『夜の果ての旅』読書日記 その3
その1その27/30、7/31「死体まで、暑がっているのだ」 上巻288ページまで。とうとう以前途中まで読んだところを越した。一日毎に書くというのはやはり保たず。舞台はアフリカの植民地に移った。暑い。読む方も暑い。昨日、小便撒き散らしながら飛ぶセミ共がうんざりする程いた道には、今日多数のセミの死体が墜ちていた。元気を出した分早く命が燃え尽きたらしい。注意して避けながら自転車を走らせていたが、一度セミの潰れる音がした。 病院で、愛国的負傷者、戦場叙事詩を内に秘めたる者としての演技を学んだバルダミュ。彼の語ることを素にして作られた叙事詩の発表の場で、喝采を受けたのは、バルダミュではなく、包帯だらけのブランドル、彼の演技の師であった。その後偶然ロバンソンと出逢う。友人と一緒に、戦友の死をその母親に語り聞かせ、100フランをたかりに行こうとする時に。残念ながら戦友の母親は、悲しみのあまり自殺していた。ロバンソンにとって、自殺した女は代母であったという。その時はすぐに別れる。退院し、突如アフリカ行きを決意するバルダミュ。しかし船旅の中で、彼は船の連中に目の敵にされ、危うく殺されかけるが、「愛国者的演技」によって危機を回避。船からは脱出、その後植民地入り。商社の平社員として雇われた彼は、現地人との付き合い方を学んだ後、ジャングル奥地の出張所へ旅立つ。前任の者と交替するために。そこにいた、やや錯乱状態の前任者はロバンソンであった。あまりの暑さで頭がうまく働かないため、ロバンソンという名を聞いてもバルダミュはすぐには気付かない。ロバンソンは金だけ持って逃げ出す。やがてバルダミュも、商品と家とを燃やして、現地人に自分を運ばせ、マラリヤ熱に侵されながら、ジャングルから逃げ出す。辿り着いた町で介抱され、命を取り留めるが、そのままガリー船に漕ぎ手として売られるバルダミュ。そこで初めて彼は、ロバンソンに自分から会いたいと願い始める。船はアメリカに着く。夢と希望と女と知り合いの詰まっているはずのアメリカに飛び出したバルダミュ。しかし素寒貧に出来ることなど――。 と、ここまで。ついにこのロバンソンという名前は、以前に出会った或る肉体、物腰、声音までも、僕の前に浮かび上がらせるのだった・・・・・・そしてすっかり眠り込む寸前に、この男の全体像が僕の寝台の前にすっくと立ち上がった、彼の思い出をつかんだのだ、確実にこの男とは言いきれなかったが、まちがいなくあのロバンソンの憶い出を。ほかならぬ、あのフランドルの、ノワルスール=シュル=ラ=リスの男、戦争から逃れるための穴をhつありしてさがしまわった、あの夜のふちで、僕が行動を共にした、そしてその後もう一度パリで・・・・・・一切がよみがえったのだ。幾年もが一挙に退散したのだ。よほど頭をやられていたのにちがいない、これほど苦労するなんて・・・・・・わかってしまった現在、彼の正体を突きとめた現在、僕は心底からふるえ上がらずにはおれなかった。奴のほうでは僕がわかっていたのか? ともかくこちらは奴の正体を会社にばらす気はなかった。「ロバンソン! ロバンソン!」僕は、快活な調子で呼びかけた、まるで朗報を伝えでもするように。「おいったら! おい、ロバンソン!」・・・・・・なんの返事もない。 胸を動悸させ、僕は起き上がった。そしてみぞおちに不意打ちを食らう身構えをした・・・・・・何も起こらなかった。そこで、いくらか大胆になり、手さぐりで室内のむこう端まで危険をおかしてみた、彼が横にあんるのを見定めておいたあたりまで。奴の姿は消えていた。 よく読むと、このロバンソンが本当に、何度も出て来たロバンソンと同一人物なのか、確かなことは書かれていない。雰囲気は全てロバンソンのものではある。また後にはっきりしたことは明かされるだろう。 常に一歩先にいるものとして登場するロバンソン。長くは一緒にいない。このような人、ロバンソン的な人物には、一生の間何度か出逢うものだ。それらを統合して、一人の人間に仕立て上げた人物がロバンソンであるとするなら、この先アメリカでも、バルダミュに先んじて何かをしているロバンソンに出逢うだろう。その後も、その後も、そうして最後は、やはり先にロバンソンが死んで、その後をバルダミュが追うのだろうか。それとも、ロバンソンの死によってようやく、バルダミュは彷徨を終えて、先導者のいない道を歩き出すのだろうか。或いは、死にそうもないロバンソンは永久に旅を続けて、先にバルダミュが倒れるのか。 なんて先の予想は、あまり真剣に考えてはいない。すぐに書かなかったから、読みながら想っていたことは大方忘れてしまった。後から思い出せるものといえばとにかくロバンソン。そういえば植民地でも、アメリカのホテルでも、似た雰囲気の少年がバルダミュの近くにいるなあ、何でだろうなあ。暑さにやられて、想うこともそこまで。