★働き方も多種多様な時代
「ビズリーチ」って、コマーシャルでよく聞く名前だよね。この会社が転職サイトだということは知っているが、定年退職している自分には関係が無いからと、スルーしていたCMだ。それを「カンブリア宮殿」で取り上げていた。 私の時代は働きたいとなると、職業安定所か中日新聞の広告欄を見て、会社に連絡を入れていた。昔は新聞に求人広告を掲載していたのだ‥知ってた? 私は学校を出て2年間、小企業の会社でサービス業をして働き、次の2年間は自分の武器として持っていた専門職で、大企業に入り働いた。 結局大企業での仕事は、企業の歯車としてしか働けなかったので、自分を活かしきれないと感じた。と同時に、自分の持っている専門職は衰退すると感じ、2年で辞めた。その後の38年間は、中小企業で普通のOLとして働き、無事定年を迎えた。 なので私の時代は、働きたいと思ったら、自分の行きたい企業に、電話をして個々で面接に行っていたのである。それが普通の転職活動だったのだ。 ビズリーチは、その真逆のシステムと聞いて驚いた。転職したい人が、自分の特技とかをビズリーチのサイト上に載せると、企業側のほうから、コンタクトしてくるというのだ。自分発信で、会社側に提供できるスキルをアピールしていくわけだ。 ここでアピールできるのだ!と、ズーズーしく言っているが、3社の会社と10社以上のアルバイトを熟してきた、今の私だから言えるのであって、20代や30代の私では、とてもそんなことは出来ないだろうと思う。 今の時代でなくて良かったと、ホッとしている自分が居る。私は自分に合った時代に生まれてよかったと、心底感じている。 このビズリーチの転職サイトを作った、南壮一郎社長の経歴は、普通より少し変わっていた。父親の転勤で、6歳~13歳の間、カナダのトロント市で過ごしていた。英語が分からない小学生で、苦労は多かっただろうと思う。 13歳の中学1年生の9月に日本に帰国する。すると、今度は日本語で苦労したのだ。しかも、苦労は言語だけでない‥考え方も価値観も違うのだから大変である。 日本の中学で衝撃を受けたのが、学ランを着るとか丸刈りの頭にするとか、体操着に何年何組であることや名前を書いたりしないといけない。そうだね‥昔の日本はそうだったね‥帰国子女としては大変だったろうね。 最初の数年間は、世界的金融機関の証券会社に入り勤務し、その後楽天イーグルが誕生した時に、創立メンバーとして入社している。当時パリーグ全体が赤字経営だった時代に、彼は初年度から黒字を実現している経歴の持ち主である。 その後、自分で会社を設立、それがビズリーチという転職サイトだ。日本は定年まで雇用を保障する国だけど、アメリカは転職が普通の国だから、転職する側が、自分のスキルを発揮できるシステムを作りたかったんだと思う。 時代は変化している‥乗り遅れないようにしないとねぇ‥。