世界の国からラテン通信♪
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しばらくオーストリアに行っていました。そして、この地震の報道をドイツで知りました。地震のあった日はノイシュバンシュタイン城にいたのです。多くの日本人を見かけたのですが、まだその時は、みんな気がついていなかったのだと思います。誰もそのことを話題にしていませんでしたから・・(時差が8時間あるので、早朝6時半ごろの出来事になる)のんきにミュンヘンに帰ってきて、この報道を見て驚きました。なにも言葉がありません。ただ、驚きと悲しみです。ドイツ語とCNN(英語)しかなかったのですが、英語のほうは、オバマ氏のコメントや現地にいる外国人のレポート、我々は救援をすぐ送るといった内容で、ドイツは最初の方から地震がなぜ発生したのか、原因と原発についての解説が多く、お国柄の違いを感じました。日本が壊滅したかのような映像しかなく、本当にショックでした。しかも仙台と福島のことしか報道されてなく、東京がどうなっているのかが、とても心配でした。今も限られたソースしかありませんが(しかもスペインの報道はいい加減なものも含まれているらしいので、見るのをやめました)、あえて、あまり不安になるのは控えています。なにもできない今、かえって情報がないほうがいいのかもしれません。ドイツやスペインで、日本人とわかると、いろんな国の人が声をかけてくれます。家族は大丈夫なのか?と心配してくれます。ありがたいことです。今はとにかく、それでも日本は自然と共に生きているし、また立ち上がるということしか伝えられません。マドリッドを歩いていたら、TVクルーにインタビューを求められました。本当は、まったく関係のない質問でしたが、日本人とわかると、日本の話になりました。オンエアでは使われていないと思うけど、日本はまた立ち上がると言いました。今までだって何回も復興してきたんですから。人の気持ちや意識が一番心配です。こちらの人たちに、日本はダメになったりなんかしないと伝えたいです。小さなことですけど、今はそれくらいしかできません。亡くなられた方のご冥福を祈り、被災された方たちが安心して暮らせるようになりますよう、そしてこの地震活動がおさまってくれることを祈ります。
2011年03月16日
新しい思いグセ:もうこれ以上、歳は取らないことにしました♪ 最近の趣味は、5つ星ホテルでお茶すること。優雅なお金持ち気分を味わうのだ! 先日マドリッドに行った時、よっしゃ!とはりきって出かけていったら、ホテルの玄関に黄色い柵があって、人だかりができているじゃないの。「なんなのこれ?」と一人の女の子に聞くと、「MTVのスターが出てくるのを待ってるのよ。」と言う。な~んだ。注:あとでわかったけど、司会がエヴァ・ロンゴリアだった。しかも入場無料! 警察も来ちゃってるし、中に入れるのかな?と思ったけれど、そのままエントランスに向かって歩いていったら、全然入れた。5つ星ホテルこそ、私はここの入る資格があるのよ!くらいの勢いで、堂々と入るしかない・・たとえ泊まっていなくても。今まで一度も止められたことはないし、むしろ5つ星ホテルのほうが扱いがよい。ただし、持ってる中では一番いい服を着て出かけるし、腐っても鯛、デフレでもまだ世界第二位の経済大国から来たよ!と思いながら入っていく。 中にはMTV関係者とか、モデルみたいな女性やスタイリストなどがいた。カフェにも普通に入れた。よーく考えてみると、あの柵の外で待ってなさいってのはなんなんだろう?このホテル、普通に中に入れるのに。ロックTシャツとか着てたらダメだろうけど、ちゃんと準備していけば、きっと大丈夫。 残念ながら誰がスターなのか、私には全然わからなかった。 あの黄色い柵の中と外は、私たちの限界を表しているとふと思った。サーカスのゾウが鎖につながれていなくても逃げないみたいな感じ。自分は5つ星ホテルの中には入れないものと決めつけている。私もそうだったからよくわかる。でも全然入れるよ。 最近、いろんな外国人(私がここでは外国人♪)と話すけれど、その人それぞれの思いグセがあると思う。ある人は、日本語がわからないので、日本に旅行に行ったら間違いなく困ると信じているし、ある人は日本に行っていろんな体験をしているし、またある人は、一切日本料理を食べないで、日本人とも話さないで帰ってくる(!!!)。みんな、その人の信じたことをやっている。 またある人は、「今から語学を習い始めるのは遅い。」と言ってやろうともしないけれど、別の人は、同じくらいの年で新しく日本語を習い始めた。私も同じくらいの年で、英語の勉強をしなおしたし、最近フランス語も習い始めた。すべて自分があきらめたら終わりってことだと思う。今遅いのなら、もう永遠になにかを始めるのには遅いし、今日より若い日なんか来ない。そんな人生は嫌。 言葉がわからなくて大変だ、と信じている人は、大変な目に会うだろうし、親切にされると思っている人は、親切にされる。語学を始めるのにはもう遅いと言う人は、20年後も新しいことはなにひとつ覚えていないだろうし、5つ星ホテルに入れないと信じていたら、永遠に入ることはできなければ、他の新しい体験もできないだろう。 外で飲む6倍もする高いコーヒーを飲みながら、そんなことを考えていた。高いけれど、元は取った。マドリッドのホテル、パリより敷居が高くないし、居心地よかった。 2時間後、ドアマンにあいさつして、あいかわらず柵の外で待っている人たちの中を、また堂々と歩いて立ち去った。あー、でもスターって大変。これも思いこみかな?
2010年12月10日
今週の驚き:チキンカレーのつもりが・・イマイチフランス語が読めないため、適当にチキンとは書いてなかったけど、鳥肉に見えるお肉を買ってみた。面倒なので、そのままカレーに入れて、それからdindeを調べてみたら・・七面鳥だった!まさかの七面鳥カレーを作ってしまった!陶芸やってて、カラフルな服を着ているエトセトラの理由で、私は友人からイッピーだと思われていた!イッピーって、昔はやったヤッピー(今もいる?)ではない。ヒッピーのことなのだ。スペインもフランスもHを発音しないので、呼び方がイッピーになる。でもだ、この極めて日本人ぽいと言われている私をつかまえて、イッピーと呼ぶ?私の中のイッピーとは、ドレットヘアにインドの服を着て、大きな犬を連れているピアスした若者のことだ。ただ派手だからって(それもスペインじゃ普通だが)、イッピーだって、そんな・・。うーん、でも時代が時代だったらイッピーになってたかも。いや、でもなってないかな。パリ16区が快適なイッピーっていないと思うけど(笑)。でもホームレスまたは本物のイッピーさんは、高級ショッピング店の玄関で夜はお休みしてる。男二人で仲良く話ながら寝転んでいるので、私より楽しそう!と時々思っちゃう。昼は昼で、お金ちょうだい、と活動している。ここはお金持ちが多いから、ここにしたのだろうか。というわけで、友人は本物のイッピーを見たことがないのだろう、という結論で落ち着いた。
2010年10月13日
パリのユニクロにタイツを買いにいったら、オープン1周年記念で、カシミアのセーターが49,9ユーロで売られていた(通常79,9ユーロ)!パリのマダムもまとめ買いよ!もちろん、私も買った。この秋、みんながユニクロのカシミア着てたって、かまうもんですか。なんといっても、縫製を気にしないで買えるのがすばらしい!!!スペインの服は、縫製が甘いから(ちょいちょい破れる)!そして、なんといっても、日本のストッキングとタイツの丈夫さは、なにものにもかえがたい。頬ずりしたくなるくらい丈夫(笑)海外に住むなら、絶対にストッキングとタイツは持参です。こちらのは、すぐ破けるし、伸縮性が悪い上、高いです・・(泣)。スペインにいたっては、ウール100%のセーターがめずらしいし、カシミアのセーターなんて、エルコルテでしか見たことない(高くて、デザインが今イチ)。探せばあるだろうけど、とにかく高いのね。それに、ユニクロのサイズ展開はXSからあるので、とってもありがたい!カラーバリエーションも豊富!!10月12日まで、カシミアセーターがこの値段で売られてるようです。急げ、パリのユニクロへ!
2010年10月07日
若作り(?)してても、年齢を感じる時。若い子に聞かれたこと。「face book ある?MSNは?」「ない・・。」「face bookないの(驚)?」だからどうした?! ツイッターとかもやらないし、ミクシーすらやってない。マメではないので、友達にメール書くのも一苦労なのに、そんなことまで手がまわらない。 なにかに登録しても、しばらくすると暗証やパスワードを忘れてしまう。というか、パスワードを聞いてくるものが多すぎるのだ。銀行でもなんでも。 この意見に同意してくれるのは、私のスペインの友達(日本人)だけ。スペインの携帯なんかインターネットできるモデルのほうが少ないので(普通の人は持ってるのを見たことがない)、フランス人やアメリカ人がモダンな電話器を持っていると、しみじみ観察してしまう・・。ああ、日本に適応できるのかしら? 気の合う人に出会うのは難しい。合う人には合うけれど、合わない人とは、まったく合わない。 先日、NY在住の人とごはんを食べた。同じ店でアンティークのブローチを見ていて、それでなんとなくお茶に誘ったのだ。でもこういうのって、なんでそうしたいと思ったのか、なんで彼女はOKだったのか、よくわからない。単純に勘だ。で、誘ってみてわかったのが、NYに住んでる日本人だったということだ。なるほど・・。 住んでる国に染まっていくとよく言うが、彼女の歩き方はニューヨーカーそのものだった。 海外に住む日本人の人たちと時々話していて時々聞くのが、「日本人だからって、気が合うとは限らない。日本にいても、いろんな人がいるのに、海外に住んでいるからって、必ず気が合うとは限らない。」という言葉。 何人であっても、気の合う人とは意気投合するし、気の合わない人とは、永遠に平行線をたどる。それなりの努力はしているけれど、何人であっても気の合う人を探すのが一苦労なのだ。 NYには6万人の日本人がいるそうだが(彼女談)、数が多いからこそ、気の合う人探しは難しい。そしてなんだか知らないが、都会の人は忙しい! でも忙しいってなんなんだ? 男女国籍年齢問わず、ただ居心地がよくて、話して楽しくて、打てば響くような関係。なんでそれを見つけるのが難しいのかな。
2010年09月24日
スペインの人(またはざっくり言ってヨーロッパの方)は、日本人ほど地道に美容について考えていません。雑誌にそういう特集もなければ、どうやったら肌によいのか、悪いのかなども、懇切丁寧には教えてくれてません。そういうテレビもありません。どんな食べ物が肌や体にいいか、とか、カロリーがどうとかも、あまり情報がありません。そのため、日本に帰ると、あまりの情報量の多さ、美への執念にクラクラします・・。食べ物、お肌のお手入れ、服のチョイス。 そういえば、雑誌にも日本のような1ヵ月着まわし術とかそういうコーナーはありません。日本の雑誌を読みたいのはやまやまですが、こちらでまったく着られないファッションなため、だんだん見なくなってしまいました・・。 郷に入れば郷に従えで、こっちの人が好む服を着るしかありません。そしてだんだんそうなっていきます。 そんな中、こちらで見たロンドンハーツのSILKさんは衝撃的でした!前にスリランカ行きの飛行機で出会った女性に、「SILKさんを見ると元気が出るんよ。」と強力推薦され、いったい誰SILKさん・・?と思っていたのですが・・確かに元気出る!おもしろくて、美しくて、なんとなく人柄もよさそうな感じ。 それより、なんで初めて会った彼女が、いきなり私にSILKさんについて強力プッシュしたのかよくわからないのです。もしかしたら、同じ匂いがしてたのかな(笑)? あんなに美に対してがんばれるかどうかは疑問なのですが、美しい人って、たいていすごく努力してますよね。美しい人×努力=もっと美しくなる。普通の人がダラダラなんにもやらなかったら、美しくなるわけはありません。しかもSILKさんの場合、元々美人だったのではなく、後天的な努力と見せ方で、美しさを獲得したというのはすごい。励みになります。 若い時に美しいのは当たり前。50歳に近い年齢で美しさを保っているのは、ものすごく価値がある。そして美しさは人に元気を与える。 美しくかつゴージャス。これが目指すところです。
2010年09月21日
今週の驚き:日本から本を買ったら、送り先の住所の欄、ローマ字で書いてあったのに、なぜか国名だけ「スペイン」とカタカナで書いてあった。途中で誰か「SPAIN」と書いてくれたけど、これ、どうやってここまで着かせるつもりだったんだろうか? セマナ・サンタが終わってから、いよいよ夏モード?になってきた。すでに気温はパリの夏ぐらいになっている。フェリアとかまだあるけど、ひとまず春のことはもう置いておく。とにかく今、夏のことを考えないとヤバイのだ! そう、夏休みの計画♪去年はこの暑い場所に2ヶ月もいたため、本当に煮えた。そしてありえなく暇だった。バケーションで世の中が完全にストップしてしまい、行きつけのカフェまでも1ヵ月休む始末で、本当にやることがなかった。もちろん、習い事もすべてお休み。 去年は毎日、開いてるカフェまで往復40分歩き、午後2時以降は外に出られないので、それからはDVD(英語)を観て過ごしていた。本当に私はヨーロッパにいるのか?と思った・・・。昼の街は無人になった。 そして避暑に出かけたギリシャではラブラブカップル攻撃に会ったので、行き先も考えないといけない。 そう夏のヨーロッパ!それは仁義なき戦いの場。カップルと団体だらけ。一人旅の人、本当に不利。そして高い。予約の戦いはすでに始まっていて、各地、人気のある場所(特に祭り、フェスティバルなどがあるところ)は、ホテルも飛行機も埋まってきてしまっている・・。出遅れてる??? 今頃になって、アジアンビーチのよさがわかってきた。安いし、食べ物おいしいし、最高。海にも行きたいけど、バカみたいに高いギリシャなんかに行くくらいなら、コスタデルソルで十分楽しめます。 今は7月と8月の身の振り方を考えており、こんなことなら日本に帰ったほうがよっぽど安いなと思う。なんたって一人旅に飽きた。 いつも家族といる人たちは、「たまには一人でゆっくり旅行したい。」などと言っている。バケーションに出かけられるし、好きなところに好きなだけいられる、私の悩みは途方もなく贅沢でしょうが、私は家族といられる人がうらやましい。 今田舎にいるので、ここより田舎には行きたくない・・・。今行きたいのは文化のある都会(笑)!自然の多いところでは全然癒されない! というわけで、毎日、狂ったように端末をたたき、夏の予定をたてては予約しているのでした。 歩くの嫌い(スイスの山、1時間でリタイアした)、寒いの嫌い、人と同じ部屋に寝るの嫌い(眠れない)なのに、あまりの暇さに、サンティアゴ巡礼が頭から離れない・・。絶対に向いてないことをわからせるために、ガイドブックを買ったのだけど(普通の人と使用方法が逆)、今度はそれが届かない(笑)。どこ行ったんだろうか? それでもなんだか、いろんなことにあきらめがつく今日この頃です。ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
