ユーラシア大陸とわたしの教育観
■ユーラシア大陸とわたしの教育観24のとき、私は中国からイタリアまで、ユーラシア大陸をバスと列車のみで横断した経験があります。大学で建築学を学び、22で大学を卒業した私は、家庭の事情により地元の学習塾に就職することになります。しかしどうしても設計の仕事をあきらめきれず、2年間勤めた学習塾をやめ、ふたたび設計の道をめざすことにしたのです。しかし普通の設計士では意味がない、何か特徴的なもの、人にはない経験や視点が必要だと考えた私は、海外に出ていろんなものを見て吸収しようと考えました。そこで考えたのがユーラシア大陸の横断旅行です。私は、世界各地でさまざまな住居や商業施設、博物館や美術館、街並みや文化にふれることで設計のアイデアをメモし写真におさめながら、絹の道シルクロードに沿って中国、パキスタン、イラン、トルコ、そしてヨーロッパを見て回りました。そんなある日、ドイツ・ベルリンの街を散策している途中、私はある建築物に出会います。この建築との出会いが、私の人生を変えるのです。その建築の名は「ユダヤ博物館」。私はユダヤ博物館を体験したその日、設計士になる夢をあっさりあきらめてしまうのです。ユダヤ系アメリカ人建築家、ダニエル・リベスキンドが設計したこのユダヤ博物館。見た目はアヴァンギャルドな建築なのですが、その場に踏み込み、自分の目と足で体験したとたん、その本当の姿が立ち現れてきます。ユダヤ人の歴史や文化、そして苦悩や悲壮感を建築自体が表現し、さらに訪問者にじかに訴えかけてくる力があるのです。こんな建築がこの世界には存在するんだと。こんなものを設計できる人間がいるのかと。私はこのとき設計への夢をあきらめたのです。■設計の道の後に見えてきたものしかし、この経験はいま思い返すと、私の設計に対する思い入れ(あるいは情熱)の小ささを示すよいエピソードだと思っています。そもそも私が設計を志した理由は自分の設計したものがあとあとまで残る。そんな自己満足的な理由からでした。しかし、本来設計士の仕事というのは、たとえばそれが住宅設計であれば、そこに暮らす家族が安全で安心して住むことができることが最低条件。さらに「住む人にとっての」理想の住まい、夢、趣味、ライフスタイルを設計者が予算内でいかに実現できるか。まさに「劇的ビフォアアフター」で見られるような施主に驚きと感動を与える設計こそが本来の設計士の仕事なのです。一般に設計という仕事はアート的要素が高いクリエイティブな職業だと言われています。しかし実際は、非常に高度なコミュニケーション能力と様々なことに精通した強靱な知識がないとつとまらない非常に高度な知的職業なのです。閑話休題。話を戻しましょう。ユダヤ博物館を見て、設計の仕事をあきらめた当時の私ですが、いま、こうして自分がたどってきた道のりを振り返ってみると、本当は旅を続けながら、「おまえの行く道は、建築じゃない」そんなきっかけをどこかで探していたように思うのです。それまで塾講師として多くの子どもたちと接してきたためか、旅行中どこに行っても自然とその国の子どもたちに目がとまりました。学校があれば教室の様子をのぞいてみたり外国の子どもたちと一緒に遊んだりもしました。そうして世界の子どもたちの姿を見、接する中で、ある日、こんなことに気づくのです。「子どもこそが、その国をうつす鏡」世界にはじつにいろんな子どもたちがいました。学校の教室で、満面の笑顔で楽しそうに授業を受ける子どもたち。かたや、学校へ行けずに毎日店番をする子どもたち。生きていくために旅行者相手にお金をだまし取ろうとする少年。教育の機会がないばかりに、貧しさが貧しさを呼ぶ。そんな現状をいくつも見てきました。私は教育の大切さを身をもって体験することでちょっと大げさかも知れませんが、「教育こそが、世界を変える一歩になる」その考えに至ったのです。■雑多な経験が与えるもの教育は、建築のように目に見える形で残るような仕事ではありません。そしてこちら側の思い通りにならないことも多々あります。けれども確実に、その子の中に将来につながる「何か」を残してくれるものだと信じています。アインシュタインは、「教育とは、学校で習ったことをすべて忘れた後に残っているもの」と言っていますが、まさにそうした心に残るものをよりたくさん残すことが教育のもっとも重要な部分だと私は考えています。そしてこれは一生、その人の中に残り続けるものです。私はこの教育の仕事に携われることに大きな誇りとやりがいを感じています。言葉にするのは、ちょっと照れくさいですが、何より、私はこの仕事が好きなのです。私は教育一筋ウン十年といった類の人間ではありません。ホワイトカラー的な仕事だけでなく、ブルーカラー的な仕事も経験しました。法人営業、飛び込み営業、拠点長、会社経営者。建築現場作業員、工場の現場作業員、飲食店(調理・ホール)。そして、塾講師、家庭教師、個別指導講師。どちらかというと、教育関係者の間では一風変わった存在かも知れません。しかし、こうした雑多な経験を積んだからこそ伝えられることもあると思いますし、こうした人間がひとりくらいいてもいいのではないかと思います。私はこれからも教育を通して子どもたちの学習支援をしていくことでしょう。これを読んでいるあなたのお子さんにも、大切な「何か」を残せたら嬉しいなぁと思います。それでは、また次回。今日も最後まで読んでくれてありがとうございます。坂本七郎