また一人
昨日の私達のメインのギグの直前に友人のランディが倒れたというニュースが。かろうじて意識はあるけど体は半身不随で言葉も発せず、見通しは明るくないと。ギグはもちろん始めなければなりませんが、ランディの身内ではないので発表するわけにもいかず、つらいショーでした。ランディはほかのバンドのリーダーで、彼らのお客さんと私達のお客さんはほぼ同じなのでみんな知ってる人ですが。そして今朝彼の訃報で起こされました。ランディが逝ってしまった...何度か書いた記憶があるのすが、彼はダウンダウンのバーでグレイトフル・デッドのカバーバンドを毎週やっていました。デッドは日本には全然入って来ませんでしたが、こちらでは音楽だけでなくアメリカン・カルチャーの一部でした。マリワナ、アシッド、ヒッピー、ラブ・アンド・ピース。そんな時代に青春を過ごした現在の(高齢気味の)おじさん・おばさん達はランディのショーに居場所を見つけ、タイダイやぞろぞろしたヒッピースタイルの一種異様な空気の集会になっていました。 グレイトフル・デッドのロゴランディは15年ほど前にこのバンドを始めたとき、パートナーのマイクがいたのですが、彼が急逝してからゲストを呼ぶようになりました。ブライアンやヘザー姐さんはもちろん、町でもあまりギグの無いミュージシャンや、新人の人達を誘って演奏の場を与えてきました。年末には貧しい人のための食糧や募金を募るチャリティーコンサートを毎年続けてきました。すっかりツーソンのサンタクロースのような存在になったランディ。しかし私が彼に出会った20年前くらい、彼は全くの別人でした。ブライアンと友人のテッドが薬物を辞めようと苦しんでいた時、テッドがたまに家に連れてきていたのがランディでした。ひげもじゃで無表情で無口で何考えてんだかわからないおっかないおっさんを連れてくるテッドを恨んだものでした。ランディもその時、ウン十年も続けていた薬を絶とうとしていたのでした。今考えたらあの時、3人とも奇跡的に足を洗えたのかなあ。ランディは前途のバンドで、ブライアンは自分のバンドでゆっくりと、でも確実に根を張っていきました。二人とも傷がある人達の気持ちがわかるからか、ファンからとっても愛される存在になりました。テッドもちょっとあやふやながらもギターを止めることなく現役です。一週間ほど前ちょっと嫌な事があって、フェースブックで愚痴ってたら彼が珍しくメッセージを送ってきました。「あいつな、ちょっと常識無いよな」なんて話した後、しめくくりに「俺たちもブライアンも何年もかけて築いた物だからそりゃ(外部者に)そんな事されたら頭にくるよね」と言うので「うん、あの4人で歩いてコンビニのコーヒー買いに行った時からしたら私達、頑張ってきたよ」"I love you!""Love you too!"それが私達が交わした最後のやりとりでした。彼の最後のフェースブックの書き込みは一週間ほど前。"時々わけもなく泣いてしまう。この感情は一体どこから来るのかわからない気もするしどこからでも来てるような気もする。コマーシャルを見ては泣き、傷ついた友人たちの痛みに泣き、亡くなった友達のために泣く。今も泣いてるけど、どうしてかわからない。時には世の中のために泣くこともある。土曜日のギグが生きる希望だ。”自分の死期を悟っているような文章です。ここ数年病弱で、去年のチャリティの時は特に弱々しく、多分これで最後だろうなって思いました。それでも6か月ショーを続け、土曜日に数曲やって気分が悪くなって、日曜日に脳梗塞,火曜日の朝に亡くなったという事です。でも良かったと思う。ミュージシャンが不自由な体になって生き永らえるのは酷だし、家族にさよならを言う時間もあったし。息子がドラムなのでずっと一緒に演奏できて、数年前に親友のアビーと高齢再婚して。ドラッグから抜け出して20年、精いっぱい人のために尽くして、あの小さな家で暗くつるんでる時には夢にも思わないほどの功績を残しました。彼のショーに集まるヒッピー達もパートナーを亡くしたり、大病をしたり何かと傷のある人達です。あのギグを「教会」と呼んでる人達もいるくらいです。ランディと「教会」がいっぺんに亡くなってしまった、この穴は大きい。