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ラスタ・パスタのレレ日記

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2007年07月01日
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テーマ:中国&台湾(3302)
『あれから10年も~、わすれかけたBig Wave』とは、サザンの歌で、山下達郎の『Big Wave』へのアンサー・ソングともいわれているが、
香港が中国に返還されて、もう10年もたってしまった、とちょっと感慨深い。

ぼくが出張で、一番多く行っている(回数が多い)のは、おそらく今でも香港だと思う。

最初に香港に行った1988年頃だったと思うが、一番頻繁に行っていたのは正確にはパスポートを見ないと思い出さないが、1990年代のはじめから出張が増えていき、、
返還の97年をはさんで、1994-5年から2000年くらいまでは、非常に多かったと思う。

その後、上海への出張が多くなり、香港からだんだん遠ざかってしまった。
中国市場へのゲイトウェイとしての意味が、香港から上海に移ってしまったからだ。

ぼくは、返還前の香港の雰囲気がとても好きだった。雑多なものが集まったエネルギー。

イギリス統治下にあって、まさにEast Meets West, West Meets Eastな雰囲気。
おなじイギリス旧植民地であったインド人が多かったのも印象的だ。

仕事を通して、数多くの香港人に会い、ある人は返還前にカナダーの市民権を得ていた。またある人はシンガポールに移住してしまった。

1997年の返還式前には、この世紀のイベントを観よう、というへんな盛り上がりが日本でもあり、香港のホテルが軒並み宿泊費を値上げ、法外な値段になっていたと思う。一瞬、自分も返還のその時を、香港にいて自分の目で観てみたい、とも思ったが、1泊5万円から10万円、20万円とホテルの宿泊費が暴騰し、あきらめたのを思い出した。

結局、日本で返還式典をテレビで見ていたが、自分が香港人でもないのに、自分が好きだった香港が、もう失われてしまうのではないかと、悲しかった。
自分の知っている香港の人たちの気持ちを思い、さらに寂しくなった。

もう、あの絶妙なバランスのEast Meets West, West Meets Eastな雰囲気はもうなくなってしまうのではないかと。

一国二制度を50年間は変えない、といいながらも、式典で中国の人民解放軍が香港に入ってきたときには、やっぱりすごく大きな違和感を覚えた。


97年の返還後も、98年、99年と頻繁に香港に出張したが、やっぱり香港がだんだん「中国化」されていくのが分かった。

新しい空港から香港の中心部に走る列車の案内が、
まず、香港駅を広東語で紹介し、それからマンダリン(北京語)で紹介し、最後に英語で紹介する。

そのときに、「香港」の発音が、みな違うのだ。
地下鉄の表示などにも、広東語の繁体字と、北京語の簡体字が平気されるようになり、街中で、北京語の声を聞く機会が多くなった。

ぼくは、広東語も北京語も出来ないが、なんとなく雰囲気が違うし、香港人の友だちと歩いていると、

「ほら、あのひとたちは(中国)大陸から来たひとたちだ。マナーも悪いし、洗練されていない。」と、香港の土にふさわしくないような言い方で言った。

為替レイトで香港ドルは人民元とフィックスされていて、ということは米ドルとフィックスされていて、香港の景気はよくない状況が続いた。

あの頃は、知っている誰に聞いても、自分は「香港人だ」と言っていた。
今は、どうなのだろう。

テレビのニュースでは、中国との一体化がゆっくりと慎重に進められ、自分達を「中国人」と考える人が増えてきた、と言っていたが本当なのだろうか。

香港の景気が悪くなっても、香港人の前向きな向上心、上昇志向はあいかわらずエネルギッシュだった。
仕事を一緒にしていた会社から、独立して自分の会社を作った人もいるし、仕事をしながら、夜、会計の勉強のため学校に通っているひともいた。

ところが、ここ最近は、香港の景気が案外よくなっていたらしい。
それは、中国本土からの観光客が年間のべ2,000万人程度(ニュースでは1,800万人と言っていたが)になり、かなりのお金を使っていくらしい。

上海で話を聞いても、上海では手に入らない商品や、上海よりも安いブランド品などを、年に1-2回、ひとによっては2-3回、香港に出かけて沢山買いに行くらしい。もちろん、いわゆる富裕層や新中間層といわれるひとたちのことだが。

先週の報道ステーションで、香港の九龍側のモンコクや、
香港島側のコーズウェイ ベイの街の様子が映されていたが、懐かしかった。

97年の返還後もよく行った街だ。
モンコクは、ぼくの好きな街のひとつで、モンコクの雑踏の中にいると、自分も香港人になったかのように、まわりのひとがぼくを一目で、「日本人だ」と見抜けなくなったような感じがした。いや、ただ、彼らが他人に興味がないせいだったのかもしれないが。


モンコクには、電脳城や、雑居ビルで、ゲームソフトの海賊版、日本のテレビドラマの海賊版VCD(のちにDVD)などを売る店が無数にあって、ぼくも時々、日本のドラマのVCDなどを買っていた。

もちろん違法な商売で、警察(公安)が、ときどきがガサ入れに来るのだが、どこかに見張りがいて、公安が来るといっせいに雑居ビルの中の各店舗がシャッターを閉めたりしてごまかしていた。
ある時、ドラマや映画のVCDをゆっくり観て探していた時、公安が来て、ほかの客数人とともに、店のシャッターが閉じられ、店の中に閉じ込められたこともあった。もう安全だ、と確認されるまで、そうして店の中でほかの客と一緒にかなりの時間待った。

一方、香港島側のコーズウェイベイは、もともと雑多な繁華街だったところへ、香港のビジネスが拡大されていた時に、オフィスビルが金鐘(アドミナリティ)や中環(セントラル)から移ってきて、いわば、繁華街とオフィスビルがむちゃくちゃに交じり合った雑踏のような場所だった。SOGOや、タイムズスクウェアという大きなショッピングモール(というよりはプラザ)と高層オフィスビルがつながった複合施設が出来たりして、なかなかにぎわっていた。
SOGOとタイムズスクウエァの近くの雑居ビルが、その頃はやっていた日本のファッションをまねた小さなお店がいっぱい入ったファッションビルになったりしていた。

まあ、いつも仕事の合間に、そんなところをさ迷い歩いていた。

モンコクやコーズウエィベイは、今どうなっているのかなァ。
ニュースの映像でみるかぎり、街並みはそんなに変わっていないようでもあったが、きっと内容がかなり変わっているのかもしれない。

「香港の中国化」が進んでいるというのは、ぼくもそう思うが、
ニュース番組の解説者がえらそうに知ったかぶりして、
「中国も香港化している」と言っていたが、ぼくはそれには同意できない。
あのひとは、最近の上海や北京へ行ったことがあるのだろうか。

2000年以降の上海や北京の発展振りは、それは凄いものがあるが、その発展の仕方は、あきらかに香港とは違い、やはりどこか「大陸的」だ。

香港、中国が今後どのように発展していくのかは、個人的に興味がある、といだけではなく、ぼくの仕事にも直接関係するし、仕事をぬきにしても、中国がこれからどのようなスピードでどういう形で発展していくかは、日本の経済や社会や生活に直接、大きな影響力を持っている。

あの頃の「香港」のEast Meets West, West Meets Eastは雰囲気が失われていく、なんていう感傷にひたっている場合ではないのかもしれない。






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最終更新日  2007年07月03日 21時23分15秒
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