石巻へ(了)
やっとこのシリーズも終わる。そもそもがだ。たった半日に何でこんなに文字を使う。よっちゃんがナビをしてくれると助かる。俺はもの凄い方向音痴だ。俺が向かう方の反対に行けば必ず正しいところに着くとなっちゃん(東京時代の相棒だ)に言われたくらい方向音痴だ。ところが嗅覚がある。野獣の勘というやつだが、大体の場所をよっちゃんが定めてもこの石巻、なかなか名所をはっきりさせないところがある。はっきりしているのは石ノ森漫画館とサンファン館くらいだ。「まだ何かと闘っていて秘密を隠しているんじゃないか」と俺が呟いた位良く分からない。「ここかなあ」俺の嗅覚で入っていった寺。車を境内にがーんと入れて降りたが、地図よりもずっと小さい。で、一人の喪服をきた夫人が花を愛でている。「この上に吉野先帝菩提碑があるようだよ」よっちゃんが地図を見ながら言うが、俺の嗅覚は寺の境内にあるようだとしか感じていない。境内を何周もうろうろしたが、案内板と寺の中のイメージが湧かない。確かに案内板にも多福院とあるのだが。松崎さんの言うには「南朝の帝が落ち延びてここで御崩御なされたなどという伝説があります。皇子がいらっしゃりここに先帝墓碑を建てられたとも。天皇の菩提碑があるというのは日本で唯一のところだそうで、昔の事とは言いましても、少なくとも関係者はここに住んだのは間違いがないようですね。でも私は本当にいらっしゃったと思いますよ。でなければ、どうして京(奈良だったかな)と石巻にそこまでの関係があるのでしょう」と。そして、「義経伝説なんていうのもねえ」と続いたので、「そう、十太夫さんだって生き抜いて北海道開拓したんだから、モンゴル行ってチンギス・ハーンもありですね」と俺も続けた。「そうです、そうです」その時、お坊さんが庭掃きに出てきた。俺は聞いてみた。「すいません、ここに吉野先帝菩提碑があるようにきいてきたのですが」「ああ、すぐそこですよ」教えられたのは本堂のすぐ脇。鉄柵に守られた吉野先帝菩提碑写真には鉄柵はないが、これは俺が寄って寄って撮ったから。「これは古いわ」と俺。「誰も分からないよなあ」とよっちゃん。俺達が車に戻ろうとするとお坊さんが話しかけてきた。「ご観光ですか」俺達は頷いた。「ここは最近、そう400年ほど前から曹洞宗になりましてね」「400年で」「最近?」俺とよっちゃん交互に。「それまでは、ここで護摩を焚いていたんですよ」と、住職は自分が立つ別堂を指した。「ははあ。というと密教系だったというのですかね」俺がそういうと住職は話を濁したが、少し微笑んで「菩提碑もそうですが、色々ありますよこの寺は」「そういうことですか」俺も何がそういうことなんだか分からないが口に出た言葉はそれだった。「良い旅を」俺達は住職にお礼を言うと、MX6に乗り込んだ。住職は俺達が角を曲がるまで見送ってくれていた。「本当に運が良いな、俺達は」と言ったのはよっちゃんだ。「人との出会いが本当の旅行だ」と、俺は口癖になってきた。いよいよ街をつききって青葉神社だ。って、あれ?幼稚園に公園?青葉神社「これは神様も喜ぶだろう」俺の印象はそうだった。子供達がサッカーをやっている。付き合いできているお父さんがお母さんに携帯で買い物を頼まれている。うみと彩の中間位の年頃の少女達が、もう本当に半そでで遊んでいる。犬がどっちと遊んで良いか分からずぐるぐる回っている。「急になんだ」「今さ、公園でボール遊びはいけないとか、犬を散歩させるなとか言われているだろう」「そうだよなあ。こういう姿って久々にみるよな」「なっ。俺、こういうところの神様になるために修行した人(?)の本読んでいるんだけど、神様も大変なんだよ。やっぱ、神様もこういう子供の楽しい声とか聞くと嬉しいんじゃないかなと思ってさ」「ふ~ん。良く分からないが良いものなんだろうな。で、十太夫さんは?」「あれかなあ・・・」「あったよ。初めて細谷直英って名前出てきたな」松崎さんが言う「十太夫さんと大街道の開拓に携わった人々が仙台青葉神社改築のときその余材を貰い受け建立したのものだ」という通りのことと、豪農、豪商、そして侠客が今にも出てきて気合を入れられるような文が書いてあった。俺には余材を貰ってきたとは額面通りに受け取らない。強取したのでは・・・俺たちは石巻を後にした。帰りはよっちゃんに途中まで運転してもらった。「石巻に住みたいな。俺、やっぱり海の側がいいや」と言いそうになったが、「俺には八戸があるからな」と声に出たのはこっちの方だった。「何だよ、急に」びっくりしただろうな、よっちゃん。石巻に居るのに急に八戸だもの。「いや何も」俺は笑った。その時、俺の携帯に電話が入った。八戸の兄貴からだった。「元気か」「うっす」「今どこに居るんだ」「えへへ、実は石巻なんですよ」「何でまた」「ちょっとした旅行で」「良いな。俺は弘前だ」「桜はどうですか」「3分くらいだ。ところで、また飲もうな」「勿論!」「最近ばーんと爆発する奴が居なくてなあ。面白くないよ。北海道にでも行って酪農しようかと思っているんだ」なんだ、なんだ。「で、熊酒なんか造ってさ。なあ」「なあって、熊と酒呑むんですか。あっちはヒグマですよ」「大丈夫だろう。それ名物にしてさ」「可笑しな名物ですね。兄貴はヒグマでも大丈夫でしょうが俺はツキノワグマ位までしか相手にできませんね。酒乱になられたら困る」「俺だって困るよ」「しかし熊とは酒を呑んでみたいですね」「だろ。あっ、またな。続きは呑む時に」「おっす」奥さんが買い物か何かから帰ってきたのだろう。その隙に電話を寄越したな。「熊と酒がどうしたって」とよっちゃん。よっちゃんも兄に会った事がある。「兄貴に相談しようと思っていたことを先に言われたよ」「熊と酒か」「じゃなくて。うん、ま、それでいいや」よっちゃんも分かっているのだ。十太夫さんを訪ねることが俺にとってどうして楽しみだったのかも根っこには「ばーん」が欲しかったことをね。「不思議な符合だね」とよっちゃん。「最後の最後までな」俺は不意に気付いた。俺達は行く時も帰る時も太陽に向かっていることを。多分俺達は今日日本で一番長く太陽にあたっていることだろう。鴉組は闇夜こそ活きた無頼の男達だったが、その心は今日の石巻の陽射しのようにいつも晴れやかだったのではないか。そして今日の俺達のように行く先々で色んな人々に会って暖かい交流をしたのではないか。さて、兄貴に何と話そうか。