2010年04月10日
音楽がうるさいので、耳栓をしてこれを書いています(笑)。気がつけば、ブログも5年目に入っていたので、ちょうどいいアニバーサリーという柄に変えてみたのですが・・・キャンペーンやってない・・。なにか考えよう。なんだろう?生活でいっぱいいっぱいだな。思いつけなかったら、それはそれでお許しくださいませ。なんせスペインなもので(笑)。
2009年11月22日
注:あまり楽しくない話なので、読みたくない方は、読まないでください。 世にも最悪な同居人がようやく出ていった。出る出ると言って10ヶ月。本当に長かった。どう最悪だったかはくわしくは書かないが、とにかく悪魔のような、疫病神のような、そんな感じだ。 とにかくお金に細かく、女性にも平気でお金を出させ、まったくプライドのない男だった。自分がお金を出したくないときは、変な理屈でお金を払わず、私からはとにかくお金を取ろうとした。その他のことでも非常識はなはだしかった。特に仕事があまりにもできず、友達だった上司にリストラされたあと、この傾向はひどくなった。そのくせ、自分は旅行だ外食だと派手にやっていた。 人あたりがいいので、みんなこの男をいい人だと思い、友達になる。私もそうだったが、一見いい人に見える人ほど、最悪だということを学んだ。そして誰も彼の最悪な部分に気がつかないのだ。 働いていた時に会ったので、普通に働ける人かと思ったが、そうじゃなかった。基本、人を頼って生きるヒッピー体質だったのだ。この人が路上生活者とか、路上でアクセサリーを売って生きる姿が、今なら簡単に想像できる。私は見る目がなかった。他の人もそうだろうけど、みんなだまされた。 見た目は育ちのいいジェントルマン風だ。私は完全に人間不信になった・・。 なにひとつ決断できず、仕事も探せない。1年以上ほぼ無職である。私はこの人を助けてあげようとしたが、それは無駄に終わった。むしろ搾取されて終わった。 3ヶ月電気代も払わず、今月の家賃も払わないので(払えないので払わないというものすごい理由!!!)、出ていってもらうことにした。これが本当に大変だった。 とにかく行き先が決まらない。スペイン人の友人たちを頼ろうとしているのだけど、これがまた返事がころころ変わる人たちなので、いいよ、言ったり、ダメと言ったり、忘れたりで、もう最悪。 ついに家がないまま、友達の倉庫に荷物を入れて、この家を出て行くことになった。私が荷物保管料をチャージすると言ったからだ。当ったり前だ、家賃も払わず、ただで荷物置かせてもらおうなんて甘いよ。しかも来年の3月までとか言ってきた。本当は今年の3月には他の国に行くはずだった。彼の人生は決断できないことで、最悪な展開になっているのだろう。人生は決断して、ぱっぱと動かないとダメになると学ぶ。こんなに決められない人、初めて見た。たぶんまた決められず、ずるずるするだろう。 結局彼は人の家を転々とする作戦に出た(最初バンの中で生活すると言っていた!)。本物の住所不定無職になった。 私に「自分は持っていけないので、食器やカーテンを買ってくれ。」と言ってきた。「いらない」というと、私も使っていたのでどうしても払えと言う。これは相談ではなく、ごり押しである。この人はとにかくこういうのが多く、お金にしつこいので、「じゃあ、今月の家賃はいいから(それも日割り計算で払うと言ってきた!)、もう出ていって。」と私は言った。とにかく出ていってもらえれば、なんでもよかった。 大家に会いたくないとごねるところをなんとかなだめすかし(非常識)、3人で大家に会った。とにかくデポジットを返してもらいたがっていたので、「デポジットを返すなら、大家さんと3人で会って、あなたが鍵を返してくれたら、私がその分のデポジットを払う。」と私は言った。鍵をようやく返してもらえた(本当に家賃を払わないで居座りそうだった)。 大家が帰ると、「あと一日泊まっていい?だから鍵あと一日貸して。」と言ってきた。あんた、やっと取り返した鍵、貸せるかい!バーカ!「NO.」と私が言ったので、逆上して、私が友達と電話してる間に、「持っていけないから買え」と言った食器や皿、シーツ、洗濯ばさみから洗剤にいたるまで、洗いざらい持っていかれた。つまり私は今月の家賃3ヶ月の電気代を払い、こんな嫌な目にあわされて、しかもだまされた。私に残ったのはカーテンとバスタオル1枚だけ。 私が男だったら、絶対殴った。でも女性なので、腕力もないし、逆恨みされても面倒なだけなので、もうやめる。他人にこんな仕打ちをして平気な人間には、私に与えた苦しみ以上のものが与えられるだろう。因果応報という言葉を知らないようだ。いつか彼は自分の与えたものを受け取るよ。 このことからなにを学べばいいのか考える。 まず、私は他人に優しいので、時々こうやってつけこまれる。今まで何回か貧乏な人の面倒も見てしまっていた。でももうこれは金輪際やめる。今後私は豊かな人としかつきあわない。 お金について、人が持っているか持ってないとかはあまり関係のないタイプだったけれど、これからは考えをあらためよう。結局お金はエネルギーなので、お金がないということは、エネルギーがないということ、エネルギーの流れが悪いということである。この人のように、お金を気前よく使わず、出し渋ることによって、より経済を停滞させていることがわからない人とつきあう必要はない。「自分が傷つくだけですよ。」とある人が私に言ったが、本当にそのとおりになった。ひどいダメージ。これをまた自分で引き寄せたとかなんとか言うのなら、私は引き寄せの法則なんか大嫌い!!! いいよいいよ、わかったよ。私が引き寄せましたよ。だからもうやめる。 友達が、「ルームシェアってうまくいく人ばかりじゃないし、他の人もいろいろ問題あると思いますから、キアラさんだけじゃないですよ。」と励ましてくれた。そう、他の人も家を散らかされたり、騒がれたり、勝手に猫飼われたり(彼女は猫アレルギーだった)、あと勝手に食べ物を食べられたり(これがすごく多いようです)、いろいろ大変みたい。私の会った日本人たちは、ほぼみんな「二度とルームシェアは嫌だ!」と言っていた。日本人にはあまり向かないんだと思う。それに日本人のほうが、やっぱり常識的。他人に気を使う習慣がたたきこまれている。他の国の人、結構他人の迷惑はどうでもいいみたい。でもお金を払わないって、それ以前の問題だよ。お金がないなら国に帰れ! マドリッドで遊んで気分転換しよう。よかった、サッカーに行くことにしてて。 ここまで読んでいただいた方、どうもありがとうございました。それではまた。
2009年10月18日
ヒアリングというのは、ある日突然耳が慣れてくるということが最近わかった。そしてひとつの言語が聞き取れるようになると、他の言語もかなり聞き取れるようになるようだ。その代わり、聞き取れるのは単語や文章がわかっているところに限られる。だからなんにもわからない言語は絶対に意味がわからない。 英語が聴こえるようになったら(ネイティブのスピードに慣れたら)、だんだんスペイン語も聴こえてくるようになった。DVDの字幕プログラムが壊れてしかたなく英語字幕なしで映画を観ていたら、それにもだんだん慣れてきた。 英語が聴こえてくるようになると、突然英語の単語の成り立ちや意味がはっきりわかるようになってくる。そして突然、漢字の意味までがまるで浮き上がるように、電気が着くみたいに「そうなのか!」と茂木先生のアハ体験(?)のようにわかる。本当に漢字や英単語が3Dみたいに浮き上がって見える。残念ながらまだスペイン語は浮きあがってこない。たぶん語尾が変化しすぎかな。 最近、フランス語にも耳が慣れてきたので、この調子で行くともしかしたら、フランス語もできるかも!と思っている。長い間、あの発音の難しさにあきらめていた。でも、確かに難しいけれど、知っている文章や単語のところだけ、ところどころわかるようになってきた。スペイン語がわかると、フランス語はなんとなく読めるようになる(似てる)。それにフランス人には、私の下手なフランス語でも意味がわかるようだ。日本人が外国人の下手な日本語が理解できるように。 なにかひとつのことに打ちこめる人ってすばらしいと思う。ひとつの言語だけを追求できたら素敵だろうな。 でも永遠にネイティブになる日は来ないし、私には向いてない。ある水準まで行くのが待てないのだ。やりたいことがいろいろありすぎるのに、人生は短い。 今からやったら5年後、10年後にはもう少しわかるようになってると思う!上達の遅いスペイン語だって、なんだかんだいってここまで来るのに9年くらいかかってるし・・(本当に長かった・・)。 だから今年後半はフランス語の勉強を始めることにした。フランス語の辞書も本も買ったので、まずは独学でスタート。いきなり先生に習うにはあまりにも自分のレベルが低すぎてお話にならないので、ベーシックは自分で勉強してみる。 スペインでフランス語!意味不明・・。でも「フランス語を勉強したら?」と心の声が言うのだ。理由はわからないけど、なんとなくやりたいことって重要なんじゃないかと思う。 パリに行くと、いろんな人にフランス語で話しかけられる。前回はなーんにもわかんなくて、「ぽかーん」としてるか、手話状態だった(笑)。そんな恐ろしい状態から脱出するためにも、少しは意味があるのではと思う。 先日、パリのホテルに無謀にも電話してみたが、今の私の能力では相手がフランス語しかわからないと、やっぱり会話にならなかった(当たり前!)。せめてフランス語でホテルが予約できるくらいになりたい。結局、英語を話せる人がいるホテルで部屋を予約した。でも数年前、英語で電話するなんてできなかったし、ましてフランス語で電話をかけて話そうだなんて、思いもしなかった。 人間は何歳からでも進化できるって、本当ですね。PS.なんでパリの人がみんな私にフランス語で話しかけるかわかった。在住アジア人が多いので、ここにいる限り「フランス語、話せて当然!」と思ってるのですね。「フランス語話せる?」とも聞いてくれなくて、もういきなりフランス語(汗)。どこにいても気が抜けない。「ジュ・ヌ・コンプラン・パ(わかりません)」これだけがすごくうまく発音できるようになりました(笑)。
2009年10月12日
映画「マップ・オブ・ザ・サウンズ・オブ・トウキョウ」を観た。スペイン人女性監督なのでかなり期待していたのだけど・・むむむ。くわしいことは書けないが、とりあえず冒頭が女体盛り(鮨が裸の女性の上に乗ってる)!それも白人金髪女性の! いまだに女体盛りって・・・?「ライジング・サン」からかなりたってるのに、日本ってまだそんなイメージ?女体盛りって見たことないけど、どこかに本当にあるのでしょうか? それでもどうしても女体盛りを撮りたかったら、せめて日本人女性にしてほしかった。白人なんて、あんまりすぎ。 映画は言葉数が非常に少ない。日本を題材にした映画って、どういうわけかセリフが少なく、「行間を読め」みたいなのか、日本のプロモーションビデオみたいなのが多いような気がする。確かにロケハンはよくされていて、いかにも日本的な場所ばかり選ばれていた。でも実際は東京はもっとモダンな街なのに、下北沢とか新宿、高円寺とかその辺りが多く出てくるので、そんな雰囲気の映画になっている。そして昭和の香りがする。 全編スペイン語で映画を観たので、本当はみんな何語で話しているのかわからないのだけど(たぶん英語?)、もしかしたらその言語でもっと感じが変わるかもしれない。 でも日本をテーマにした映画は、とりあえずカラオケとか居酒屋とかは必ず行かないと行けないようだ・・。二人がラーメンばかり食べているので、私も食べたくなってしまった。 日本人からすると、つっこみどころ満載でした。しかたないけど。 そして毎回思う疑問。なんでこんなおじさんと恋に落ちなくちゃならない?今回の男性もまるで熊。有名な俳優さんのようですが。「恋するバルセロナ」でも、ハビエル・バルデムを女性2人で奪いあうのだけど、どうしてもこの男を奪いあう意味がわからなかった。 スペイン人の「いい男像」ってちょっとよくわかりません・・。 男体盛りで、中年女性が若い男と恋に落ちるなら、まだ新鮮なストーリーかと思いますが、まあないでしょうね。まず人の上に鮨は乗せたくないです。 男性監督ならあきらめもつくのですが、女性監督ですからがっかりです(ストーリーも彼女のようです)。 「ロスト・イン・トランスレーション」のあと、かなりの割合で外国人からあの映画について聞かれました。いまだにたまに言われます。なので今回の映画は、あれを払拭する映画になるかも、と思って期待してたのに、ちょっと残念でした。今度はなに聞かれるだろうね?女体盛り?それともラブホテルかな?あんなホテル、見たことないけど。 でも前向きに考えて、これを観て日本に行ってみたいと思う外国人が増えれば、それはそれでいいかな、と思います。どうやら今、世の中は日本ブームのようなので。日本に旅行する人が、前より多く感じます。
2009年10月06日
