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テーマ:塾の先生のページ(7842)
カテゴリ:テスト
私立高校2年の女の子。
授業での反応はなかなか良いし、夏休みにはがんばっていたから、そろそろ伸びてくると楽しみにしていたのだけれど、ここへ来て、「もう英語はダメだ・・・」と落ち込んでいる。 英語のどこが、どうダメなのか・・・それをはっきりさせないと対策は立てられないから、あれこれと質問していくと、学校で読んでいる英語の長文がさっぱりわからないのが原因らしい。 では、長文のどこが、どう解らないのか・・・とつきつめていくと、「日本語に訳してもらっても、やっぱり解らない」と言う。(う~~む、これは一筋縄ではいかないナ) わたしに言わせれば、学校の教師の教材選定が間違っているとしか思えない。使っている長文の教材は、難関私立大の入試問題ばかりで、内容が抽象的すぎて面白くもなんともない。高2にこんなものを読ませるのは、英語嫌いにさせるためかと問いたくなる。 でも、文句を言っても始まらない。なぜ解らないのか、というのをつきつめていくと、国語力・読解力そのものが足りない、というところに行き着いてしまう。 「あなたは高2なんだから、今ならまだ間に合う。まずは日本語の評論文をもっともっと読んで読解力を養おうよ。新聞は読んでる?コラムとか読むと・・・」 「社説なら、毎日読んでます。切り抜いてノートに貼って・・・」 「それから?」 「時間がある日は、要約文を書いて・・・」 「それから?」 「えっと、それだけです。」 「せっかくそこまでしてるんだったら、それを元に、誰かと話をするといいんだけどな」 「話?」 「今日の社説にこんなこと書いてあったけど、お母さんはどう思う?わたしはそう思わないとか、そんな話を。」 「あ、無理です。そういう家庭環境じゃないです。」 (う~~ん、こうもあっさり否定されると、どう言っていいのかわからない) 「じゃ、友達は?」 「読んでる人、いないと思う。」 「しょうがないなぁ、じゃ、わたしが相手になろうじゃないの(笑)」 とまあ、そんな話になったのだけれど、それにつけても思うのは、家庭での会話というのはどうなっているのだろうということ。 テレビを一緒に見て、ニュースやドラマのあれこれを家族が語り合うということは無いのだろうか?別に世界の情勢を論じたりとか、人生を語ったりとか、そういうことじゃなくて、何気ない家族の会話というものも、今は期待できないのだろうか? <国語力・読解力の不足>という言い方をしたけれど、実はもっともっと根本的な力、言葉を使って家族や友達と心を通わせるという力そのものが不足しているような気がしてならない。 国語の教科書を読んでも、英語の長文を読んでも、それが言葉で書かれているのだったら「そこに書いてあるものは何か、作者が言いたいことは何なのか」を感じようとして精神が働くものだと思う。それが自然な心の働きだと思うのだけれど、高校生の多くが、その働きが弱すぎるのではないか。 そして、塾の教師という立場で、いったい何をしたらいいのか、途方にくれてしまう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年10月30日 00時57分11秒
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