山本文緒著「無人島のふたり 120日以上生きなくちゃ日記」を読みました。
昨日のブログにコメントありがとうございました。こちらにはあちこちの葬祭センターがありますが、昨日行ったのは一番大きな葬祭センターです。私の行っている大学病院とも提携しています。今までも何回かイベントがあって私だけ説明会に行ったことがありました。母は前回写真を予約していましたが、体調が悪くて行けませんでしたので今回は行けて良かったです。会場がたくさんあるので同じ駅前の会場でイベントがあるのは半年以上先になるという事でした。父の葬儀の時にこの葬祭センターのお世話になりました。その後再び会員になり10年積み立ててもう満期になっています。最近は10年積み立てずに一括で払う事も出来たり、葬儀用の保険も出来たようです。会員になると割安になり、イベントに参加するとポイントがもらえたり、近くのレストランの割引もしてもらえますので入っていて良かったと思います。セミナーに来ている人は高齢者が多いですが、思っていたより多いなと思いました。それだけ皆さん終活には関心があると思います。エンディングノートももらえたので良かったです。早いうちに書いておくと家族も困らないのではと思います。山本文緒さんの「無人島のふたり」が文庫本になったのを知ってさっそく買って読みました。山本文緒さんは2021年10月に58歳で亡くなられました。今まで書かれた本は読んでいなかったのですが、58歳という若さで亡くなられたので気になりました。この本は2021年4月に突然すい臓がんと診断されてその時ステージ4bで治療法がなく緩和ケアに進むことに決めた5月から書かれた日記です。最初は胃が変だったのですが、2020年の終わりにテレビ番組に出る仕事があって緊張したせいだと思っていたそうでした。年が明けると又痛みと胸やけが続くようになってまず予約していた人間ドックをやったそうでした。その結果イレウス疑いになっていて近所の総合病院で造影剤入りCTで検査して異常がなく腫瘍マーカーも心配ないと言われて胃カメラをやっても慢性胃炎となったそうでした。その後薬を飲んで様子を見ていてもあまり良くならず背中の方まで痛くて夜中に目が覚めるようになり急患で診てもらって再度血液検査をしたらr-GTP,が1000を超えていたそうでMRI検査で胆管が詰まっているようだとわかり、大きな病院医紹介されたそうでした。そこでいろいろな検査をしてすい臓がんだとわかり、腫瘍の位置が悪いので手術は出来ず転移もあり、抗がん剤しか治療法がなく抗がん剤でも進行を遅らせるだけだと言われたそうでした。毎年人間ドックを受けていたのに急に言われて呆然としたけれどもすぐに抗がん剤の治療を始めたそうでした。それが副作用が強く化学療法はしないと決めて緩和ケアをお願いしたそうでした。余命も半年と言われたそうでした。その後セカンドオピニオンで築地の国立がん研究センターに行ってほとんど前の病院と同じ所見で余命4ヶ月と言われたそうでした。そんな心境を夫婦二人が無人島の取り残されたようだと例えて、日記に書き残そうとしたそうでした。この日記では読者のことを考えて詳しい薬や治療の事は書かなかったそうでした。その日の体調についてや会った人の事や仕事については書かれています。解説で角田光代さんは闘病記はたくさんあるけれどもたいてい書き手に読み手が寄り添う物なのに、この「無人島のふたり」では反対に書き手が読み手に寄り添っていると書いています。読み手が負担にならないように、ユーモアを交えて、自分がいなくなることを申しわけなく思い、「つらい話をここまで読んでくださり、ありがとうございました。」とつづっている気遣いが素晴らしく思いました。山本文緒さんは最後まで入院せず軽井沢の自宅で訪問介護を受けて過ごしました。日記も9月21日まではよく頑張って書かれているなと思いました。亡くなる前10月4日にはもうこの日記の二次会もおしまいになる気がしていると書きながらも、「今日はここまでとさせてください。明日また書けましたら明日。」とまだ書けたら書きたかったという気持ちが伝わってきました。詳しい病状や使われた薬までは書かれていませんが、がんの末期がどう経過していくのかがよくわかりました。亡くなられたことは残念ですが、残された小説を読んでいきたいと思いました。興味のある方は是非読んでみてください。