介護入門/モブ・ノリオ
『それから』を読み終え、漱石読みも一段落。セリーヌに行く前に軽く一冊、という流れ。のつもりだったのだが、あまり小説を読んだという気にはならなかった。むしろ、福祉現場の係長級医師だった、関なおみという人の書いた「時間の止まった家 「要介護」の現場から」(光文社新書)を読んだ方からの流れ。医師の眼ではなく、肉親を介護する人の眼から書き起こされるものを読みたかったのだ、と、後付けで思う。 その点でいえば満足出来たともいえる。チューブに取り囲まれて意識のない祖母を、生の側へ引き戻そうと、人の目を気にせず懸命に声を掛け、身体を擦り、祖母の眼に反応を見出すところや、介護の苦しさと、そこに見出せる喜び、それらは文句なく良い話であるし、胸を打つところがあった。 しかし、いらないものが多すぎる。主人公のマリファナ体験や、マイナー音楽談義、社会や大衆への悪罵、それら全てつまらないのに、量は多い。同じ罵倒でも、身近な叔母へのそれは、根のあるしっかりしたものであるのに、対象が広がると途端に力を失う。何ら魅力を感じないそれらのせいで、熱心な介護体験以外あまり読んだ気にならなかった。 ただ、序盤にはなかなかいい文章もあり、ラップ調だの某賞だのに目眩ましされず、割と地力のある人なんだなあと感じさせるところもあった。そこは好き。特に祖父とのエピソード。百姓の倅故毒草に負けてはいかんと親から漆の汁をコップで飲まされ、幼き祖父はそのせいで体中が蚯蚓腫れに赤く腫れあがり一週間床に臥せりはしたが、お陰であらゆる毒草毒虫への耐性を備えた土人として、その蛮行の数々を俺の記憶に強烈に焼き付けた。キンチョール丸ごと一本分と引き替えにビーチボール大の蜂の巣をヤマから獲り帰り、その晩は家族で蜂の子を食べた。『食べてみると、ドブの味がしました』当時ガキだった俺の日記にはそう書かれている。夏の前には、畦道で見つけた蝮の首を鎌の刃で貫き、その柄を腰のベルトに差し毒蛇の死骸をぶら下げたまま普段の野良仕事を続けていた。空気銃で鳩を撃ち殺し、俺はその肉をおかずとして喰わされたが、翌日その鳩が向かいの兄ちゃんの伝書鳩と判明し、犯罪者の家族を持った後ろ暗い気分で小学校に通ったこともある。~~~~前栽の梅の古木にしがみつき樹液を啜る蝉どもを尖らせた細い竹の先で突いて殺す、その祖父から見習った蛮行を純粋に殺す快楽のためだけに子供時分から続けた俺の姿が、祖父には土人的生活(ネイティブ・ジャパニーズ・ライフ)の継承を機体させる思わせぶりなそぶりとして映りはしなかっただろうか? 祭りの屋台で、ムシキングの人形が水に浮かべられているのが、大量の虫の水死体に見えて気持ち悪かった。子供の頃はあまり見なかった型抜き屋がいたので何度も挑戦したが、一つも最後まで抜けなかった。社では、昔と変わらない音楽と踊りがゆらゆら揺れていた。 祖父の家の近くで行われる祭りに、入籍した兄と兄嫁の顔見せのために親戚が集まった時、皆と連れ立って行った。昔皆で撮った写真からは一人減り、二人減り、そしてまた一人増え、二人増えた。祖父母と連れ立ってきたこともあっただろうに、どうしても二人とのこの祭りでの思い出が思い出せなかった。前を歩く兄とは、見えてる景品なんて当たりっこのないくじ引きをよくやった。その時貰った景品はその後どうしただろうか。すぐ潰れてしまうものもあったが、そうでもないものもあったはず。やっぱりよく思い出せなかった。父や叔父が、めっきり出店の減ったことを嘆いていた。昔はもっと賑やかで人の多い祭りだったという。そのことは覚えていた。文藝春秋社 2004年