コーン・ボーン 2
1の続き▽ いつの間にか少年は毛布を被って眠り込んでいた。新しく薪をくべていないのにいつまでも炎は揺らめいている。少年の顔は本当に僕に似ているのか確かめたい気持ちはあるのに、どうしても火の向う側まで歩き出すことが出来なかった。尿意を催したので、森の闇の中に入った。火からそれほど離れたわけでもないのに、全ての木々が黒く染まっていた。光を吸い込む森は音も吸い取るらしく、長い放尿にもかかわらず、ジョボジョボという音は聞こえてこない。足元に流れてくるわけではないのだから構わないか、と深く考えることを止した。終わったのか続いているのか分からない放尿には甘美な陶酔が含まれていた。いつまでもここでこうして留まっていれば、後ろにある炎は消え、大樹が少年を呑み込み、目の前にあるおかしな出来事も、思い煩いたくない過去も、これから起こるいいことも悪いことも全てうやむやにしてくれそうな気がした。そういえばコーン・ボーンは今もこの森の中にいて何処かから僕の間抜けな姿を見て笑っているんだろうか・・・。あまり考えるな、と頭を振った時には既に遅かった。 森の闇の一際濃いところから笑い声がした。しばらく、音とも風景とも隔絶した境地でぼんやりとしていた僕の耳には、巨大な森が大地ごと身を揺さぶっているようにも聞こえた。慌てて小便道具をしまい、息を潜めた。「コーン?」と恐る恐る尋ねてみる。森の中からも後ろの焚き火の向こうからも返答はなかった。「ボーン?」同じく誰の声も聞こえなかった。「コーン・ボーン?」と意を決して尋ねると、クスクス笑いが辺り一帯に拡がった。前にも後ろにも、上空にも地下にも僕を笑う声が蝉時雨のように鳴り始め、なんだか腹が立ってきた。そこまで笑われるようなことをしたつもりもないのに、どうしてこうも笑われなけりゃいけないんだ。もう暗闇に目をこらすことは止めて、焚き火の元に引き返した。そこで僕を笑う少年を見つけたら、少し懲らしめてやろうと決めた。笑い時雨は次第に鳴りやんできたものの、それは僕の耳が、彼らの笑いを聞きとる機能を忘れてしまったからのように思えた。僕に聞こえないところでは、いつまでも僕を笑う声が続いているに違いないという確信があった。 焚き火の元には老人がいた。大樹が一回り大きくなっているように見えた。老人は本を読んでいる。炎はもう小さくなって、題名を読み取ることは出来なかった。さっきまでそこにいた少年がそのまま本を読み続けて年老いたような老人は、僕を一瞥しただけですぐに本に目を落とした。僕はその本の内容をよく知っているような気がしたのだけれど、話すのがためらわれた。お互いに通じるものについて語り合うことが、この世界をぶち壊すきっかけになるのだと、いつの間にか理解していた。でもだからこそ、急いで壊してみたくもあった。もう彼が覚えているかどうか知らないことを、恐る恐る尋ねてみた。「さっき、森の中にコーン・ボーンがいたよ」 老人は顔を上げた。よく知っている顔が現れた。僕の言っていることが聞こえていないのか理解出来ないのか、それとも僕が見えていないのか、あるいは本当は僕なんていなかったのかもしれない。少し迷惑そうに眉を顰めた後、老人は再び本を読み始めた。僕は地面に寝ころんでそのままゆっくりと大地に溶け込むように眠った。▽ 祖父の、まだ身体は元気な頃に私と両親が病院を訪ねた時、祖父を中庭へ散歩に連れ出した。音飛びのする民謡のCDが延々と繰り返されていた。元気な老人がビーチボールを投げ合っており、私が参加しようとすると一人の老婆が泣き出して、慌てて離れた。祖父にはもう看護人と私たちとの区別はつかなくなっており、誰でもない名前を私に向けて呟いては、一人首を振っていた。色とりどりの花が咲く花壇のベンチに腰を下ろし少し休んでいると、目を離した隙に祖父は一つの植木鉢に指を突っ込み、土をつかんで口に運んだ。父と私が手を掴んで止めさせようとすると、その痩せ細った力のどこにそんな力が、と驚くくらいに暴れ、押さえつけるのに遠慮のあった私を跳ね飛ばした。花ではなく、何故土なのだろうと、呑気に思った。花壇から離れると祖父は大人しくなった。中庭の端から見える外の道路に動く人影を見ては、あれは誰々であると、よく聞き取れない人名を何人も挙げ続けた。散歩が終わってもまだ元気な老人たちはビーチボールを投げ合っていた。民謡のCDの音が飛び続けていた。 骨になった祖父を見て、ようやく祖父の死を悟った。つい数時間前まで、冷たくなったとはいえいつでも顔を拝めたというのに、何故骨なんかにしてしまったんだろう、どうして燃やしてしまったのだろう、と小さな子供のような疑問が頭を占めた。髪もサラサラで、知らん人が見たらおじいさんかおばあさんかわからんなあなどと軽口を叩くようなこともしていたのに、もう二度とその顔にも身体にも手に触れることが出来なくなってようやく、祖父は死んだのだと実感が湧いた。小さくて白いだけの骨には何一つ祖父を感じられなかった。骨にも魂にも祖父の家にも病院にも墓にも祖父はいない。完全に祖父はこの世からいなくなった。人々の記憶に残るものは祖父そのものではない。残された本や日記は祖父のものではある。だがそれらを読むにしろ無視するにせよ、それは祖父そのものとの交わりではない。人間は、生きているものとしか交わることは出来ないということが、あまりにも不自由に感じた。死者との交わりを求める心から、想像力は発達したのでは、という思いつきはそう突飛なことでもないと感じられた。 そんなことを思い出し、まだ生きているものとの交わりを、と決意し、友人の家へぺぺを訪ねた。ヒャンヒャンと鳴くぺぺを抱き上げ、腹を撫でて感触を確かめてみても、ドッグフードが詰め込まれた跡はないので安心した。膝に抱いてしばらくするとぺぺは眠り込んでしまい、私は身動きできなくなった。寝小便はしないかと友人に尋ねると、便所の場所だけは間違えないから安心しろと言う。友人は自分の部屋に戻り仕事を始めたので、私は次第に退屈してきた。しかし鞄の中の本を取り出そうとすればぺぺを起こしてしまうことになるので躊躇われた。それに本を読んでいては、目の前にある命を忘れてしまいそうな気もした。手の届くところにあったドッグフードを一つ食べてみる。生臭く、口の中に小さな犬が入り込んだような錯覚に陥ったが、食えない味ではなかった。匂いにつられたのかペペが起きてしまい、私の指を舐めてヒンヒンと鳴いた。膝から降りて、彼用のトイレに小便をしに行った。少し震えながらこちらを見ているペペには、まだまだ元気でいてもらいたい。幸い室内犬であるから、行方不明になって神戸で発見されるようなことはあるまい。 最後に祖父の日記から印象に残った文章を。 夜は久々に母となるものを交わす。ながら残念、気持ちがあっても母は腰が痛い。私は上から行う(正常位)と、膝頭が痛くなる。皮膚が薄くなったのか骨が細くなったのか。一物の勢いはよく母は喜んでいるが、結局めでたしめでたしと終着駅には辿り着けず、途中下車。最後は一人旅と相成った。やはり身体の老いには抗えないか。気分はムンムンであるのに。ともかく一物ピンピンなのは喜ぶべきことである。 祖父母ともに70歳の頃である。