緑川まり& 米良美一おしゃべりデュオコンサート
本当に素晴らしいコンサートでした。米良さん出演コンサートは4回目ぐらいですが緑川産は初めて。最初の登場は{{{中世ヨーロッパのような豪華衣装}}}(名古屋在住の先生が作られる衣装だそうです。胸の部分のみ緑色の布で強調されていて、袖はスラッシュという切り込み装飾。この装飾はスイス兵の服装に由来するとされており、ドイツやイタリアでも流行した。[http://www.costumemuseum.jp/collection/w_isho/03.html 杉野学園衣裳博物館])[http://q.hatena.ne.jp/1147609314 ヨーロッパの衣装]をまとった緑川さんのあとに、{{{黒髪のおかっぱかつらに全身つなぎの金色衣装,おなかには金の字の腹掛け!}}}米良さんも叱られる一歩手前と言われましたけど、皆さん爆笑第一部{{{緑川まりさんのソロはアヴェ・マリア、ヘンデルの「私を泣かせてください」鱒、クローリスへ}}}米良さんが皆さんには同じに聞こえたでしょうか、イタリア語、ドイツ語、フランス語ですと笑わせます。司会、進行もお上手です。お二人でアメイジンググレイス童謡や日本の懐かしい唄をあれほど、いろんな歌い方で感心します。ぞうさんはアルトからバスまで!どれほどの修練か。{{{「さっちゃん」は故大浦みずきの父阪田寛夫の作詞}}}アンコールは{{{ヨイトマケの唄}}}皆さんはご存知ですよね。実体験に近い。[[attached(2,center)]]愛知県芸術劇場コンサートホール先日、市役所でテノールやバリトンのソロは聴いたのですがソプラノのソロがなかったので緑川さんの美声には大満足でした。衣装も{{{マリーアントワネット風}}}(ご本人談)やスカートの部分に日本の着物、帯の生地を使ってあるドレスなど4点、目も耳も楽しませてくれました。米良さんは{{{金太郎のほか、ブルー系のスーツ、赤いリボンつけた花柄の赤い着物、市松模様のスーツ!}}}サービス精神にあふれています。音楽衣装、お話。これが今回はFM愛知主催で4000円とはお徳。[http://blogs.yahoo.co.jp/shishi5235/18720711.html 米良美一死が身近だった少年]2007年の記事です。{{{「もののけ姫」}}}でブレークする直前、新聞で米良美一のCD{{{「母の歌 日本歌曲集」}}}の宣伝を見た。そのCD、{{{鳩山邸のステンドグラス}}}前の写真も載っています。印象に残っていた。そのうち「もののけ姫」の歌声がしばしば流れてきた。本当に心地よくて好きな声だった。出るCDは次々ゲット、デビュー前の「マリアンナ」まで買い込み聴きまくった。 {{{ドミニク・ヴィスやスラヴァ}}}ら、他のカウンターテナーも聴いた。{{{映画「カストラート」}}}が話題になった。でも彼の声が一番好き。 数あるCDの中でもよく聴いたのは{{{「ロマンス」}}}メンデルスゾーン、バッハ、ドヴォルザークの名曲はお勧め。{{{ 加藤周一の「さくら横丁」北原白秋の「日本の笛」の入った「うぐいす」水色のワルツ、夜来香の入った「かれん」}}}も毎日楽しんだ。{{{バッハの「ヨハネ受難曲」、同じカウンターテナーのヨッヘンコバルスキー、ソプラノのグルベローヴァとのコンサート}}}にも出かけた。そのうち彼の美声が出なくなった。 声は繊細な楽器、無理もない。突然脚光あび、仕事は忙しくなる。自分の声は強いとおもいこんでいたという。 子供の頃からの骨の難病もある。音大進学の為にご両親は大変だった。{{{美輪明宏の「よいとまけの歌」}}}を歌うようになった。 そんな病やいじめの事で苦しんだことが新聞にも載った。 しばらく聴いてなかったが大事なCDを又、聴くことにする。 先週から3回にわたる新聞特集、米良美一の2回目、あんなに仲のよい親子が18歳までの間、9年しか一緒に暮らせなかったとは。{{{ 簡単に骨が折れたり変形したりする原因不明の難病で小学校入学をこばまれ、病棟と寄宿舎を備えた、養護学校で寝たきりになったことも。間段なく襲われる四肢を引き裂く激痛、排泄物の世話される屈辱。}}} バロック音楽のマネジメントを長年、手がける武田浩之さんはコンクール予選で彼を発見した時、衝撃に打ちのめされた。以来、{{{「彼はただ一人だけ、僕が天才と認める存在」}}}{{{「旋律に宿されたた思念やイメージを、細部までことごとく浮き立たせ、悩ましく叩きつけてきた。彼が『血』と発声するのを聴くと、おびただしい鮮血が総身を駆け抜けるのだ」コレだ}}}私があんなに聞き惚れたのも無理はありませんね。 しかし違和感を抱いたのは彼にアイドル志向のような願望があったことと武田さんは言う。「私の中では『もののけ姫』で彼は終わった。その責任の一端は私にある」と武田さんはいまだに悔やんでいる。哀しいけれどCD聴けば輝かしく深い歌声は残っている。共演した大ソプラノ、エディタ・グルベローヴァや同じカウンターテナーとの舞台、バッハコレギュームジャパンの演奏会は忘れられない。 {{{「カウンターテナーの秘密」というサイトを開いたらカウンターテナーは1時間半も持たないそうだ。}}}大変な技術がいる。{{{ジェシー・ノーマン}}}は気前良く何回もアンコールに答えていておかしくなったのは私でもわかった。{{{グルベローヴァ}}}はほんのお義理にしかアンコールに答えず、非常にデリケートなコロラトゥーラを、喉という楽器を大事にしているのがわかった。 {{{50年だったが驚異の長期、大ソプラノだったミレッラ・フレーニ}}}はドミンゴとよく共演していた。パヴァロッテイとは幼馴染。オペラ歌手は大変な節制せねばならないし旅公演多く家族とも離れ離れでさみしいとか。{{{バッハの宗教音楽の権威 岡田孝先生いわく「言葉をささげる意識、祈り、昔の人がどういう気持ちで『主よ。哀れみたまえ』といったか考えなさい」}}} そういえば{{{マリア・カラスも1音1音ゆるぎなく歌えるよう勉強、勉強}}}というようなことを言ってましたね。カラスは絶頂期が短かったけれど永遠のデーヴァ。 {{{黒柳徹子がマリア・カラスを演じた「マスタークラス」}}}も、もう一度観たい。彼女の芝居は歯切れが非常にいいのだ。 米良美一の歌のかけがえの無さは難病との闘いと深い関係があるのだろう。繊細な声は多忙なスケジュールや中傷があってはとても持たないでしょう。これからもお体をいたわりご活躍してください。米良さんご出演のミュージカルは見逃し残念です。