ハマムでゴマージュとマッサージをしてもらい、それから日本人に髪を切ってもらいました。これも今回の旅の目的のひとつ。「スペイン人にざっくり切られた」というと、結構フランスでも同じようなことがあるようでした・・。しかも高いらしい。さすが日本人美容師さん、1ミリ単位で切ってくれました! で、「フランスは食べ物がおいしくていいですね。」と私が言うと、「でも住んでると案外食べなくなりますよ・・。」とのこと。バケットやチーズも飽きるようです。でもわかる、私もハモンとか食べないもの。やっぱり最後は大豆製品ですね!という意見でまとまりました。「こんなに大豆製品が好きとは、日本にいるときは気がつきませんでした。」と彼女は言ったのですが、ちょうど私も同じことを思ってました。大好きなものはとうふに納豆、味噌汁、そしてしょうゆ。全部大豆製品!とうふなんか、パリのホテルで一丁一気食いですよ(笑)。超至福♪ 日本食レストラン、前よりさらに増えていると感じました。どこにでもありますが、本物の日本食の店は少ない。日本に住んでいたことのあるフランス人にも会いましたが、彼らは、「あれは本当の日本食レストランではありません。鮨も焼き鳥も全然違う。まず米が違う!」と言っていました。でもそれ以外のパリの人たちは、あれが日本食だと思っていると思います。 「日本が認定した日本食レストラン」とかいうステッカーを見たのですが、初めはそんなことまでするなんておおげさじゃないかと思ってました。でも実際、こんなにわけのわからない日本もどきレストランが多いと、それもしかたないかな、と思ってしまいました。「日本人のやってる日本レストランはどれ?」と聞きたくなります。 最初はあちこちで日本のごはん食べられるので喜んでいたけれど、まずいので、だんだん不機嫌になってきました。そしてそのまずそうな焼き鳥や鮨をフランス人がおいしそうに食べてるのを見ると、「違う、違うんだよ!」と訂正して回りたくなってくるのです!あああ。 ある日、ラーメンが食べたくて、オペラにあるレストランに入りました。で、隣に日本に住んでいたというフランス人が座っていました。「まい泉のとんかつ、おいしいよね。とんかつ大好き!」と彼は言って、まずそうなかつ丼を食べていました。「ここ、おいしいの?」と私が聞くと、「おいしいと思うよ。」と彼は答えました。・・でも至上最高にまずかった。なにをどうしたらこんなにパンチのないラーメンを作れるか不思議なくらい。日本でたとえるなら、夜の高速サービスエリアよりひどい。もう二度とこんなもん食べたくない。 そこで私はこのフランス人の味覚を疑いました・・。もしかしてあなたは味オンチ?ほんとに日本に住んでた? ベトナム料理やモロッコ料理も、パリに住んでる人がおいしいというので行ってみると、どうにもこうにもまずいのです。この前行ったモロッコ料理のタジンなんかすっごいまずかったのに、24ユーロもしました。まずいのに高いって本当に納得できない!でもこれ、パリで本当に多いのです。 通りすがりにテラスで人が食べているのを見ても、見るからにおいしそうじゃない。で、パリで何回か高くてまずいものを食べさせられて、ついに思いあたりました。☆他人の味覚は個人差と好みがあるので、アテにはならない。☆そして日本の食べ物はうますぎる。 人がおいしいと言うものに、あまり期待しないようになりました。 偶然、パリで日本での知り合い(フランス人)に再会しました。で、「ブランチに行きましょう」というので、すっごく歩いて、モロッコ風のモダンなカフェに入りました。すごく人がいっぱいではやっていた。わざわざここを目指して歩いてきたんだから、よほどおいしいのかと思いました。 でもこのブランチ、24ユーロもするのです。ブランチで24ユーロ???4回食べたら100ユーロよ!パリの人って、この物価高でなにやってどうやって生きているんでしょうか?誰か教えてください。ユーロ安でも物価高がこたえます。 値段に驚きつつも、「この前食べたらおいしかったから。」と彼が言うので、とても楽しみにしていましたが・・・やっぱりまずい。見た目はきれいだけど、なにをどうやったらこんなにまずく作れる?さめたパンケーキに、生焼けのラム。味の悪いマチェドニア。そしてこれまたすっごくまずい泥水みたいなコーヒー。 これが10ユーロならまだ許す。でも24ユーロってないでしょうよ。こんなわけわからないものを食べるくらいなら、なんちゃって日本食か中華でも食べていたほうがマシなのだ。日本だったら、千円ランチでももっといいクオリティのものが食べられると思う。まったくパリの人はなに考えてんだ。 彼はお食事チケットみたいなもの(8ユーロごとの券)で払っていました。会社が支給してくれるそうです。それならまだいいとしても、私のような自腹の人はどうしてくれんのよ。 その後「パリジャンは味オンチ」(ミツコ・ザハー著)を読みました。本当にそうかもしれないと思います。パリにおいしい適当な値段のレストランって少ないし、チーズやパン以外の加工されてる食べ物でおいしいものってあんまりないのです。しかもとにかく高くて、気持ちが悪くなってきます。スペインの倍はお金がかかります。 そして毎回驚く素晴らしいフランスのクレジットカードシステム!スペインは基本的にカードを使う時はID(身分証明証)が必要。でもフランスはカードを差して4ケタの暗証番号を押すだけで、マシンの照会時間もすっごく早いのです。で、お金を払ってるという意識もなく、ピッピコピッピコとナンバーを押し、気がつくとガンガンクレジットを切ってしまっている!みんながそうしているので、だんだん自分もそうなっていってしまう!キョエーーーー!おそらく気持ち悪いほど、お金を使ってるに違いありません。 ですので、意志の弱い人やお金に困ってる人、買物依存症の人は決してフランスに行ってはいけません。あとで恐ろしい額の請求がやってきます。 スペインでは普段まったくカードを使わないし、持ち歩いてもいません。失くすのが嫌なのもあるし、全然必要ないのです。つまり買わないし、もし買うとしても小額で現金払い。 だいたいそんなに高いものがないのです。飛行機代とか電車代、まとまったものだけカードで支払うので、さほど使う時がありません。でもフランスはなんでも高いので、どしどしカードで払っていってしまいます。向こうもカード払いで慣れているので、誰も嫌な顔しません。むしろカード歓迎、ぐらいな感じ。 パリはパリジャンやパリジェンヌがいて、アールヌーボー期の美しい建物、美術館、素敵なカフェもたくさんあって、本当に素晴らしいテーマパークだと思います。これが現代にまだあるなんて夢のよう。でも時々遊びに行って、買物して白熱するくらいでちょうどいいかもしれません。そうでないと、意味不明な食事の高さ(そしてまずい)とカード社会にやられます・・。
2009年09月30日
私のスペイン生活、1年目が終わりました。思えばあっちこっち行ってて、あまりスペイン見られなかった・・。 2年目は「ディスカバー・スペイン!」、じっくりスペインを見てみたいと思います。でも、ここの土地からはなるべく出かけます。人は親切だけど、とにかく田舎すぎて誰とも出会えないので・・。 洗練された環境が好きなのに、なんでこんな土着なところにいるんだろ?と考えてしまいました・・。踊りにも行けなくて、毎晩家でTV観てるなんて。金曜も土曜も関係なく、まったく盛り上がれませぬ。リーガエスパニョーラくらいです、ここでの楽しみは。 サッカーのTV放送がないときは、有料放送を観に行きつけのバルに行って、おっさんたちにまみれ、タバコの煙にいぶされつつ、レアル戦を観ています。おじさんたちは親切で、椅子譲ってくれたり、「あんたサッカー好きなのかい?」とか話しかけてくれます。女性がほとんどいない×アジア人がめずらしいのです。完全にオヤジ化しています! でも・・私の生活、こんなはずじゃなかった。なんで近所のおっさんたちとサッカー観てる??? 友達はみんな、私が楽しくやってると思っているのです。でも実際はオヤジたちとサッカー観戦(笑)。なんでよ? なので、今年後半からは私もワールドワイドに遠征に出ることにします。マドリッドやバルセロナが洗練されているかどうかは疑問ですが、少なくとも楽しめるでしょう。 この夏は5月病ならぬ、8月病のようでした。人生でもっとも暇な夏でした。そして人間はなんでも「慣れる」ということがわかりました。気温40度でもその中に一抹の涼しさを感じることができるようになるのです。 人生で一回も走りたいと思ったことはないのですが、突然走りたくなり、いったいどこへ走って行くんだ?と思ったら・・「ここではないどこかへ!」走って逃げたかったようです!ワハハ!でも暑いので走りませんが。 でもホームシックじゃありません。日本に帰りたいとかではなく、「ここではない」どこかへ行きたいのです。 先日はフランスにいる自分を想像してうっとりしていました(暇なのです)。ここじゃ、「オラ!カフェ・コン・レチェ!(こんちは。カフェ・オレ!)」とか叫んで、スチールのテーブルにプラスチックの椅子が関の山。まわりに見るべきような美しい男女も歩いてない。 パリだったら、「ちょっとお茶でも」っていうのが眺めのいいテラス席で、籐でできた椅子に腰かけ、通りの人をながめたりできますよね・・。右を見ても左を見ても、美しいっていい!見られる緊張感っていい!カフェにはギャルソンがいて、スペインバルにはオヤジ。ま、これはこれで楽しいけど。 観られる緊張感といえば、先日家に「ここに中国人はいませんか?」と人がたずねてきたそうです(私は留守で、同居人対応)。案外見られているようです。郵便のおじさんも完全に覚えてくれています。「オラ!郵便あるよ!」って道で手渡してくれました。それも同居人の手紙を。スペイン人、人を覚える才能だけはすごいと思う。どう考えても面識がないおじさんなのに。 スペインに比べてフランスが絶対にいいとは言えない。でもなんだか最近、「やっぱりフランスはいいなあ」と漠然と思っているのです。そしてフランスが素敵に見えるのは、「隣の芝生が青い」のと同じで、行ったら行ったで同じようなこと(か、今以上の苦労)になるだろうとわかっていても、やっぱりうっとりと想像してしまうのです。これも一種の逃避なのでしょうか。 というわけで、ちょっとパリに遊びに行ってきます。
2009年09月11日
先日のお祭りは、フランス人とスペイン人の美人と一緒だったため、人がわらわら寄ってきて大変だった。それに加えてオリエンタレスもいるので、目立ってしょうがない。TVクルーも、踊るアジア人を撮影しようとしていたし(みんなクモの子を散らすように逃げた)。 スペイン人の意味不明なところは、やたらと写真を一緒に撮りたがること。ここは田舎でアジア人が少ないので、特にやたらと写真を撮りたがる。いったいなんなんだよ! まだドレスを着ている時ならわかる。日本の花火大会にヨーロッパ人が浴衣着て参戦してるみたいな感じで、とても目立つと思うから。でもね、祭りで少しおしゃれしてるとはいえ、普段の服でいきなり一緒に写真撮りたがるって、まったく意味わかんないんだよ! 他にもいきなり手を合わせて拝む人やら、中国とごっちゃにしてる人やら、お金持ちの国だと思ってる人やらいて、もう大変。 とにかくこの祭りが終わらないと、この街は正常に機能できないので、ひたすら終わるのを待った。そしてようやく夏休みの話ができるようになった! ここの人たちはあまり先のことを考えられないので、せいぜい2週間先とか、よくて来月くらいである。その前にビッグイベントがあると、それが終わらないと話にならない。 この国に来て、日本人的に長期計画とか、老後とか考えるのがバカらしくなってきた。5年後どうしてるかなんて、知ったことじゃないし! こんだけ好き勝手に生きてたら、人生に悔いはない。やりたいことは全部やる!先はどうなるかわからないけど、満足。 私には子供がいないけれど、それもこの好き勝手な人生をやるために子供が必要なかったんだ、とこの頃思う。子供がいる人は子供から学ぶ人生、そして子供のいない人は、自分の人生をまっとうするために子供を持たないと決めてきたんだと感じる。子供がいたら、ここまで自由には生きられなかった。それを神様に感謝したい。 人それぞれ、人生の目的があって、自分の環境を選んで生まれてきてるんだなとしみじみ思う。私の置かれた環境も普通ではなかなかない状況だけれど、それも生まれる前の自分の選択だったとしたら、それはそれでよしとしよう。
2009年06月06日
いつも熱風の中、広場でネットをしているのですが、いつもアリとかクモとかいろんな虫にたかられます 笑でも今、六つ星のテントウムシ(レイディ・バグ)が手に止まりました!わーい!たしか「トスカーナの休日」という映画の中で、テントウムシはラッキーを運ぶサインなのです(他の国でもそういうのありますね)。手に止まったテントウムシを彼が取ってくれるのです。なので、テントウムシが止まったということは!陸は近い!とみなし、近々いいことがあるに違いない!と確信しました!すばらしいサイン☆ではこれから祭りに行って踊ってきま~す♪
2009年05月30日
最近いろんな人のブログを検索して、旅の参考にしている。みなさんのブログ、歴史とかいろいろ書いてあって、時にガイドブックより役に立つ。私と違い、写真をちゃんとアップしてあるので、だいたいの雰囲気がつかめる。みんなエライ!そしてマメ!旅行先を決められるのは、ほとんどみなさんのおかげ。 私は結局ギリシャに旅立つことになった(ひとりで 笑)。オリンピック航空で、片道約200ユーロ(税込み)。7月からバカンスシーズンでがばっと値上がりするので、6月中に旅立つことにした。なので宿代も思ったより高くない。サントリーニ島でも20ユーロとか25ユーロで泊まれそう。 ロードスに飛び、そこからクレタ島へまた飛び、ペルーで会ったゲイのカップルおすすめのサントリーニ、そこから同居人おすすめの島に行くのにダイレクトで行けないので、まず小さな島に行き、またそこから船に乗る予定。日本であまり有名ではない島なので、情報がほとんどない。これを聞いたのもなにかの縁さ!ということで、とにかく行ってみる。くわしくは、また帰ってきてから。 そしてアテネからどこかのヨーロッパの国へ飛ぶ予定。これがだいたい100ユーロちょっと。日本から考えると夢のよう・・。九州帰るのと同じくらいの値段でギリシャに飛べるなんて。 ギリシャは子供の頃の最大の憧れの国だった。ギリシャ語を習おうとしたこともある(紆余曲折があり、その後アラビア語も断念し、結局スペイン語になった)。でも20年前に行って、結構がっかりした記憶がある。アテネなんか排気ガスがすごくて(イスタンブールも同じだった)、「これがあの私の憧れの国????」と思ったものだ・・。それっきり興味を失ったギリシャ。 あれから20年、ちょっとは空気がマシになっていることを祈る。 今回は島中心なので、排気ガスに悩まされる心配はないと思う・・。むしろ日焼けのほうが心配(ひょえ~~~)。
