介護の未来
…ってなにやらデカイネタですが、まぁ、寒くなってきたせいか頭が鈍くなっているんで、アバウトな話になると思います。具体的な数字とかをちゃんと調べる気力もないし… ということできわめていい加減に国策について語ろうってのは大胆というか、アフォというか… まぁ、気楽に読んでください(^^ゞ介護というと二種類ありますよね?老齢者の介護と若年の身障者の介護です。あるいは肉体的に不自由な人の介護と精神的に不自由な人の介護の二種類というのもあります。この二つを組み合わせると4種類ってことになるんですが、まずは前者の違いについてチョイと触れたいと思います。厳密には老齢者の介護というよりも介護をする人が介護される人よりも上の世代か下の世代かってことです。介護をする人が下の世代であれば普通なら介護される人のほうが先に他界しますよね?介護するほうからしてみればいずれは介護から「卒業」できるわけですが、場合によっては親の介護が終わったら配偶者の介護が続けざまに来てしまうこともあります。それでもいつか「卒業」できる可能性が高いんですが、介護するほうが介護されるほうよりも上の世代の場合には介護から「卒業」する前に自分のほうが先に逝ってしまう危険性もありますよね?よく悲惨な事件としてニュースになったりしますが、介護している人が倒れ、介護されていた人が何も出来ずにともに死んでしまったり、介護している人が将来を悲観して介護されている人を殺して自殺を図ったりとか、そういうことが珍しくもないってことにやりきれなさを感じたりもします。基本的に終わりのない介護ってのは精神的にきついものであり、いつくじけてもおかしくない場合でも、法律はそれを許さないんですよね…肉体的に不自由な人の介護と精神的に不自由な人の介護でもいろいろあります。今の介護保険の考えでは肉体的に不自由で寝たきりの状態にある人のほうが深刻で、より手厚い介護が受けられるようになっています。一方精神的に不自由な人、はっきり言ってしまえば痴呆や脳性まひで普通の生活が送れないような人の場合には、若年層の場合には違いがはっきりするけど老齢者の場合には「ちょっとぼんやりしている」「多少耳が遠い」くらいのことと誤認されやすく、常におかしいわけではない場合などは「介護の必要はない」と判定されたりすることもあります。介護するほうとしては身体が不自由で寝たきりであればそこからいなくなって他の人に迷惑かけることなんてなくて安心なんですが、身体は元気で頭が痴呆であった場合にはいわゆる徘徊して他人に迷惑をかける危険性が高いので眼が放せず、かといって出歩かないようにベッドに縛り付けるわけにも行かないから常に誰かがそばにいなくてはならず、心身ともにしんどい介護になるんですよね。もう一つ深刻な問題があるんですが、少子化、核家族化、非婚化などが進展しているために独居老人が増え、介護してくれる人がいなくなっています。年金も問題で、厚生年金や共済年金を貰える人は好いんですけど、国民年金だけの人の場合にはキッチリ保険料を納めていても月に7万円くらいしか貰えません。介護保険でもっとも重篤な「要介護5」のレベルになると1割の自己負担額が5万円を超えることになります。つまり、介護保険を払うと2万円くらいしか手元に残らず、そのお金でどうやって暮らしていけというんでしょう?一人暮らしの場合、家賃すら払えないんじゃないですか?それでどうやって生きていけばよいのでしょう?まぁ、国民年金だけで暮らすってこと自体が不可能に近いのも事実ですが、介護保険の1割負担ってのも変な話ですよね?介護で雇用創出ってことで介護保険が始まったんですが、これによって介護負担に対してのインフレが起こり、同時に介護内容の急速な低下ももたらしました。介護の民営化ってのは利益を上げることであり、「適切な介護」を標榜しているものの、介護者だけでなく、コーディネーターや管理スタッフなどの余計なコストも含めての費用であり、それに利益も上乗せしなければ意味ないから、どうしても単価が高くなり、同じ単価であれば質が悪くなるのは当然のことですよね?つまり介護を受ける側からすれば負担が重くなるだけで何一つ良いことのない改革だったのかもしれませんね。まぁ、そもそも介護ってのを個人で行うのは無理なんじゃないかって思うんですよね。先天性の臓器疾患を抱えて数千万円の費用をかけて臓器移植しなきゃいけない場合だって個人ではどうしようもないじゃないですか。脳性まひを抱えた子どもの場合、いずれは親のほうが先に死んでしまうんだからひとり立ちして生き抜く能力をつけてやらないと拙いですよね?介護の基本ってのはいずれ自立させるってことじゃないかと思うんですよね。自分でどうにか生きていけるようになるまでの期間手助けをするが介護の基本で、一人で生きて行ける見込みがない場合は、諦めるという選択肢があってもよいと思うんですよね。モチロン安易に諦めるってことがあっちゃ拙いとは思いますが、介護するほうが介護によって壊れちゃったら拙いと思うんです。個人の負担では重い場合には国などがそれを肩代わりしたってよいと思うんですよね。介護疲れで殺人を犯させるよりはずっとマシですよね。そういった意味で国が介護を引き受けるシステムってのが必要になるんじゃないかって思います。要するに個人で介護を負担するのはおかしいって思うんですよね。個人で介護を負担させておきながら介護を諦めることを認めていないのも変ですよね?個人に介護を負担させるなら諦める権利も認めるべきだって思うんですよね。とりわけ心が壊れた人の介護ってのは国がやるしかないと思うんです。こないだも心が壊れた人が小学校に侵入して子どもを切りつける事件がありましたけど、こういうことをしても刑事罰を受けるわけでもないし、措置入院させられるといっても治るまでずっとというわけではなく、一定期間の後は放り出されて、再び事件を犯す危険性があるんですよね。治る見込みのない人を死ぬまで面倒を見るところなんてないんです。ところが、個人には死ぬまで面倒を見ろと強制し、放り出せば「保護責任者遺棄」ってことになるんですよね。壊れた人のためにその周りの人もまた壊してしまうんですよね。介護のためにいろんな可能性を殺してしまうくらいなら、国が介護を負担して周りの人を助けるくらいでよいと思うんですがねぇ… まぁ、言うは易くですかねぇ…