“NEW”
理由のわからない違和感と距離感を覚えていた。メジャーリーガーを辞めてしまったことは残念でならないが、守備は実際にフィールドで見るものだから、生で見られる機会が増えたことを素直に喜べばいいと頭ではわかる。だがなにかしっくりこない。今日なんとなくその理由がわかった気がする。殊更“新しい”自分を強調しているように見えるからだ。今までの自分を否定しようとしていると言ったら言い過ぎかもしれない。しかし「空港に行っただけで吐気がする」「思い出させないで」というジョーク発言には何パーセントかの本気が含まれていると思う。背番号を変えたのも「生まれ変わりたい」という気持ちの顕れではないだろうか。わたしはわざわざノーフォークまで足を運んだことを決して後悔はしていないが、わたしがあの場所で見た新庄剛志は、彼にとっては“ファンに見せたくない自分”であったような気がしてならない。マイナーにいることも、元気が出ないことも、それをどうすることもできないことも、きっとつらかったのでないかと思う。若手に出番を譲ったのは彼特有の優しさでもあるが、「頑張って結果を出したところで上に上がることはできない」と感じさせられる何かがあったのではないだろうか。「だったら若手の機会を奪ってまで打席に立つのは無意味だ」と、そう感じたのではないだろうか。真相はわからない。今この大ブームの中で、そんな過去のことを持ち出してしらけさせるのもどうかと思う。たぶん自分自身が落ちていて、考えが変な方へ向かっているのだろう。でもわたしはノーフォークで見た、寂しげな、頑張りたいのに頑張れない新庄も好きだ。それは、彼が真摯に生きてきたからこそ辿り着いてしまった苦難の中で、それでも逃げ出さずにそこに留まっていたから。あれだけの才能があるのに、不器用で、誤解されやすく、それでもまっすぐさを失わないから。この先もしまたサインをもらう機会があったとしても(きっとこれからサインをもらう方が遥かに困難だとは思うし、もらおうという積極的な気持ちはないが)、それでもあのときもらったサインが、わたしにとっては一番の宝物だと思う。だから、これまでのすべてを大事にしてほしい。今は思い出したくないなら、いつかあの日々の大切さに気づいてほしい。