2009年05月29日
ヴェネチアから船に乗り、バスに乗り、飛行機に乗り、タクシーに乗り、電車に乗り、またタクシーに乗ってスペインに戻って来た。隣の国なのに、ホテルを出てから9時間半、一日がかりだ・・・(疲)。しかも私は40キロ近い荷物を持っており、石畳では死ぬような思いだった。ロバかなにかみたいな気がしてきた。 みんな「よくその荷物でヴェネチアに行ったよね。」と言う。あと、私が一人で全部手配して、衣装を借りてパーティに行ったので、そのことに驚いている。英語のサイトを読んで、メールを送ってやりとりするのは、私にとってはたいしたことじゃない。なにより好きなことのためだし。それよりスペイン語のサイトが読める人のほうを尊敬する。でも人は、自分がしようとも思わないことを他人がしていると、驚くものらしい。 今、フランス語のセミナーに出たくてしかたないのだけど、フランス語がわからないので、セミナーの案内を読むのすら苦労している。メールの返事もフランス語でくれた。スペイン語に似てるので、字を見るとうっすらわかるけど、会話となるとほとんどわからない。なのに、セミナーに行きたいのだ。これこそ無謀だと思う。せめてスペイン語かイタリア語だったらな。 さてヴェネチアは観光客慣れしているせいか、重い荷物を持っていても、人は誰も手伝ってはくれなかった。さすがにバスに乗る時は、フランス人が手伝ってくれたし、スペインに入ったら、スペイン人が助けてくれた。 フランス人はやっぱり垢抜けている。ヴェネチアを歩いていても、服装がこぎれいですぐわかる。 ヴェネチアではあまり目立たなかったスペイン人だが、空港にはいた。やっぱり列は作れなくてグダグダだけど、この垢抜けなさがなんともほっとする。それに親切。 マドリッドに着いたら、さんさんと日が差し、やけにあったかい・・・。道行く人はジャケット姿。私なんてダウンコート着てるのに! トランジットしたウィーン、氷水に入ってるみたいに寒かった。そしてヴェネチアも、日が出ている時は少し暖かいものの、普通に冬だった。 そしてマドリッド・・まだ2月中旬なのに、完全に春!家のある街に帰ってきたら、春を通り越し初夏みたいだった。日本でいうと桜が咲き終わって、5月の初めみたい。 えーっ、冬はどこへ行った???日本からフリースやらなんやらたくさん持ってきたのに、もう今年はいらないみたい・・(残念)。むしろもう、日焼けを心配したほうがよさそう。「春と秋が短くて、一気に暑くなり寒くなる。」と地元の人が言うので、多分、死ぬほど寒かった冬はあっという間に終わり、もう少ししたら、またあのありえない暑さがやってくるんだろう。あの暑さを考えると冬以上にうなだれる。日中は40度を超えて、意識が朦朧としてくるし、夜は暑くて寝られない。そして電気代が高いので、日本みたいにエアコンをかけて寝るなんて芸当はできず、だいたいベッドルームにエアコンはない。 この前日本に帰って、2日ほど家にエアコンがあることを忘れていた。すごく寒いなあと思って着こみまくる。そして「なあんだこの家、エアコンあるじゃん!」と気がついた時は笑った!!!いまやエアコンは家のお飾り! 暖かくなったとはいえ、家の中や日陰は寒い。スペイン人は薄着だが、私はまだ冬の服装。人がどう思おうと、日陰対策バージョンで行くのだ! そして、同居人が秘密兵器を購入していた。それが・・湯たんぽである!今まで人生で多分使ったことないかもしれない湯たんぽ。正直湯たんぽなんて、と今までバカにしていた。 電気代節約のためと、ベッドがあまりにも寒いので買ったらしいのだが、これがすっごーく暖かいの!一回借りたら返したくなくなったので、次の日、さっそく中国雑貨屋に買いに行った。 英語ではホットウォーターボトル(そのまんま)、スペイン語ではボルサ・デ・アグアカリエンテ(これもそのまんま)、他の言い方もあるようだけどカレンタドールとも言うようだ(強そうだ)。日本の語源はわからないけど、婆という字が入っている。湯もたんも同じ意味のようだし、湯たんばばあ???中国由来の音らしい(私の電子辞書による)。 お風呂もシャワーしかないので、この湯たんぽはちょっとしたお風呂気分を味わえる。首や背中を暖めて、ホットストーンセラピーみたい!と一人で思う。 いまや同居人と私は、家にいる時は、TVを観るときもこたつに入ってる時も、湯たんぽをおなかに抱っこしている(笑)。ちょっとした妊婦またはカンガルー気分も味わえる! タダ(お湯のみ)でこんなにあったかいなんて夢のようだああああ・・・。 人間って、暖かいだけで体がリラックスする。疲れや寒さで体の緊張の取れない方、どうぞ一度お試しください。
2009年03月05日
いよいよ旅立ちます。いろんなものを捨てました。とりあえず、楽しんできます。バッテリーがないので、くわしくはまた後で。いろんな人に助けられました。今月は水瓶座に惑星が大集結です!なんかいいことありそうだ☆
2009年02月12日
ついに家のことを父の友人に頼んだ。遠くの親戚より近くの他人、とはよく言ったもので、親戚なんかより赤の他人のほうがよっぽど親身である。 ここまでの道のり・・長かった。人にご迷惑をかけてはいけない、人をわずらわしてはいけない、自分でできることは自分でしなくてはいけない。家でそう教えられてきたので、本当に人に頼るのが苦手だった。家族は人のお世話はしても、自分たちは極力人のお世話にならないようにしてきたので、今までの人生大変なことも結構あった。 でもこの一年の出会いの中で、いろいろ気持ちの変化があった。まずはスリランカで出会った女性。私とはちょっと似た境遇の人で、「田舎の家は近所の人が見てくれてるんですよー。」と言ったこと。 それから先日イギリスで会った人たちが、みな高齢ながら非常にお元気だったこと。70歳なんてまだまだこれからって感じで、ピンピンしてた!77歳で車を乗り回し、買物に行ったり、庭仕事したり、体力も気力も充実している人を見た。自分の家族や親族が長生きしてないので、他人が元気で長生きだということが今までよく理解できなかったし、元気なご年配の方たちを見ると、うらやましいを通り越して涙が出そうだった。 私の近所の人たちは、リタイアした高齢の人たちが多いが、これまたみなさん元気だ。ここへきて、やっと本当に平均寿命は80歳ということに納得した。また元気な人は元気で、気持ちも若いということを理解した。 そしてこれは想像だけど、歳を重ねれば、誰かの役に立てるということが、とてもうれしいことなんじゃなかなという気がする。 そして極めつけはスペイン!なにをするにも他人に頼ったり聞いたりしないと、なにひとつことが進まないこの国で、私は「人に頼らない」ことをあきらめた。そうとなったら頼りまくりである!!! そんなこんなでこの一年、私の考えは少しずつ変わっていった。結局、私は60代後半のご夫婦に家をお願いした。本当は業者に頼むつもりだったけれど、日本に戻ってみたら、「○○さんにお願いしてみたら?」と頭の中で声がしたのである。 「しばらくヨーロッパに行きます。」これがなかなか言えず、「年配の方には理解してもらえないに違いない。」と思いこんでいた。 ところが、近所の人(70代)はすぐさまこう言った。「一人で東京にいるよりは、それがいいかもしれませんね。」「は???」 この人はいつも親身な方なので、本当にそう思ってくれていた。結婚もせず、あちこち飛び回る私(笑)の行く末を、心配してくれていた。 他の人も全然「なんで?」とかも聞かなかった。「あっそ。いつ?」って感じで、別に誰も疑問に思ってない! 家族もよく海外に行っていたので、その子供も当然と思ったんだろうけど、あまりにも誰も驚かないので拍子抜けした。 つまり、私が勝手に「年配の人は理解がないし、体力もない。」と思いこんでいただけで、みんな元気で気力もあり、頭も柔軟だったということだ。ま、私が嫁だったらダメだろうけど(笑)、他人がどうしようと別にどうってことない! これからは、人にもお世話になりつつ生きていくことにした。そしてそのご恩はまた別の形で、いろんな人たちに返していきたいと思う。 世の中には私みたいに、ちょっとしたことで困っている人がたくさんいる。少し手伝ってもらえると本当に助かる。そしてそうやって人間関係もできていくのかなと、今頃になってわかったのだった。
2009年02月07日
なんとか、引越しを終えました。いろいろまだ問題はあるのですが、字も読めるし、すぐ調べられるし、日本は世の中きちんとしてるし、海外の苦労に比べたら屁でもないです(と思いたい)。本格的な苦労はこれからだろうけど、なんとかなると思う!うん(と思うしかない)!すんごいやりきった感。そして、また一歩ヴェネチアに近づいたと思う。馬にエサをやるとか、散歩とか、はちみつを買うとか、些細なことで楽しめるようになったので、今なら田舎暮らしも楽しいと思ったのですが・・すでに1日で微妙かも(笑)。東京という選択肢がないとなんとかあきらめもつくのですが、一度味わってしまうと、東京の便利さも捨てがたい。でも、東京にいると人が多くてヤダと思うし、田舎だと暇すぎるし、本当に贅沢な願いですね。思いたったら電車で行ける距離ならいいけど、やっぱり遠いーーー。いやー、でもきっと外国に行ったらまたあきらめつくね。人生、あきらめも肝心。9日間バンバンガンガン捨てまくって、死ぬような思いでした。箱づめが一番大変で、結局運び出すのはたったの1時間。・・プロの仕事は早かった。そして今度はその荷物を家に入れないといけないので、そのスペースを確保しなくてはなりません。いったいどうするんだろう(人ごと)?「えーい明日考えよう!」ってだんだんなってくる!ここ数日で捨てる習慣がついたので、その他のものもようやく捨てられる気になってきました。たぶん今なら捨てられるし、レイアウトも変えられる。今まではなにひとつ変えたくなかったのに。すごく大変だった引越しだけど、結局「なんでもっと早くやらなかったんだろう?」と今は思います。寂しい気持ちの反面、すごくせいせいした気持ち。でもきっとこのタイミングでよかったんでしょう。とにかく今までの行い(掃除片づけ嫌い)を反省して、今年は、☆目についたいらないものは、手当たり次第に捨てる。☆毎日20分ずつ、どこか1ヶ所を片づける。というのをやりたいと思います。これからは買物も、よーく吟味して、本当に欲しいものだけを買おう♪
2009年02月01日
完全に引越しブチ切れぎみです!他にも段取りすることが多すぎて、倒れそう。あと2週間以上、ノンストップで働かないと間に合わない!というわけで、ストレス解消にこれを書かせていただきます。ようやくパックにもメドがつき(一時はどうなることかと思った 笑)、なんとかなりそうです。引っ越し業者の人にはイナフではないでしょうが、片づけ嫌いの私には、限界MAX!よくがんばった!あと細かいものは、ぶん投げるしかない!酒も飲まず(注:やる気がなくなるので)、出かけもせず、ひたすら一人でパックの日々。そりゃあ暗くもなるわな。最近、夢も希望もあって元気だけど、今日はさすがに落ちこんだ。ま、そんな日もあります。いい加減、人と話したいよー(笑)。掃除と片づけが苦手な人には、精神修行というか、滝に打たれるくらいの大変さがありました。でもだんだん捨てるのが楽しくなってきてるのは事実です!カレン・キングストンばりに「思い出のあるものはなんでもかんでも捨てちゃう」のだ!家具もほとんど捨てるし、新しい人生がやって来る余地を作るのです!!!冷蔵庫も洗濯機ともお別れ。5年以上たったものは買い取ってもらえません。まだまだ使えるのに、残念・・。ヨーロッパで唯一いいのは、アパートに家具や家電が一通り家に備わっていること。毎回の引越しの時、冷蔵庫や大型家具、ベッドなどを持ってうろうろしなくていいのです!!!オーナーの趣味が悪いとどうしようもないのですが(笑)、それでもでかいものを取り外したり付けたりして大変な思いしなくていいのはすごく助かる!日本の場合、家のものすべてをひっぱがして、また新しいところで一から始めないといけないので、私のようにものぐさな人間には、苦行でしかないのです。さあ!新しい人生がやってくるのを期待して、もう一息がんばろう!エイエイオー☆
2009年01月28日
私が今、一番思うこと・・それは「日本の女性は、いつも若く見えて、やせてきれいでいることにプレッシャーがある!」 まるで、若くてきれいでない女性には価値がないみたいに思いこまされている。そして、あえて言うなら、いつもはかなげで男性に守られて生きる(ように見せかける)人が多い。TVを観てすごくそう思う。でも本当は、女性はもっとたくましい。 みんながみんなそうではないけれど、そういう傾向があるように感じられる。 かつては私もそうだった。毎日お化粧して、いつもきれいにしてないと気がすまなかった。一度出かけてからコーディネイトが気に入らないので、戻って全身総とっかえして着替えるようなタイプだった。 けれど、今になって化粧もやめてフリースでうろうろしても平気になってくると、若く見えようがやせていようが太っていようが私は私だから、人からの評価は関係ない!と思えるようになった。というのも、欧米人はみんな顔が派手だし、比べものにならないから。あと向こうの人に比べたら若く見えてるし、いつもやせてると言われる(日本に帰ったらいつもみんなもっとやせてて驚くけど 笑)。 前に一度、同じように「どうでもよくなった時期」というのはあって、それははっきり言って「恋愛を降りた」時にそういう気持ちになった。身なりもどうでもよかった。でも今、はっきり違うのは、「あきらめた」のではなくて、「自分は自分でいい」という境地に達したこと。ユニクロを着てても私は私だし、変に着飾って若く見せなくても良くなったの(笑)!この違いは大きい。 この歳になって、ようやく「人からどう思われるか」とか、そういうことがどうでもよくなった。私はやっと大人になった。これがヨーロッパでの収穫。あの好き放題のスペイン人を見たら・・ほんと他人なんかどうでもいい(笑)。みんな自信満々だし。 「ぼろは着てても心は錦」ならぬ、「なにを着てても私は私」。 歳相応に見えてていいんじゃない?もっと自分自身を生きる女性が増えたら、日本はもっと楽しくなると思う。人が若く思おうが、きれいと思おうが、それはその人の勝手じゃない? 自分が「美しい」と思っていれば、それでいいんじゃないの?と思ったのでした。私たちは強い。もっと自分に自信を持ちましょう!
