日常、三十二日目。
ラパンが発ってから数日、と言うか2日しか経っていないのに、心寂しい。いつもいつも一緒にいたから、居ないってこんな感じなんだと今更ながら感じる。妊娠中、仕事をせず専業主婦を少ししたが、その時もガラ~ンとした家で一人ぽっつりいったっけ。でも、その時は毎晩ラパンが帰ってくるからそんなに寂しくなかったのかも知れない。今はムートンが居てくれるから寂しさも半減だけど、ムートンも寂しいようなので可愛そうだ。たまに思い出したかのように”パパァ~?パパァ~?”と言って、トイレのドアを叩く。トイレに居ると思うらしい。何故なら、普段でもトイレに30分以上籠る習慣があるからだ。なので、ムートンは”パパ見当たらない=トイレに居る”という図が頭にenregistrer(*1:記録する)されているのだ。先日日記に、ラパンが留守中の生活は、旦那さんが出張した家庭のような感じと書いたが、旦那さんが出張しなくても日本のサラリーマン家庭はこんななんだろうなと分かった。そういえば、ウチの兄は家にいない。帰ってくるのがいつも12時近いからだ。早くて10時。以前は彼の息子も待っていたりしたが、最近はプレスクールも始まったりと、”子供らしい生活”に切り替えているので、夜に会うこともないらしい。なので、週の間は私の義姉と甥、2人だけの生活である。幸い、彼らはウチの両親の隣に住んでいるので、よく遊びにいったりご飯を食べたりしているらしいが、ママンと子供の1対1の生活だよなぁ。そう考えると寂しいだろうなぁと思う。すでに2日目を迎えた我々は寂しい気持ちが収まって慣れて来た感じもある。きっと彼らもそういう生活に慣れているから寂しいとは思わないのだろう。ただ、そんな生活をしているのを”頑張っているわねぇ、偉いわ。”と褒める人達がいるが、それはどうだか?とも思う。一人で子育てしているのは大変だと思うが、見守る周りもいるから幸せだと思う。手伝ってくれる人がいるのだ。ウチは運良く、ムートンがクレッシュに入れた。それはとてもとてもとても運のいい事だと認知している。その代わり、周りの手伝いはないのだ。私の親は日本だ。ラパンの親は身体不自由(ママンがね)だ。”どっちが偉い?”という問題になってくる。勿論世の中色んな生活をしている人がいて、誰の助けも、何処にも預ける事も出来ない人が山ほど居るのも知っている。それに比べたら、ウチはクレッシュに行っているだけマシだ。しかも、今我々には自由な時間がある。ただいつも思うのは、子育てが大変大変という仕事であり、それをしている人は“偉い”というのは如何なものかと。一世代前だったら褒められもしなかっただろう。一日中一緒に居るのは大変だと思う。自分の時間が全くない。何をするにも、何処にいくにも大変だ。じゃぁウチみたいに(以前のね)クレッシュに入れると、一日一緒ではないが、自分の思ったように子供を躾られないし、子供の精神状態にすごく気を使っていかないといけないし、毎日時間との戦いである。どんな状況であれ、子育ては大変なのだ。子供を持つという事はそういう事なのだと思う。だから、“偉い”という観念は私には理解できない。環境が整った家庭でも、シングルマザーの家庭でも、給料がnounou(*2:ベビーシッター)に横流しになってしまう家庭でも、ウチのように御気楽な家庭でも、子供がいるかぎり、みんな大変なんだと思う。ただ、私は怠け者ゆえいつもラパンがムートンの世話係なので、一人でお世話を見るのが”たっいへ~ん”なのだ。(本当に自分は棚の上なんだな)(で、エラソーな事を言うのも好きなんだな)なんて言いながら、甘えてくるムートンが可愛くて仕様がない。今日もせっせとIKEAまで足を延ばし、ムートンが大好きなDaimを買ってくる親馬鹿ぶりを発揮。しかも、最近朝晩が冷えるので、長袖Tシャツも買ってみたりする。お陰で、一人Bercy2のH&mで30分以上かけて5,5ユーロの長袖Tシャツを選んでいた。*1:enregistrer〔アンレジストゥレ〕; 録画、録音、記録、記憶、登録する事。 空港などのチェックインも。*2:nounou〔ヌヌ〕;nouriceが正しい言い方なんでしょうね。 根本的に”近所の子供の面倒を見てくれる人”で、 資格のある人だとassistante maternelleになる。 30時間以上のフォーメーションを受けた人で、 通常、nounouよりか安いが、申告しなくてはいけないのが面倒。 クレッシュなどで働いている人はpuericultrice(保母さん)である。