お願いだから「自殺だけは止めて!」
この世に生を受け産まれてきた人とは言えども誰も皆等しくいずれは死を迎える。でも、その最期が「自殺」。これだけは残された者にとって何ともやりきれない想いが残る。でも、その自殺者は近年増える一方だという。それだけ、社会が病んでいるという証なのかもしれない。今夜も妻の仕事関係の最高責任者が亡くなり、お通夜に行ってきた。私も何度かそこを訪れたときお顔は拝見していた。表向きの死因は突然死に用いられる病名になっていたが、実際は「自殺」だったようだ(公式にはノーコメント)。喪主席に座る残された奥さんや幼い子供たちの姿を見て胸が詰まったという。だって、亡くなった方はまだ40代の一番働き盛りの年代。隣に座った遠い親戚だという人が「最近そんな兆候はありませんでしたか?」と妻に聞いたと言う。それだけ周りでも、亡くなった人の苦悩を見抜くことが出来なかったようである。このところいろいろトラブルが発生し、それも原因の一つであり、さらに最近競争相手の登場も重なって、入場数の減少傾向はなかなかとめることが出来ない状況だったという。よく妻が「今日もお客が少なくガラガラだった」と言って帰ってきたことを思い出す。それだけに最高責任者としては強く意識して悩んでいたことは間違いない。だが残念ながら、その苦悩を相談して気分が晴れる相談相手が周りにはいなかったようだ。それだけに、ひとり悶々と悩んでいたのではなかろうか。妻はつい3日前(先週の木曜日)廊下で会って軽く挨拶をしていたという。まさかこんなことになるとは思いもしなかった。そんなに悩んでいたならそれなりの言葉をかけてやりたかったと残念がっていた。人間は、表面は強そうな素振りを見せていても、所詮は弱いもの。思いやり、相談、励ましなどの良き人間関係のうえでお互い支えあってこそ生きていけるものだ。もうこれ以上「自殺」という文字も言葉を、見たくも聞きたくもない心境である。