2009年01月27日
溜めに溜めこんだ荷物(いらないモノ)・・・いったいどうやって溜めたんだい?!というくらい大量。今のところ、ダンボール約10箱分は捨てたと思う。ほとんど力仕事。気力のみ。ごほうびだけじゃ、がんばりきれない・・・・・・・。 そして今、切実に思うこと・・「もっと早くから捨てておけばよかった!!!!!」 どうしてこんなギリギリまで、なんにも片づけてなかったの???現実を見ないで、逃避してるとこんなことになる。おかげで、映画もお買い物も本屋にも遊びにも全然行けない。DVDだってほとんど見られない。せっかくの日本なのに。全部身から出たサビ。 加えて送るものと持って行くものもまとめなくてはいけないので、さらに大混乱。この狭い家にスーツケースが3個もあるし! 運送屋さんにも、「荷物をまとめとかないと運べないし、追加料金がかかりますからね。」とビジネスライクに言い渡されてるし、意地でもパックしときたい。頭に来たエネルギーでなにかやると燃える♪ というわけでみなさん、手遅れになる前に、どうか毎日少しずつなにかを捨ててください。私は毎日、「なんなのこれ?こんなのまだあったんだ?!」と自分で驚いてます。 そして遊びにも行けないので、ここに書くくらいしか人と話す暇がない!ずっと家にこもって作業しているので、「今、本当に東京だっけ?」と思う!んもーーー残念! 唯一よかったのは、今が人生で一番不安がないということ。先の展望もないし、将来も不透明だけど、なんとかなるさ的な、なんだかせいせいした気持ち。やっと脱皮したというか、人からどう思われるかとか変なしばりもなく、自由になってきた感じがあります。ずっと日本にいたら気がつかないことにいっぱい気がついたというか。
2009年01月25日
掃除、片づけ、引越し、準備と不得意なもの大量にやっているので、モチベーションが上がらない。そこで自分で自分に誕生日プレゼント兼、馬の鼻先のにんじんの代わりとして、今年のヴァレンタインと誕生日、ヴェネチアのカルナバルに参加することにした!それもエスコートなしで、一人でコスチューム着てパーティに乗りこむ予定♪ 間違いなくそんな人いないと思うし、場違いかもだけど、とにかく行くったら行く。なんとかなるのさ♪でもなぜ、ヴァレンタインと誕生日に一人なのかは聞かないで(笑)。 そもそも今年はヴェネチアに行く予定だったし、その後日本に戻るつもりだった。でも人生はわかりません。こんな風に展開していくなんてね。この先行き不透明感、最近なにかいろんなことがふっきれたような気がする。そうでなきゃ、一人でヴェネチアに行こうなんて思わないし(笑)。 いかなる場所でも楽しめるタイプなので、それなりに楽しめるはず。 そのヴェネチアの旅については、また後日書きたいと思います。 今年は木星が水瓶座に移り、水瓶座にとって12年に一度の幸運年。なにか運気をつかむのだ!吉方位だし! 先日、ライフリーディングというものを受けた。周期的になぜか受けたくなるリーディング、2年前受けたのがあまりにもしっくり来ず、はずれていて(笑)、それで性懲りもなく再度チャレンジしてみたのだ。こういうものは、何回か受けてその平均値で考えたほうがいいんじゃないか?と思う。何回もいろんなものを受けていると、自分の本質については、みな同じことを言っているのがわかってくるし、その自分の本質、本来の質へと年々近づいていっているのだ。それにつれて、自分は自由になっていく感じがある。 その方が言うには、前世、イタリアに強い関係性があるということだった。あと南フランス?! 南フランスは一度しか行ったことがないけれど、イタリアは何回も行っていて、ヴェネチアも3回くらい行っている。今回のヴェネチア訪問も、このリーディングの前に行くことを決めていた。そして今回、スペインを選んだのも前世の記憶で、無意識ではないとのことだった。 「南フランスに行ってみてはどうか?」とその人が言うので、急にその気になってきた・・。先日も「好きな雰囲気は・・南フランス」と別の人と話していたばかり。ほんと、不思議。 あと、何回か修道女だったことがあると言われ、妙に納得。最近も「こうなったら、あとは修道院に行くしかないわね!」と思っていたし、修道女が非常に気になる(そんな人、他にもいます?) ペルーでも修道院が一番気に入ったし、クリスチャンではないのに、教会に行くのが好きで、無名の教会でも小さくてもなんでも、教会には全部入ってみる。でも今世ではもうキリスト教については、よくなってしまっているけれど。 なので、たまたま今年はヴェネチアに行く年と決めていたので行くことになったけど、そんなこともあってなんだかいろんなことが偶然ではないような。そして、そのあとは南フランスに行くことになるでしょう。 このリーディングは、バルセロナで会った瞑想の先生のご紹介。正直バルセロナではあまり収穫がなかったけれど、次の展開、「南フランス」というキーワードを聞きに行ったような気もしている。 本当に南フランスになにかあるのか?わからないけれど、おもしろいからいいんじゃないの? そして旅はまだまだ続く・・。 おっとその前に片づけなくちゃ!チャオ♪
2009年01月23日
ようやく引越しの準備にとりかかった。あと9日ですべてをやりきらなくてはいかーん!「もうギリギリですよね。」・・おっしゃるとおり。そして、引越し料金がなんと・・25万もするのだ!15万では無理だった。人を2人、4日間も拘束するので、このお値段。なんと不眠不休で交代で運転していくと言う・・。やっぱりすごいよ日本は。 冷蔵庫や洗濯機など、ほとんどの大きなものを捨てていくのにもかかわらず、この料金。地方出身者が、いったん東京に出たらなぜなかなか帰れないか、これでよくわかると思う。往復したらその倍。一度帰ったら、その荷物はまた送り返せないと思う。 で今、狂ったようにパックしているのだが、いらないものがたくさんある。捨てられない片付けられない人には、これくらいのせっぱつまった荒療治でなくては無理なのだ。 とにかくがんばれ、私。 なんのために東京を離れ、日本を離れようとしているのか、正直よくわからない。でもなんだかわからないけど、行かなくちゃいけない気がする。大好きだった東京を離れるのは一種の賭け。その先のことはまったく未定。でも時に人はなにかを捨てて、わからない方向へ向かって歩いていく必要があるのだ。その象徴的なことがこの「引越し」と「捨てる」行為なのである。 家具も電化製品もカーテンもなんでもかんでも脱皮みたいに全部捨てる。そして新しいものがやってくるのを待つのだ。 新しい人生、新しい出会いに期待!そのために今がんばる! それだけではさすがにがんばりきれないので、ごほうびを用意した。 つづく
2009年01月21日
やることがあって、忙しいときに限って、他のことがしたくなります。例えば今書いてることとか(笑)。 さて、日本に帰ってきてから、ユニクロにもう3回も行ってしまいました!!!ユニクロ最高!!!7500円でTシャツ3枚、フリース1枚、ウールのカーディガン1枚買えました。元々安いのに、さらにセールになってる!GAPではこの値段ではカーディガン1枚しか買えない(たぶん関税が高いと思われる)! 前に書いたのですが、スペインにはろくなフリースが売ってなく、あったとしても高いので、すごく寒い思いをしていました。でも!フリース上下を買ったので、これで寒さ対策は万全!!!!ユニクロではないですがダウンコートも買ったし(これまた向こうではろくなものが売ってない)、完全におしゃれより寒さ対策!おかげで私の荷物はほとんどフリースです。 正直、今まで「ユニクロ」なんか・・と思っていたし、全然買ってもいませんでした。イタリア人とかが、「日本に行ったら、ユニクロで買い物する」と言うので、「なんでイタリアから来てるのに、ユニクロ買うんだ?」と思っていたのです・・、もっとおしゃれな服がいっぱいあるのに。でも、今ようやくわかった!おしゃれな服はあるかもしれないけれど、シンプルで品質のいい、価格の安い服がない! とにかく日本のものはマテリアルがいい。デザインはスペインやイタリアのものがいいですが、縫製や生地はだんぜん日本。なんの心配もない。向こうで買い物する時は、よーくチェックしなくちゃいけない。アクリルは混じってるし、ウール100%を探すのが大変。それでいてこの価格!そりゃあ買うしかないでしょう!!! シンプルな服は安くて品質のいいものは日本で、デザイン性のある服はヨーロッパで買う。これがベスト。日本だったら、「あ、ユニクロ着てる」と思われるでしょうが、外国だったら、絶対わからないし。最近は、都心に出るのにもフリース着ています。フリース天国♪ というわけで、ユニクロに狂っています。日本の宝はたくさんあるけれど、ユニクロは日本の宝のひとつだと思う!個人的に日本の宝に認定!!!
2009年01月18日
今週の驚き:水道ホースで道を掃除していたのはいいけれど、外についているキャッシュディスペンサーまで洗っていた!画面もなにもかもがびちょびちょ。あれって、濡れてもいいものか? アートって難しい。前々からわかっていたことだけど、音楽もそうで、玄人受けする音楽と普通の人が聴いて楽しい音楽ってかなり違う。例えば武満徹はすばらしい作曲家だと思うけれど、家でまで聴きたいとは思わない。 アートもそれと同じで、「いかにおもしろいか」が問われている。いびつな形でも、おもしろければそれでいい。きれいに作ることは求められてない。「僕は白とブルーが好き。シンプルなのがいいんだ。」と同居人は言う。が、それではアートにならんのだ!シンプルすぎて、ボツ。 わかってる。お皿はシンプルなほうがいいに決まっているし、料理はすっきりとした白い皿に一番映えるって。 でもブラッド・ピットがアカデミー賞にノミネートされないように、紅白に出る人が売れている人とは限らないように、ベストセラーと文芸が違うように、売れるものの賞を取るものは別もの。実際必要なものと、アートってまったく違うと思う。そこが難しいところだ。 たぶん私の音楽の見方と同じで、先生も自然とアーティストの視点から作品を見ている。なので、先生の見立てと私はいつもずれている。私はきれいに作りたくなってしまう素人なので、「いかにきれいに作らず、なるべくおもしろくなるか?」ということからすぐに離れてしまう。 アートって難しい。いいものって難しい。シンプルって難しい。なにがいいかなんてその人次第だから、それも難しい。 なにがアートで、なにがいいものか?毎日考えている。急に世の中の模様という模様が目に入ってくるようになった。「意識を向けたものは拡大する」ことをひしひしと感じる。 街路樹はオレンジの木だ。いい天気なのに、外でゆっくりする暇もなく、ひたすらデザインについて歩きながら考えている。
2008年12月01日
バルセロナで、ディーパック・チョプラ氏が講演するカンファレンスに出た。 私の瞑想の先生がプレゼンテーションをするので、それも兼ねて見に行った。思ったよりもスケジュールがタイトで、チョプラ氏とも話す時間がなかったけれど、それでも急いで近づいていって、本にサインをしてもらった。 チョプラ氏は・・思ったよりもビジネスライクな感じがした。本が哲学的なので、もっとダライラマとか、「ナマステ」的な人物を思い描いていた。でも実際会ってみると、「成功してお金持ちのインド人」にしか見えなかった。 時々、本と本人のギャップに悩む時がある。でもそれは私が勝手に作り上げた人物像であって、相手にははなはだ迷惑なだけかも。 有名になると、いろんな人がいろんなイメージを持って近づいてくる。それに飲み込まれないようにうまく折り合いをつけていくためには、このくらいドライな感じでいいのかもしれない。 瞑想の先生のダンナサマもいらしていた。予想と違って・・・もの静かな方。そしてスピリチュアルには興味がないというのだ!でもすごく奥様をサポートしていらした。 先生は女性起業家という感じで、外国人とのマッチングが絵的にすごく似合う。「なんで男に生まれなかったんだろうと思いました。」と言うので、思わず、「私もです!」と答えた。私も子供の頃から男に生まれたかったのだ。なかなか女性でそう思う人に出会えなかったので、思わず共感。「私について来て、ってタイプなんで。」と先生が言い、そういう女性の場合は男性を選ぶ時、「ついてきてまかせてくれる人」を選んだほうが幸せな場合もある。 皮肉なことに先生も私も見た目がフェミニンなので、誤解されやすいようにも思う。 今までスピリチュアルに興味のない男性とつきあうのはどうかな???と思っていた。でもサポートして応援してくれるのなら、それはそれでいいのかもしれない。 働く女性が選ぶ男性は、自分をサポートしてくれる人。マッチョな男は必要ないのよね。 今回私がカンファレンスに参加したのは、スピリチュアルな知り合いが増えればいいな、と思ったから。いい具合に同居人も留守だった。彼はスピリチュアルに興味がない。スピリチュアルの超入門書のような「ザ・シークレット」でさえ、全部読みきれなかった。「だってあの本、全部同じようなことが書いてない?」と彼は言い、女性たち(私を含む)に、「考え方を変えるには、何回も練習が必要なの!」と言い返された。 今回、何人かのスピリチュアルな人たちと話をした。いい人もいれば、すごく主張の強い人もいた。瞑想は霊性を開花させるいいツールだと思うけれど、絶対的なものではないし、人に強要するものでもないと私は思う。 時々感じることだけど、スピリチュアルなリーダーは、時にして強引な人もいる。私は少し疲れてしまった。自分も他人になにかを強く強要してないか、気をつけなくては。 あるスペイン人は、食事の時水を飲んでいて、「アルコールは飲まない、タバコは吸わない、肉もあまり食べない」という上に、「サッカーも興味がないし、踊らない(多分)」と言うので、ヘルシーで素晴らしいことなんだけれど、ちょっとつまらない感じがした。やっぱり世俗の楽しみも捨てられない。人間って、なんで中庸ってのが難しいんだろう?スピリチュアルに目覚めている人は、時々すごく極端だ。 私はこの田舎に来て、現地の人と知的な会話がないのにほとほと疲れていた。もっとインテリジェントな人たちに会いたかった。でもこの意味のない会話にも意味があるのかもしれん(笑)。 世の中に完璧な人なんていない。スピリチュアルに目覚めていて、知的でそれでいて世俗の楽しみもわかっている人なんて、バクとか私の想像上の架空の生き物かもよね。永遠にその人を探しつづけておばあさんになるか、普通の人間の男性と妥協しながらつきあうか? カンファレンスに来ていた別のインド人の先生が、「相手に少しずつ本などを読ませたらどうですか。あせらないでね。」と言ってくれて、確かにそうなんだけど、と思う。 もしくは、私が存在していることで、お互い影響しあって少しずつ考え方が変わるのかしら。
2008年11月19日
ペルー編の途中なのですが・・・大きく人生を変える時期に来ました。毎日、不景気なニュースの中、今勝負です!わははははは!気持ちがしおれそうですけど、こんな時こそ気楽に楽しく生きましょう!もうバカになるしかない!!!たぶん、しばらくニュースは見ないほうがいいかもしれません。しばらく更新できないかもなのですが、またそのうち(か、すぐ?)戻ります。いつもお読みくださっているみなさん、ありがとうございます。ペルーとカナダの続きはまたのちほど。
2008年10月20日
