澤田美喜さん
先日、澤田美喜さんのお墓参りに行ってきましたIMGA0088 posted by (C)tamu(墓所入口の案内) 命日は5月12日ですが今年は仕事の予定で、少し早目に行きました とっても暖かなお天気の日で微力ながら、お墓の周りの草取りをし在りし日の澤田美喜さんを想い手を合わせました 澤田美喜さんについては以前のブログ(2010.2.3)より紹介します 【澤田美喜】さんをインターネットで検索したら何が出てくるのか分かりませんが多分こんな事ではないかと...**********************三菱財閥創業者の孫娘として生まれ後に初代国連大使となる、澤田廉三氏の元に嫁ぐ外交官夫人として、赴任先の世界各地に同行し戦後は混血孤児の養護施設【エリザベス・サンダース・ホーム】を創立混血孤児の養育に生涯を捧げる**********************もっと詳しく調べられるのかもしれませんが澤田美喜さんの育った環境、経歴、実績をまとめて文字で読むだけでは、勘違いしてしまうかもしれません『お金持ちのお嬢様が資金を出し慈善事業を行い、功績を讃えられました』...こんな風に現実は...それは一言では言えない苦難の道であったようです戦後の岩崎家は財閥解体により、すべての資産を没収され外交官であった、夫廉三氏は、公職追放となりました施設の設立は、何もない所から始まったのです施設となる大磯の別荘はすべて資金を自分の足でかき集め、買い戻し身の回りにあった品々は、ミルクとオムツ代に消えていき資金集めのため罵声をあび、陰口を言われ、酷い偏見と差別を受けながらも澤田美喜さんは、決して諦めず、己の【志】を貫いて多くの尊い罪なき命を救ったのですそれでも...戦争を生き抜いた人は戦後の混乱の中、明日をもしれない生活をしていた者からすれば他人を案ずるだけの余裕があったから、出来たのだろうと思われるかもしれませんもしそうだとしても...その立場になっていたら、私財をすべて投げ出して...それを実行できたでしょうか?誰もが、自分が、自分の家族が一番かわいい戦後の混乱の中だからこそ、そんなバカな事を誰がするでしょうお金にかえられない【心】【志】を大切にすることはバカげた損をする生き方なのだろうかそんな思いがずっと...私の心の中に眠っていました澤田美喜さんの存在を知ったことは私にとって大きな【気づき】でした いろんな想いをまだ書けずにいますが(--;私は直接携わっていないので澤田美喜さんの現実の行動やその想いを正確に書き込むことができません安易に言葉で表現するのをためらいます ホームの卒業生の方達の想いも様々なようです 澤田美喜さんゆかりの方の訃報を聞いたばかりですが(ステパノ学園卒業生母さん、ありがとうございます!)美喜さんの想いを直に見聞きしてきた方がだんだんと少なくなる。。。時間の経過とともに仕方のない事ですが 鯛先生もご高齢になられました もし関心のある方はJR関内駅から徒歩10分横浜の情報文化センター8Fにある放送ライブラリーを訪ねてみてください 数年前、私も訪れました(覚えている方はないかもしれませんが(^^;) ここに鐘は鳴る(1) 1958.3.23(30分)子供たちは七つの海を越えた 1978.7.12(130分)母と子の記録(ドキュメンタリー)1978.11.11(78分)ドラマスペシャル母たることは地獄のごとく炎の母、澤田美喜 1981.11.11(125分) もしかしたら変わっているかもしれませんがTVで取り上げられた澤田美喜さんに関する映像です 地元、岩美でこのお墓や熊井浜の澤田家の別荘を管理されている方がおられます くわしくは聞いてないのですがおそらく善意で草刈り、清掃などされているようです 澤田美喜さんの事を知った10年ほど前に偶然出会いご親切に沢山の資料を送ってくださった方です いつもお墓参りに行くとお手入れされているのがわかります 誰も知らなくてもこうして 『 志 』 を継がれている方もいらっしゃる 鯛先生が以前言われていた言葉を思い出します 形式や表面のキレイゴトなど意味が無い!!心のない...見た目だけの事ならしない方がいい!きれいな言葉より現実に行動してこそ、本物なのだ! その言葉こそ澤田美喜さんの 『 志 』『 想い 』 なのかもしれませんね