山川菊栄の思想と活動‐姉妹よ、まずかく疑うことを習え
この表題、「今もだ」って思いませんか。あいち国際女性映画祭で以前キリスト教徒との紛争が続く{{{フィリピンの「光、新たに」(マリルー・ディアスアバヤ監督)}}} を観ました、大変な大作ですが勿論女性監督の手になるものでした。山川 菊栄の両親の写真見て、びっくり、華族のような明治の洋装なのです。{{{菊栄の母千世は東京女子高等師範(後のお茶の水女子大)の第一回生だった、女子教育無用論に屈することなく新知識吸収に努め、その周辺には津田梅子(津田塾大創設者)や矢島揖子(婦人矯風会創立者)らがおり、進取の気風が伝わる。「少女のころ」「大正にはいってから」「昭和にはいってから」は、菊栄の回想録であり、本書の核心である(執筆は戦後)}}} 。菊栄の父は森田龍之助、足軽出身、苦学してフランス語を修めて、陸軍省の通訳となりましたが、後に畜産業技術のさきがけとなって、「養豚新説」という著作も残したそうです。母は水戸藩士で弘道館教授頭取代理・彰考館権総裁を務めた儒学者・史学者の青山延寿の娘・千世で、菊栄自身は青山姓を名乗った。弘道館の初代教授頭取を務めた儒学者・青山延于は母方の曾祖父にあたる。東京府立二女卒業。[[attached(2,center)]][http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%B7%9D%E8%8F%8A%E6%A0%84 山川菊栄]山川 菊栄(山川 菊榮、やまかわ きくえ、明治23年(1890年)11月3日 - 昭和55年(1980年)11月2日)は日本の評論家・婦人問題研究家である。旧姓は青山。東京生れ。山川均の妻。日本の婦人運動に初めて批評的、科学的視点を持ち込んだ。多くの評論集は、明晰な分析と鋭い批評眼を示し、日本における女性解放運動の思想的原点と評される。また、戦前から柳田国男の薫陶を受け、母や故老からの聞き書きや祖父の日誌をもとに、「武家の女性」「幕末の水戸藩」などの社会史を残した。[[attached(3,center)]]{{{菊栄は政府が売春を制度化していた時代、公娼制度廃止を強く訴えた。}}}{{{母の影響でトルストイや木下尚江の著作を読み、反動期の社会情勢や「良妻賢母というお念仏」を掲げる学校教育に反発、各種の社会運動に関わる。十八歳の時、救世軍の活動にも参加するが、紡績工場の女工らを前に「労働は神聖......日々ぶじで働かせて頂くことを感謝」との説教に、「あのごうごうとうなる機械のそばで一晩中睡らずに働き、生血をすわれて青ざめたこの少女たちの生活がなんで神の恩寵であり、感謝に価するというのか」と憤激、「キリスト教には縁なき衆生」を誓う。}}}以前、{{{「武家の女性」}}} などを読みました。{{{夫山川均も社会主義者}}} {{{皇太子の結婚事情について書いた論説「人生の大惨劇」が不敬罪に問われ、重禁固刑を受ける。これは、不敬罪が適用された最初である。出獄後、いったんは倉敷に戻るが、ふたたび上京。明治39年(1906年)に堺利彦らの日本社会党に入党、日刊『平民新聞』にも参加し、社会主義運動に加わった。明治41年(1908年)には赤旗事件で入獄し、獄中で「大逆事件(幸徳事件)」の報を聞く。出獄後、一時故郷で薬局を開業するも、再三上京し堺の売文社に入社。社会主義冬の時代を評論活動で糊口を凌ぐ}}} {{{市川房枝}}} のような人でも戦争に協力していくなか菊枝は自説を貫いたようです。{{{上野千鶴子さんの話}}} 男子普通参政権の時は警戒し最悪の治安維持法抱き合わせたのに、女性参政権の時は見くびられ何もなし、女は戦後、夫の身代わりに立候補したり夫や世間?などの言うとおりに投票したり。[[attached(4,center)]]関東大震災の時、大杉栄・伊藤野枝は甥の橘宗一と共に憲兵に連行され殺害される(甘粕事件)。山川夫妻は自宅焼失のため難を逃れた。大杉栄・伊藤野枝などのように華々しい逸話はないので映画を作るのは苦労されたそうですが、おなじみの女性評論家が菊栄について話される場面、子孫の津田塾大の教授のお話、家計のため野菜や、鶉を飼育し取引先に値切られる話など興味深いものがあります。{{{大正7年(1918年)ころから始まった母性保護論争に参加、社会主義の立場から平塚らいてう・伊藤野枝らの運動を批判。女性論壇の第一人者となる。大正10年(1921年)4月 日本で最初の社会主義婦人団体「赤瀾会」を結成、同年メーデーに初参加。昭和22年(1947年) 日本社会党に入党。9月1日、片山内閣のもとで労働省(新設直後)の初代婦人少年局長に就任。昭和37年(1962年) 田中寿美子らと婦人問題懇話会を設立。昭和55年(1980年) 死去昭和56年(1981年) 彼女の業績を記念して、山川菊栄賞設立。}}} 映画のあと数少ない男性観客から感動したのでから応援したいという頼もしい発言もありました。監督の弟さんがカメラ編集を担当、監督は勿論、弟さん、菊栄記念館館長、菊栄が息を引き取るまでお世話された上品な女性も来場されご挨拶がありました。{{{山川菊栄の思想と活動‐姉妹よ、まずかく疑うことを習え監督: 山上千恵子·9/8(木)14:00 大会議室女性解放運動の先駆者の一人である山川菊栄は、平塚らいてうや与謝野晶子との間で母性保護論争を繰り広げ大きな注目を集めた。その生涯を家族や生前を知る人々、そしてその思いを受け継ぐ人々の語りから浮かび上がらせたドキュメンタリー。}}} [[attached(5,center)]]会場ウィルあいちのフェアトレードのお店{{{国際貿易における先進国と途上国の公平さを図り立場の弱い途上国の生産者・労働者により良い取引状況を提供し、彼らの権利を強化することで持続可能な発展が実現できるように貢献する。また、従来の国際貿易の規則と実態を変化させるために働きかける。}}}WIKIよりチョコレートやコーヒー、紅茶は映画館、雑貨屋さんに、最近ではデパートでも売られています。アクセサリー、バック、服などイギリスのデザイナーも協力しておしゃれな品も揃っています。 [[attached(6,center)]]ウィルあいちの真向かいにある下名古屋高裁、今は市政資料館[[attached(7,center)]][[attached(8,center)]]戦後労働省(新設直後)の初代婦人少年局長に就任至それを追われたわけなどもお伺いしました。