「ペルーで驚いた」の途中ですが、あまりにもうれしかったので書きます。 今日、岸恵子さんのトークショーに行きました。というのも、この前、ある場所を通りかかったら、あと5分で岸さんのトークショーが始まるところだったのです。すごいシンクロ!と思いきや、気がついたのが遅すぎて、当日券もソールドアウト。あーん残念。 「行けないということは、行かなくていいということよ」ちょうど前売りの発売の頃は私はペルーだったんだし、と自分をなぐさめました。でもこういうことにかけてしつこい私は、別のトークショーをネットで探して出かけてきました。 そうです、岸さんは私が一番憧れている人なのです☆お年は書きませんが、あの美しさと知性。そして50年前にフランスに一人で乗り込む勇気。私の歳を重ねた時の理想は岸さんなのです♪ 実物も本当に本当にキレイで、お肌もピカピカ。もっと大きい方だと思っていたのですが、やせていて、身長も思ったよりも高くありませんでした。そして最近訳された本を朗読してくださったのですが、なんと眼鏡なしで読めるのです!!!これはすごい!!! これは私の解釈ですが、「○○歳になったら老眼になる」と思っていないから、老眼にならないのです。 「70代になったらこんな感じのおばあさん」と思ってないから、岸さんはおばあさんにはならないのです。これはすごいことだと思います。元々美しい方ですが、ただそれだけではこの美しさを維持はできません。気力も努力も気持ちも必要だと思います。 フランスに渡っていろいろ苦労されたそうです。買ったアパートメントの不備で、上の階からの煙や水攻めにあったり、言葉の問題などなど。とにかく「フランスでは主張しないとどうにもならない。」と言っていて、私も本当にそうだなと思いました。 最近日本ですごく怒ったことがあって、嫌な気分になったことがありました。「私はあなたとはどうもやっていけないので、担当を変えてほしい、ついてはあなたの上司と話したい。」そう言った私は、なんだか段取りの悪いダメな部下を怒ったあとの気分・・。でも私はお客さんなので、主張しないと相手もなんだかわからないのです。おそらく日本でこんなに怒る人いなかったかもしれず、その若い人には悪いことをしてしまいました。でもそんなのフランスでは当たり前なのです。とりあえずダメでも言ってみる、気に入らないことはNOと言う、私もあちこち行くうちにそんな習慣がつきました。日本で主張するのは難しいなと感じていたので、岸さんの話を聞いて、今回の件も「まあまあ」と、うやむやにしなくてよかったな、と思いました。 さて最後5分間、質問タイムがありました。前回桃井さんの時、出遅れて質問できなかったので、今回はとりあえず手を上げようと思ってました。でも質問の時間があるとは思わず、特になにも考えてなかったのです・・。 まあいいわ、えいや!と手を上げたら、私一人でした(笑)。それで前に出てくるように言われました! 私はこの会場に着く前に「いい場所に立たせてください、席はいいですから。」と天にお願いしたところ、見やすい位置にいたばかりか、前に出るのも簡単なところに立っていました。というわけで、かなりの至近距離で質問です! ちょうどその前がファッションの話で、「人は見た目や所作が大事」ということを話していたので、目の前に出るのはいい度胸なのですが(笑)。 そして、岸さんが私を見つめていました。キャーーーーーーーーーーーー!完全に舞い上がる私。よくこういう時、質問より前置きが長い人いますよね?個人的な話とか、だからなんなんだ?みたいな。もしかして私、人生初のアレになってしまったかもしれません!でも「はー長い!」っていう人の半分くらいだったと思います(すみません)。もう今後、金輪際、質問の前置きの長い人にイラつきません!きっとその人は、その相手のすっごいファンに違いなく、思いのたけを語っているんですから。今ならそのお気持ち、よーくわかります。 「岸さんお本を読んで、パリの行きつけのパン屋さんなどに行きました。ずっと憧れてまして、将来的には岸さんのようになりたいなと思って、家に写真を貼ってあります。」あーん、これってストーカーみたいー(笑)!どうかビジュアライゼーションということが伝わっていますように。 私の頭は真っ白だった。声もふるえていた。「いろいろ苦労されたということですが、結果的にそれでもやっぱりパリに行ってよかったと思いますか?」 私の質問に、私だけをじっと見つめて答えてくれた。「はい、行ってよかったと思いますね。(中略)行かなかったら強くもなれなかったし、もっといじいじしてたかもしれませんよね。」 1分くらい私の目を見て、質問に答えてくれたため、私は完全に舞い上がってしまい、答えをよく覚えていない。とにかく、学校を1年でやめたり、パリではいろんな苦労があったけれど、行ってよかったとのことだった。「行ってよかったと思いたいじゃない。」と言ったような気もする。よくわからない。とにかく行ってよかった、強くなったということだけはよーくわかった。それでいい。 ここで終わるはずだったが、一言つけ加えたかったため、壇上に近づいた(大胆♪)。すでにマイクは取られていたので、私は岸さんに近づいて言った。「実は来週から○○(国)に行くんです。だからどうしてもお聞きしたくって。どうもありがとうございました。」「まあ○○はフランスと違っていい国よね。」 楽しいと思うわ、か好きだわ、と言ったような気がする。でもよくわかんない。でもとにかく好印象みたいだった。フランスと比べていいかどうかは別として(結構アバウトで大変)、フランス最高!みたいなことだけでなく、ちゃんと悪いところもしみじみ味わっているところがいいなあと思った。どんなに素敵な国でも、嫌なところは必ずある。そして、最終的には岸さんでさえ、根っこは日本人だということ。これはどうにも変えられない。 岸さんに個人的な話をした私はとっても厚かましい。でもこの日の会場は、あまり「我も我も!」みたいな人がおらず、質問の手ももう一人しか上がらなかったので、私は有意義に時間をいただいたのでした。神様ありがとう。なんかこれ、天からの答えのような気がします。 私がしゃべっているという感じがしなかった。誰か他の人が話してるみたいな気がしました。「あまりにも苦労が多すぎて、(性格が)バカ明るくなってしまった」「乗り越えられない試練は来ない。」「家でなにか裸足でふんづけたと思ったら、ゴキブリでした(笑)。でもそんなの平気、なんともないわ。」 こんな苦労をしてもパリに住んだのは、岸さんには日本だけにおさまりきれないなにかがあったからでしょう。 こんな話を聞いたのも、きっと必然。私ももっと強くなろう♪ そして思っていることは実現する。岸さんに憧れている私は、いつか岸さんのようになるだろうと思うのです。パリのおばあさんの物語 千倉書房 岸恵子訳
2008年10月13日
hi, Im in Arequipa, its very beautiful town.I alomst finish my travel in Peru, I move to small Island in Canada, day after tomorrow.I had hard schedule, I m tired... but Many Japanese also same, I think.see you!
2008年09月23日
I just came back from MP. I met many Japanese almost 15- 20 % people.sugoku omoshirokatta!I stayed in Mp 8 h & half.kuturogunoni saiko--!kaettara, matahoukokushimasu. onsen niha hairimasen deshita.buenas noches!!!!
2008年09月21日
hi, evrybody, Im in Cuzco.Im not KOZAN BYO, Im fine now. the driver recommended take sorojchi pills, then I took them every 8 hours.must be Im OK.Yamai ha Ki kara! dont worry!Cuzco is interesting town. I cant imagine Spanish came to this town in 16 th century.too much desire!see you seen & I ll white again later! because I have yo go!
2008年09月17日
It was very nice and I was OK.I saw some fomous lines, but flight was quick! only 30min.then I went to Ceramic factory, I bougt some ceramic. mucho.I drunk Pisco sour I drank!I go to bed now , and I move to Cuzco tomorrow morning.See you soon!
2008年09月16日
Hi, I arrived in Peru (crazy flight 21 hours!) Im in Nasca now.it is very small town, and 7 hours from Lima by bus(fu---!)I didnt know villege people is poor...it was shock.I scary flight in the air in Nasca,but I ll try that tomoroow morning. I was stay in mira flores in Lima, it was safty. not so bad.anyway Im fine!see you !
2008年09月15日
明日からペルーに行ってきます。今回の旅行に限らず、人生、好きなことやったもん勝ちですね。自分を負け犬と思ったことはないですが、勝ち負けは死ぬ直前の充実感でしか決まらないと思ってます。最期に自分が満足したら、それでよろしい。「やりたいと思ったことを、思う存分やりたいだけやってみる。」 これに限ります。 今ちょっと間違ったからって、いい仕事に就いてないからって、恋人がいないからって、それがなんだっていうのでしょう。それよりも、歳を重ねた時に振り返って、たくさん恋をしなかったこととか、いろんな経験をしそこなったことの方が、悲しみが大きいと思う。 どうせ人間、最期は窯焼き。日本人なら間違いなく火葬されちゃう。私なんか、今のところ一人だから、あの窯に入るのも大変だわ(注:死んだら一人であそこまで歩いていけないし 笑) あの火葬場のことを思い出すと、いずれあの窯に入るんなら、生きてるうちになんでもできるさ!と思えます。私は最後は骨だけになる。魂は残って転生すると思いますが、今回の人生は一回しかないですから、やるだけやってみましょう。どのみち私たち、絶対に死ねますから。最期に「あー楽しかった♪」と言って終われるのが理想の人生。では行ってきまーす。
2008年09月11日
茂木健一郎さんの出版記念講演会に行きました。2つ、いいことがわかりました。「自分が考えていることは、外に出してみて初めてわかる」 まずは行動して書いてみること。人は良い悪いはなんとなくわかっても、それを行動として、やったり、実際書いたり、動ける人はなかなか少ない。音楽の良し悪しがわかっても、モーツアルトのように曲は書けないのと同じ。「書けない」のではなく、「外に出さない」から書けないと思ってるだけ。とにかくなんか書いてみる。その時に初めて考えていることがわかるというのです。 もうひとつは、「知らないってことが大事」 「希望がない」と思ってるのは、「知っちゃってる」と思っているから。自分が何者か?日本の社会や未来を知ってるような気になって、希望をなくしている。 ソクラテスでさえ、「自分はなにも知らない」と思っていたらしいのですから、私がなにも知らなくて、悩んでも当たり前。茂木さんでさえ、「自分が何者かわからない」と不安になるそうなので、私が「私は何者なのか?」わからなくても当然なのです。 そうです。漠然とした未来の不安と、自分がなにをする人なのか?ずっと悩んできました。でもそれが生きる希望になっていたなんて、気がつきませんでした。 希望とは、「知らない」ということを知っている。無知の知なのだそうです。 「自分が何者だかわからない」それが元気の源だと。 なあんだ、と思いました。いい歳して、いまだに自分がなんだかわからないなんて、と思っていたのですが、死ぬまでわからなくてもよろしい、ということです。先がわからない、それが希望だったなんてね。 ガンガンアウトプットして、先のわからない人生と自分を楽しみたいと思いました。どうぞみなさまも、先のわからない人生を楽しみ、行動してくださいね。
2008年09月09日
先月から、手がしびれていたのが治った。完治ではないけれど、漢方の先生に紹介された鍼の先生のところに行ってみたのだ。月曜日、あまりにも手が痛くて、このままでは荷物を持って旅などできないと思い、わらにもすがる思いで鍼の予約を取った。不思議なことに、予約を取ったら急にしびれが減りだした。そして当日、鍼をやってもらったらなんと、一発でしびれが解消したのである!ウソみたい!あれだけ前の鍼の先生がいろいろやってくれたのに、この新しい先生にちょいちょいと鍼をしてもらっただけで、治ってしまうとは。確かに、先生は見た目いかにも「効きそう」な雰囲気の方であった。そして、漢方の先生同様、年齢はいっているものの、声にハリがあり、温かみを持っている。私なんかより、ずいぶんお元気そうに見えた。☆先生が「効きそう」と思わせるなにかを持っているだけで、治療の効果は倍増する!見た目と声、雰囲気が重要。鍼を打つ前すでに「この人は効く」と思ったので、すんなりと治ったのかもしれない。「効く」と思って受け入れる鍼と、そうでないのとでは、私の体の反応が違うような気がした。「背骨が曲がってますねー。これが痛みの原因ですね。今治しますよー、はい治りました。」ちょいちょいと背骨をなでて、終了。えー、そんな簡単に治る???でもそのあと、この一ヶ月ずっと悩んでいた、私の後頭部の痛みや偏頭痛が治った!なんかわかんないけど、痛くなーーーい!先生の手からは強い気が感じられたのは確か。それで私の骨は、まっすぐになったのかしら。先生によると、「鍼で調子が悪くなった人なんて見たことない。」そうなので、やはり私が寝ている間に手を傷めた可能性が高い(寝方が悪かった)。あいかわらず、肩も手のむくみもあるけれど、手のしびれがなくなったことは、小躍りしたくなるくらいうれしかった。手が痛いと、ほんとなんにもしたくないし、できないから・・人間が生きていてやる活動のほとんどのことって、手を使うことなんですね。家事も買い物も手が必要。手のありがたみを知った先月でした。
2008年09月07日
すっと懸案だったペルーに行くことになった。行くと決めたらえらく簡単だった。ペルー行きのチケットを探し、ペルーの現地旅行会社に「10日間くらいで、ここに行きたい」などとメールを送り、数回やり取りした。それだけ。 「ついでにカナダで飛行機降りよう」と去年から決めていた。TBSのTV番組で見た、とあるアーティストカップルのところへ行くのだ。それを見たのが去年の秋。今年はもう行っちゃいます。 ペルーに行こうか、どうしようか?と思っている間に、サーチャージはメキメキ上がっていった。今回もTAX他込みで約8万円プラス!ワーオ。 金額にびびりつつも、ペルーに行くのは簡単だった。お金振り込めば、あと飛行機乗るだけ!こんなんなら、もっと早く行けばよかった☆ 遠いし、高山病怖いし・・とぐずぐずしていた私の前に、昨年さっそうと現われた一人のおばさま。彼女の旅の予定表には、その年だけでも2回南米へ飛ぶと書かれていた。それだけではない。毎月どこかしらに旅に出ていて、南米の間には3回かそこらのアフリカ大陸への旅行が含まれている。私は正直驚いた!!!!70歳近くでその体力!いくら添乗員付きったって、飛行機乗るだけで疲れるよ。 「一生に一度の南米かも」と思っていた自分を深く恥じた。いまだに今回が最後かもしれないとは思うけれど、先のことはわからない。まだブラジルも残ってるし、サンバカーニバルも見たい(その前に、サンバの練習か?!) 私の母はペルーに行きたがっていたが、病気になってついに行けなかった。「体力のあるうちに、行っときなさい。」と母は最後に言った。が、去年私が出会ったおばさまは、すべてをぶっちぎって、タフに世界を回っていらしたのである。つくづく人生は、思ったとおりのものになるんだなあ、と私は感じた。 もちろん健康であることが大前提だけれど、彼女には、「毎月のように南米やアフリカに行く」というのが可能だと思ったから可能になった。思いの強さはすごい。 いろいろ世界を回ってきたが、私にもやっと今回ペルーの番がやってきたのである! 一人で行くから、結局高くついた。たぶん全部自分で手配すれば、もっと安くで泊まれると思うし、自分で交渉もできると思う。たぶん節約旅の人から見たら、アホみたいなお金の使い方をしてるだろう。でも、安全と時間をお金で買った。これでいいのだ。 一応、一人でペルーに行った女性にも話を聞いてみたが、飛行機だけ取って行ったので、交渉やいろんなことに時間が取られたと言っていた。スペイン語話せないのに、一人で行くなんて本当に勇気ある。私は相手の話していることがわからないのが、一番へこたれる。正直、スペイン語が全然わからなかったら、ペルーに行く気したかどうかはわからない。 先日、五日市剛さんの講演会に行った。小冊子を読んで、もうひとつピンと来なかったことが、本人のお話を聞いてよくわかった。その後、イスラエルを訪ねた話なども聞けた。 あらためて思うのは、「思い、イメージの力が人生を作る」ということ。南米アフリカを元気に行き来するおばさまもそう。ポジティブだから、結局うまく行っている。震災で家が全壊したのに、元気に生きてらした。 というわけで、私は、「高山病にもならず、飛行機も安全に定刻に飛び、旅はすべてうまくいきました。ありがとうございます!」というイメージで、ペルー行きに望んでみようと思う。果たして、うまくいくのか?!こうご期待!
