、その人の人間性が明らかになる」 という趣旨のその評論文は、正直、とても面白いものでした。 わたしのような年齢の者にとっては、です。 この英文を高校生に「興味深く理解」してもらおうと思ったら、 5~6時間の講義が必要ですよね。哲学、文学、倫理学、日本史、 キリスト教史、国際文化比較、その他の周辺知識と関連付ければ、 すっごく面白い話になるだろうなぁ。 (わたしにはとてもできない・・・) でも、そこにいるのは、あさっての期末テストの勉強している 高2の生徒なわけです。 大学の先生にお願いしたい。 自分が読んで面白いからといって、それが高校生相手に出題する 長文としてふさわしいとは限らないと思うのですよ。 こうやって、英語嫌い、評論文嫌いを製造しているのは、もったい ないことだと思うのは、わたし一人ではないと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年05月18日 14時13分27秒
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