2008年09月01日
鍼を打った日の夜中から両腕がけいれんし、もう一週間以上ずっと腕と手がしびれていた。どうやら先生が失敗したらしい。指がむくんで曲がらないし、とにかく手が痛くてなにもできない。もしかしてこのまま一生こんな感じ?!と不安になってもいた。 先日、瞑想のクラスに出ていた時のこと。「すべての出来事は自分が作り出しています。」と先生。 スピリチュアル界ではそんなの当たり前のことだけれど、結構これ、忘れてしまうのよね。 「だったらこの腕の痛みも、私の作り出したものだから、私が意識を変えればよくなるんじゃない?」と、ふとひらめいた。 この腕の痛みを作り出した原因はなんだろう? 私は「ゆるすということ」(ジェラルド・ジャンポルスキー)という本を思い出した。もしかしたら、私はなにかを許さないことで、痛みを生んでいるのかもしれない。 さて私はなにを許していなんだろう? 私はあまり人をうらんだり、許さなかったりというのはない。家族や親戚は別として、赤の他人はほとんどうらんだりしない。 えーと、誰だっけ??誰を許してない??? ここで私ははっと気がついた。私がもっとも許して許していないのは、「自分」なんじゃないかって。 最初に腕を痛めた原因を作った自分、ダメな鍼の医者にかかった自分、怠け者で決断できない自分、親の期待にこたえられなかった自分、その他数え切れないほど、自分を責めつづけ、許さないできた。何十個もありすぎて、よくわからない。ぱっと思いついただけでも、そうとうな数があった。 そうやって無意識に、自分を責めて「ゆるさない」とメッセージを発信しているんだから、腕も痛くなる。 瞑想はこの無意識の、心のガラクタのようなおしゃべりを止めるためにもあるのだ。 それでためしに瞑想しつつ、「私は私を許し、この痛みから解放されます。」と心の中で言ってみた。そしたら、すぐに耐え難い痛みが少し引いていったのだ! 信じられなかった。あんなに痛かったのに。 次の朝には、しびれがかなり減っていた。むくみも減った。今も完治ではないけれど、少し気分がよくなった。 「自分を許す」これが一番の大事業。自分を許さない&責め続けていると、ろくなことはない。 無意識に自分を裁いていることがある。「ありのままで完璧で、自分を愛している」と思うよりも、自分のしたこと、過ちを許す、自分自身を許すということが順番としては先のようだ。PS。ヒプノセラピーの先生によると、このけいれんは良いサインなんだそうだ。私は先月ヒプノを受けて、その後から、体調がひどく悪くなっていった。これは新しいエネルギーが入っていて、変化のため起こったらしい。「いままで以上に手の感覚が鋭敏になるでしょう。」と言われたので、楽しみにしている。同じ出来事も、取り方によってよくも悪くもなる。どんなことがあっても、「これは経験」「これでいいのだ」と受け止めることが大切だと教わったのでした。 ゆるすということ
2008年08月28日
ペルー行きの準備をしている。だいたい予定は決めたので、あとは持っていくものの準備だ。 なるべく目立たない地味な服装で・・・って、 地味な服なんかなーーーーい! 捨ててもいい服で行こう・・・とも思ったけれど、やっぱり捨ててもいい服って、テンション上がんない。この服でマチュピチュに行って写真撮るかと思うと、すごくテンション下がる。 当然アクセサリーもできないので、光り物好きとしてはたまらなくつらい。光ることを日々大切にして生きているので、存在を消すのがすごく難しい。金持ちそうに見せるのも難しいが、お金がなさそうに見せるのはもっと難しい(と私は思う)。「リマでは時計もしないこと」・・ってマジですか? 私はイタリアマダムみたいに、大のゴールド好き。本物でなくても金色が好き♪ 先日もミラノで、「あなた、その金の時計、危ないわ。そのペンダントも光りすぎよ。」とジュエリーショップの人に注意された。「これ、金じゃないよ。」「でも金に見えるから危ないわ。はずしたほうがいい。」とお店の女性。この道20年の人が言うんだから、間違いない。 でもこの時計、本物の金だったら100万くらいすると思うよ。 ペンダントは確かにダイヤモンドに見えるので、これがダイヤだったら、結構なお値段がしそうだった。 ペンダントはともかく、この国産の時計が金に見えるとは・・・。 そういえばチュニジアに行った時にも、ガイドに、「その時計は本物の金ですか?」と聞かれた。そんなわけないじゃんよ!「そうですか。金だと思いました。」と彼。一緒にしてた金の髪輪ゴムすら、金のブレスレットに見えてしまっていた。 まったく、日本人をどれだけ金持ちと思ってるんだ? よーするに、本物の金でなくても、金色のものは、金だと誤解される恐れがある。 というわけで、ペルーにはこのにせものの金時計(単なるスチール♪)は旅行にはして行けない。で、私は家にある他の腕時計を探した。・・・が、ない。全部金色か光ってる(笑)。そしてすべて止まってる(笑)。 うーんしかたない。安い時計を買おう。 私は商店街で千円の腕時計を買った。日本製のクオーツで6ユーロ。しかし、結構怪しい動きをしており、時間の正確さが大事な旅行の時に、この時計の時間を信じていいもんか迷う。どうしよう。それとも、金色のスウォッチに電池入れる? 次に、地味な服といえばユニクロ、ということで、数年ぶりにお店に足を踏み入れた。素晴らしいクオリティのTシャツ千円、6ユーロ。ヨーロッパの安い服の後に見ると、ほんと縫製のすばらしさがよくわかる。こんなの売ってるなんて、日本最高ーー!誰が物価が高いなんて言った?!私はたった二千円でTシャツと腕時計を買ったぞ。 「目指せ、見た目 日系ペルー人!」を一人合言葉に準備をすすめているが、考えてみると、ペルー女性をほとんど見たことがないので、なにをどうしていいのかよくわからなかった(笑)。日本で見かけるのは、ペルー男性のほうが圧倒的に多い。だからなんも参考にならん。 私は時々、日系ブラジル人とかペルー人とかに間違われることがあるので、もしかしたらいけるかな?と思うけれど、本物の人たちが見たら、きっとまぎれもない日本育ちの日本人だとわかってしまうだろうなあ。 それとも化粧しないで日焼けしてたら大丈夫かな、と思う今日この頃だ。
2008年08月25日
最近の特技:よくお金を拾います♪小銭ですが、100円玉くらいなら拾える♪道を歩いていると、足元にお金が落ちています。他の人も歩いているのに、私の歩く道にあるのです。まるでお金に向かって歩いているみたいに。これはなにを意味しているのでしょう?よく下を観察しているのは確かです。目もいいです。1円玉でも発見したら、感謝してありがたく拾います。今月は2,3回拾いました。勝手にこれは「お金の来るサインだ!」と喜んでいますが、どうでしょうか?さすがにお財布を拾ったら、警察に届けます。まだ一度しかないですけど。
2008年08月24日
昨夜、ペルー旅行のタイトさにぶち切れてしまい、頭が飽和したため、混乱してしまったが、今日になってよーく考えてみたら、なにも全部見なくてもいいか、という気がした。そもそも、ナスカとマチュピチュだけ行ければいいので、あとは、おまけなのである。昨日はたくさん旅行記を読んだ。今は、みんながいろいろ書いてくれてるから、事前にいろいろよくわかって、よろしい。すでにチチカカ湖の島に上陸したような気分だ。 申し訳ないが、3時間も船に乗るなんて、私無理(吐く)。 高山病も怖い。2回くらい空気がなくて、意識が遠くなった(一回は失くした)ことがあるので、酸素がないことにすごく恐怖がある。 酸素が薄いって怖いよーーー!「具合が悪くなったら、勇気ある撤退を」と書いている人があり、そうか、勇気ある撤退か!と思う。だから、全部見られなくても、多少のことはあきらめる。だって、一人で行くんだもん。 あと、見当たる限りのペルー人に、「ペルー行くけど、どう思う?」とこれまで聞き続けてきた結果、「女性一人で行くのはやめてほしい。」とほぼ全員にお願いされた。たぶんラティーノだからかもしれないけど・・去年イースター島で会ったバックパッカー(男性)たちによると、「こんな小さな女性が!」という人ほど、南米で元気に一人旅をしているそうだ。そう、男のバッパーは群れている(ように思う)。うーん、やっぱり女性はタフだなーー!私はすでにラテン人のだらだらさや、モロッコ、チュニジア商人との戦いに疲れてしまっているので、今回は現地ツアーのお世話になることにしている。外国人と一緒。時々ラブラブカップルたちと一緒になって、あまりにもつらい時もあるけれど、それ以外は平気。今日は駅で路線図を見て悩んでいる、外国人カップルを助けてあげた。めったに声はかけないけれど、今日はなんとなくかけてみたら、なんとスペイン人だった!私がスペイン語を話したので、向こうも驚いてくれた(フランス人とかじゃなくてよかった!)。 外国人用の地下鉄&JR路線図、すごくややこしくて、どこで乗り継ぎしたらいいかわからなかったらしい。こんなの、私が見てもわからんよ。 結局一緒にJRの駅を出て、券を取り消してあげ、地下鉄駅までの行き方を説明してあげた。一日一善。 思えばこのくらいの親切は、スペインでは普通だ。私が道に迷っていると、車から降りてきてまで教えてくれるし、一緒に案内もしてくれる。時々あまりにも親切すぎて怖いくらい(笑)。 なんか、私ってスペイン人ぽくなったなよあ、と一人笑っちゃった出来事だった。
2008年08月22日
今、ペルーの旅行について、現地の旅行社とやりとりをしている。が私は知らなかった。いや知ってたけど、気がつかないふりをしていた。それは・・いかんせん、国土が広すぎる!!!バスで一日とか、ほとんど移動じゃん。これで標高がが高いところを移動するので、どうなることやらだ。 当初、家族が行きたがっていたマチュピチュをメインに行ければ、それでよかった。だが、人間は欲張りなもので、「せっかく行くのなら、あれもこれも」となってきて、ついに毎日、観光になってしまった。 いや、旅行社におまかせしてプランを立ててもらった。それが・・すごくタイトなスケジュール。「もう少しゆっくりしたいので。」と頼んで日数を増やしたら、あらら、観光の時間が増えてたり、なぜか訪ねる場所も増えている・・。なんにもしない日、というのを入れてもらうのが、なかなか難しいのだ。 そして私は思いあたった。これはたぶん、暇な日を入れて欲しいというオーダーが他からはないので、基本的に予定を毎日入れちゃうんだな、と。 普通の日本人の感覚だと、できる限り、短い時間で効率よく観光地を回る、というのが正しい姿勢なのだ。やっと捻出した休暇10日とかで、各地に一泊か二泊しつつ、高山病にもかかりつつ、というのが、日本人の正しい姿かも。 私はちんたらした旅が好きなので、観光地は実はどうでもよくなっている。カフェでお茶でも飲んで、「今日もなんだか一日が終わっちゃったなあー」っていうのが好き。 結局、旅行社から送られてきた予定表を見て、正直、行く前からげんなりした。最近こんな忙しい旅行したことないし、高地でこの予定は自信ない。行くべきか、行かざるべきか? 前にペルーに行ったことのあるイギリス人に電話をかけた。「アレキパよかったよ。ぜひ行って。」あれ、また行くところが増えている・・(笑)スペインに何回も行っているから、おもしろいかどうかわからないけれど、また違う趣があるのかもしれない。 しかしそうなると、「近くの谷(これまた1泊2日かかる!)へ行け。」となる。果てしなく広がる、ペルーの旅よ!!! そして彼は言った。「何日行くの?」「約2週間。」「せっかく行くのに、なんでそんなに短いの(短いか?!)?それって、日本に行って、東京1泊、京都1泊みたいな旅行だよね?余裕があるなら、延ばすべきだよ。」・・ごもっとも。私の2週間は、日本人にしては悪くない長さの休暇だ。でも彼が旅行してた期間は5週間。どうやってもたちうちできません。 話しているうちに、ある結論にいたった。私はどういうわけか、ペルーに行くなら、マックス2週間だと思いこんでいた。それはあらゆるツアーがせいぜい2週間前後で組まれていたからだ(そういうものを多く目にしてた)。でもよーく考えると、それは日本の場合で、おそらく欧米系の人には、「なんでそんなせわしない旅行してんの?理解できない!」と思われるらしい。 しかしだ、空気薄くて、治安もどうかな?ってところに、一人で長く滞在はしたくないのだ。踊りにも行けないし、酒も飲めないし、ごはんも腹8分しか食べてはいけないらしい(すべて標高と治安の関係)。そんなところに長居は無用だと思う。旅行には行きたいけれど、これ以上疲れたくない。おそろしくだらだらな旅行者なのだ。というわけで、自分の変な思いこみに気がつかされた今日だった。
2008年08月21日
いろんなことがあった今月でした。頭の中でビッグバンが起こって、地の底まで行って、また少し戻ってきた感じ。いろんなことを決めなくてはいけないのですが、まだ心が決まりません。決まらないということは、まだ決めなくていいのかもしれません。先日、鍼に行ったその日の夜中、寝ていたら両腕がけいれんし、すっごく苦しい思いをしました。こういう時、一人だととっても悲しくなります。家族がいたらなあ、と思いました。手がしびれてて電話もかけられないので、助けも呼べないのです。ああ悲しい。その頃思っていたのは、「家族もいないし、なんのために生きてるか、よくわからないな。」ということでした。たぶん、神様が生きることに前向きになれるように、痛みを与えたのでしょう。一人の人も一人なりに、元気に生きていく必要があるのです。数ヶ月前から毎日、メディテーションをしています。そして、今月から、自分用のマントラをもらって、メディテーションを始めました。自分の生まれた時間にあった音をマントラとしてもらえるのです。これが思ったよりもしっくりくるので、毎日、朝と夕方にメディテーションを行っています。先生が、「これを始めると、いろんなシンクロが起こりますよ。」と言っていたので、とても楽しみにしていました。まず、今週はある人に会いました。愛読している本があるのですが、先週、何年かぶりにそれを読み返したくなり、本棚から手に取り、読みました。そして、以前一度だけ出たことのダンスクラスに突然、数年ぶりに行きたくなり、一度行きかけてやめて、また1時間後に、「やっぱり行こう!」と戻ったら、その本を訳した先生がそこにいたのです。おもしろい必然です。先生(女性)は、突然本の愛読者があらわれて、喜んでくれました。自分が文章を書いてみてわかったことですが、感想をもらったり、サインを求められることは、とてもうれしいことなのです。なので、その後は極力、著書を読んだ際には、感想を言ったり、サインをお願いしたりしています。その方も幸せだし、喜んでくれる姿を見て、私も幸せになります。先生は私の母に近い年齢ですが、パワフルかつゴージャスで、若い男性と踊っていて素敵でした。私の行く道はこっちなんだな、と指針をくれたような気がします。そして、今度は「本屋に行くように。」とメッセージが来たので、本屋に向かい、目についた本を手当たりしだい、手に取りました。いくつかの探していた情報が見つかりました。そして、少し低迷していた気分が底を打ちました。今は、ペルー行きの準備をしています。今はなにか環境を変える必要があると感じています。飛行機がなかなか取れないと言われていたのに、なぜかするすると予約が取れていきました。日程の調整など、いろんなタイミングがうまくいくように、動いてきています。ついに、ペルーに行くのかなあ、とワクワクしています。途中でアーティストのカップルにも会えるような感じになってきました。いろんな意味で楽しみです。そして、この秋からのことを決断しなくてはなりません。が、このまま流れにまかせて、なるようになれ!来るものは来て、去るものは去れ!そんな感じもしています。ペルーから帰った時にどんな気分でいるか、それで決めても遅くはないかな、と思っています。人生は選択続きですが、どっちを取っても、なるようにしかならないし、どうにもならないことはどうにもならないのです。
2008年08月20日
先日、ヨーロッパに行ったあとから、すべての価値観が入れかわったような気がする。なにが、と言われると、ちょっとうまく説明できない。ただなんとなく、前には意味のあったことが、今はもう意味がなくなった、そういう感じ。今までも何回か、海外には行っているけれど、本格的になにかが変わってしまった。夢を叶える、とか、サクセスとか、お金持ちになる、とか、そういうことを考えなくなった。考えていること自体がストレスだし、そう思っているんなら、いますぐやればいいだけ。でも今はそれすらも思わない。不思議。なんとなく生きて、なんとなく人生が終わってしまっても、特に問題ないような気もする。人生はなにかを成し遂げるだけじゃないと思う。先の夢は夢で持っているけれど、今の幸せのほうが大切。そして、前は楽しかったことが今は楽しくない。今日、突然、「もう一人は嫌だ!」と思った。いい人のフリや、元気なフリも嫌。誰も待ってない一人の家を行ったり来たりしてる自分が、ほとほと嫌になった。真剣に家族が欲しい。いや、家族を作るよ、こうなったら!家族は面倒くさくても、一人だとその面倒くさいことも起こりようがない。永遠に広がりようもない。 先日、桃井かおりさんの講演会に行ったとき、「夫も子供もないし、しがらみなくて自由よ~(笑)。」とおっしゃっていたが、そこまで達観するには、私はまだ若すぎる。もう少しだけ、じたばたしてみたい。向かいのおじさんもその先のおじさんもおばさんもみんな元気だ。なのに、どうして私は一人?孫まで来てるじゃん!私の考えてることは、防犯と空気の入れ換え、防虫、庭の草木のこと。ご近所の人とのつきあい。ひとつもリラックスなんかできなかった。もう誰にどう思われたってかまわない。たぶん田舎には住めないし、親や子供の面倒を見る人生も無理だろうと思う。だから、田舎には住んでない。隣の家の人が、まだ「結婚について」聞いてくれていた。「うちの甥はどう?」と言ってくれているのだけれど、前に一度お断りしている。まさか、「日本人男性に興味がない。」のが理由とは、死んでも言えないのだ。昨日、お隣のおじさんが私のゴミ出しを車に乗せて捨ててくれた。母が、「あいさつもあまりしてくれないのよ。」と少し嘆いていたおじさま、実はとっても親切で、うちの木も伐採してくれた。ただシャイで、典型的な日本男児だっただけ。でも心の中はとっても優しかった。私なんか、一回もその姿を見たことがなかった幻の人。「お母さん、本当はいい人だったんだよ。」と言いたいが、今さらどうしようもない。そんなことが多々ある。こんな時切実に、どうでもいい話を聞いてくれる相手がほしいのだ。しょうもない話をする相手、それは家族しかないだろう。でも反面、人間最後は一人なんだから、いつでも一人でも生きられるしておこうとも思う。「おひとりさまの老後」を読んで、なんか寂しくなったのは、日本では、知らない人どうしでベラベラ話す習慣がないこと。 ヨーロッパの田舎にいて思ったのは、よくも悪くも、知らない人どうし、よく話すということだった。私もおばあちゃんやおじいちゃん、おばさんやおじさんたちと話した。日本に帰ってきて、時々孤独に思うのは、話しかけたいのをぐっと我慢してしまうことだろうか。 知らない人と話す(たいていはどうでもいいことだったりする)、そんな習慣があれば、老後もえらく孤独にならないんでは?という気がした。とりとめのない話ですみません。これが今の正直な心境です。
2008年08月05日
実家に帰ってきた。「草がぼうぼうです!」という連絡が近所の人から入っていた。・・・。見るに見かねて少し刈ってくれたらしい。でもあとは、草をシルバーさんに刈ってもらった。その費用は約1万円。 人生、起こってみないとよくわからないことがある。例えば、すっごいお金持ちになりたいとか、結婚したいとか思ってたとして、それが叶ったあとのことって、本当になってみないとわからない。まったく予測のつかないことが起こる。 一軒屋の管理がここまで大変とは思わなかった。数ヶ月おきに帰って、掃除と空気の入れ替えをしなくてはならない。「管理の人を頼めば?」管理の人を頼む面倒が発生する。ものぐさな私には、その連絡さえままならない。「お掃除の人を頼めば?」外国人の友達は言ってくれたが、お掃除のシステムが全然違う。日本じゃ、そんなに気安く頼めません! その他、留守宅にはトラブルになるので入りたくないとか(盗難の疑いなど)、いろいろあって、なかなか人を頼めなかった。でも、もしかしたらいいシステムを発見したかもしれないので、それが機能し始めたら、またお伝えしたいと思う。 いずれにしても、家を維持するのに、結構な経費がかかる。夜は一人で怖い。おばあさんになって、この家に一人で住むなんて絶対考えたくないけれど、気が変わったときのために、今はしばらく持っていることにした。でもそれでも毎月の維持費がかかるので、正直、どこまで持ち耐えられるかはわからない・・。 すべては予測不可能なことだった。もっと簡単にことを考えていた。 母が死んで2年、やっと家を片付ける気になった。それまではなにひとつ、ものを動かしたくなかったし、すべてをそのままにしておいた。でも家に人が入ってもらうことになるかもしれないので、ついにいらないものを少し捨てることにした。 まずは親のエネルギーに出ていってもらい、「これからは私のうちですよ!」と宣言した。といっても、窓をあけて、エネルギーが外に出るところをイメージし、自分の新しいエネルギーがここに入ることを、心の中で宣言しただけ。でも、それだけでもだいぶ家の感じが変わった。 私はとにかくモノが捨てられないのが悩みだった。どれだけ「捨てる」系の本を読んでも無理なものは無理。 実家の引越しもしたことがないので、親のガラクタもたまり放題。そして時代は流れ、ゴミ処理にはお金がかかり、いつでもなんでも捨てられる時代は終わっていた。 私はまず親の集めたガラクタから、少しずつ処分することにした。でもなかなか捨てられない。 そんな捨てられない私のためにしたこと:☆目についたいらないものは、手当たりしだいに捨てる。 この部屋をきれいに、とか、このセクションをきれいに、というと大変すぎるので、これはいらんな、と思ったら、つかんでごみ袋に入れる。そのためにごみ袋は各部屋に置く。☆厳密なゴミ分別をあきらめる。 私はどうしても資源ゴミは資源に出したいほう。でもこの際、この短期間でモノを捨てるためには、最悪燃えるゴミに出してもよしとする(注:あまりおすすめはしませんので、通常はゴミは分別してお出しください)!☆捨てられない自分を責めない。 家をきれいにできない自分を、いつも心の中の声が無意識に責めたてていた。時間があってもなくても、できないものはできない!好きじゃないことは、好きじゃない!そんなできない自分をよしとすることにした。ガラクタ集めもよしとする。だけど毎日、なんかしら捨てる。TVでたまに観る、「汚部屋の女」よりは、ずいぶんきれいだと励ましながら。☆まあまあきれいになったで、よしとする。男女関係と同じで、7割OKなら、よしとする。完璧な掃除、片づけなんか目指さない。 掃除や片づけを教育されなかった子供がどんなに苦労するか、身にしみてわかった。自分が子供を持つようなことがあれば、そういうことをキチンとできるように育ててあげたいけれど、なんせ自分ができないので、教えられるような気がしない。それとも反面教師で、勝手にキチンとしてくれるかな(期待)??? もしかしたら、自分の親たちも、そのまた親からそういう教育を受けていなかったのかもしれない。どこかで家庭内教育が欠落したんだろう。ひとつ言えることは、両親とも、お互いの家庭でとても大事に育てられたということだけだ。父は家のことは、なにひとつできなかった。 男女問わず、料理や洗濯、掃除、お金のやりくりなどの能力は必要だと言ってほしかった。それとも、いずれ苦労するんだから、今はいいと思ったのだろうか?今となってはわからない。 私が20歳すぎた頃、私を見て母がしみじみと言った一言が思い出される。「もしかしたら、育て方を間違ったかもしれない・・。」 そんな今さら!お母さん!!! そして今、その意味をかみしめるのだ。
2008年08月02日
日本に帰ってきたばかりだというのに、もう次の旅の準備で忙しい。でも、もしかしたら、これから新しい人生が始まるような気がする。先のあんまり深刻に考えてもしかたないし、なるようにしかならない。 今回の旅から帰ってきて、価値観ががらっと入れ替わった気がする。毎回旅に出ると、新しい価値観を得るけれど、今回は特に、「やるのが怖いことにあえて挑戦してみる」「スケール大きく考える」ということを学んだと思う。いろんなライフスタイルの人に出会って、そう思うようになった。その人たちのことは、おいおい書いていきたいと思う。 ところで、最近レイキの先生に会う機会があった。初対面の先生。ちょっとぶっきらぼうな職人タイプで、陽気なラテン人を見慣れた私には、結構衝撃。そういえば、日本人男性にはこういう人もいたっけな、と思う。本当は優しいんだけど、あえてそれを出さないタイプ。 その先生が私に言った。「きついことを言うようだけど、あなた、カラーがありすぎます。」 頑固で強い、私は私すぎる、と言うのだ。 それを聞いて、私は笑ってしまった。強烈な個性の人たちと一緒にいたために、私のカラーは増加したか、または目立たなくなってしまったのかもしれない。「ちょっと、私はそれ好きじゃない。」「なんとかならないの?どうしてダメ?」 押しが強くないとやっていけない。 確かに日本にいたら、「カラーが強すぎる」というのは、ほめ言葉ではない。でも「個性がない」と言われるよりは、ましだ。少なくとも、先生は私にはカラーがあると認めてくれたのだ! 何事も前向きに考えるポジティブさも学んだかもしれない(笑)。 以前の私は、常に「自分のカラーはなにかな?」と考えていた。 でも、「カラーがない」と思いこんでいたのは、もしかしたら自分だけかもしれない。 小学生の時の担任の先生に10数年ぶりに会った時、「あなたは大変個性的なお子さんでした。」と言われたのにはびっくりした。なぜなら当時、私は自分のことを「平凡で地味な子供」だと思っていたから。後にも先にも、この先生だけが私の個性を認めてくれ、ほめてくれ、能力を引き出してくれたような気がする。「よいところをほめて育ててくれる」人との出会いは重要だ。 先日、ミス・インターナショナルのファイナルに残った女性たちのドキュメントを見た。ディレクターのイネス・リグロンの指導の元、厳しいレッスンが続く。そして、彼女たちは自分に自信を持ち、どんどんきれいになっていくのだ。人間が短期間でこうも変わるものかと思って、とても驚いた。 その中でイネスが言っていたのが、「あなたのいいところはなんなの?個性を伸ばしなさい!」ということ。あなたにしかないカラーはなに?と彼女は常に問いだだした。 それ以来、「私のいいところ、人が真似できないところはなんだろう?」と考えてきた。ファッションでも生き方でも自分のよさを前面に押し出す。もちろん自分のパーソナリティやビジュアルについても考えなくてはならない。 彼女は40代なかばだが、実際、ファイナリストたちよりもはるかに個性的で、輝いてみえた。そして、彼女が20代の頃よりも、今のほうがより美しかった。それは彼女の生き方に妥協がなく、常にチャレンジしてきたからだと思う。そして、自分の欠点をカバーしつつ、自分の個性を伸ばしたおかげだ。 彼女はフランス人だから、そっくり真似することはできない。ビジュアルも考え方も個性も違う。 日本人としてのアイデンティティを保ちつつ、自分らしさ、個性を見つけていく。これから必要なのは、「その人らしさ」だと思った。 だから、「カラーがありすぎる」くらいでちょうどいい。 あなたのカラーはなんですか?
2008年07月20日
さっき、スペインから戻りました。家は無事。気温46度から帰って来ると、日本は涼しくて天国のようです。ユーロカップ、なんとスペインが優勝して幕を閉じました!!!!!その日、私はミラノに移動していて、スペイン人とこの喜びを分かちあえなくて残念です・・とにかく!!!!よかった!44年ぶりの優勝!!!!!ユーロカップのファイナルとともに、私も帰ってきました。さっそく、もずくとラーメン、納豆と水ようかん!という気持ちの悪い組み合わせですが、食べたいものを食べました。ああ幸せだ☆でも今回は前回ほど日本のものを食べたいと思いませんでした。たぶん慣れたんだと思う。納豆なしでも生きられた。日本に帰りたいともさほど思わなかったです。スペイン、マルタ、チュニジアのことについては、またこれからぼちぼち書いていきます。小冊子をお申し込みの方、ご連絡が遅くなって大変失礼しました!メールに気がついていませんでした・・至急お送りしますので、しばしお待ちください!!!!
2008年07月01日
kinou no saiko kion ha 43 do deshita!sate, kinou ha Euro cup football match ga ari,Spain VS Italy deshita.Spain ha Italy ni koushikisen deha 88 nenkan katte inaitonokoto!88 nen! hotondo daremo katta tokorowo mitakotoga naisisecond war izen desu!!!1920??Spain no KING & QUEEN mo tabun game wo mini itte mashita.nanto reporter ga KING ni mike mukete hanashikaketa!KING mo TV nimukatte comment shiteta! tabun!!!tonikaku,88 nen burini Italy ni katimashita!!!soremo saigo no PK kick de.saigo no kick made dotiraga katuka wakaranai shiai.sasuga, Latin kei no tatakai nanodeshita.katte yokatta Spain!
2008年06月23日