フリーダ・カーロ
森村泰昌の扮したフリーダの写真を見て2002年の映画「フリーダ」と「フリーダ・カーロとその時代展」に行き、画集や芸術新潮「フリーダ・カーロのざわめき」を買ったことなど思い出した。もう6年近くたってるので間違いもあると思う。大変な事故、病などの苦闘の中で絵を描いた、フリーダ。愛したり愛されたり裏切られたり。どれほど愛する人の子供を産みたかっただろうか。独創的な絵を観ると分かりすぎるほど。切ないけれどたくましさには憧れる。映画のオープニングはベットごと運ばれていくフリーダ。反転してセーラ服のフリーダになる。素晴らしいでだし。バス事故が起こり彼女の腰に鉄棒が貫通。隣にいた職人が持っていたオペラ座の天井にまく金粉と被害者の血が飛び散る。この悲惨な場面が素晴らしい絵になってる。芝居や映画の良い場面は名画になっている。フリーダの青い家も一目見たら忘れられない。映画の主演、制作はサルマ・ハエック フリーダのファッションも見逃せない。男装もあります。ロックフェラー演じたエドワードノートンは脚本にも協力。シケイロスにアントニオ・バンデラス。監督・作詞は舞台演出家、ミュージカル「ライオン・キング」のジュリー・テイモアフリーダに見出された伝説の歌手の演奏も見事美術展ではメキシコの女性芸術家たちの知性、想像力、幻想性に驚いた。フリーダや彼女の恋人トロツキーの写真取ったのもメキシコの女性カメラマンFrida Kahlo、1907年7月6日 - 1954年7月13日)は、メキシコの画家。当時のメキシコシティ郊外、南西にある小さな町コヨアカンに生まれた。父親は画家・写真家でルーマニア オラデア出身のドイツ系ユダヤ人移民であった。6歳の時ポリオ(小児麻痺)に罹患し右足が不自由になった。更に1925年9月17日、学校から下校途中に乗っていたバスで事故にあい、肩の脱臼、肋骨・鎖骨・背骨・骨盤が骨折、右足の粉砕骨折、子宮等女性器に重度の受傷を被る瀕死の重傷を負った。入院中絵を独学で学び、創作した作品が、著名な壁画家であったディエゴ・リベラ(Diego Rivera, 1886年 - 1957年)に才能を認められ、後1929年8月21日に結婚。リベラの浮気、バス事故の後遺症での流産を繰り返すなどがあり1939年離婚するが翌年復縁、以降、怪我の後遺症に苦しみながら創作活動をした。ヨーロッパ的感性にインスピレーションを得た創作活動を行い、知的かつ特徴的な独自のシュルレアリスムの創作は、のちにフランスのシュルレアリストたちに高く評価された。「メキシコで最も有名な画家の一人とされ、とくに結婚後の恋愛(彫刻家のイサム・ノグチやロシアの革命家レフ・トロツキーなどとの奔放な恋愛、いわゆる不倫)は憧れと尊敬の対象で、メキシコやラテンアメリカの女性のひとつの理想像の典型とされ、何度か映画化されている。社会主義を建前とするメキシコで生活したため、スターリンを尊敬し、居室にスターリンの肖像を掲げて暮らしていた。 (メキシコ共産党員)一説にはメキシコで最初にジーンズを履いた女性といわれる。1954年7月13日肺塞栓症により47歳で逝去した。フリーダ・カーロの生家であった通称「青の家」(La Casa Azul)は、現在フリーダ・カーロ博物館(Museo de Frida Kahlo)となっている」森村さんは宝塚のべルばらのオスカルやマリーアントワネットの扮装は宝ジェンヌも真っ青と言うほどお似合いだが。フリーダはいかがでしょうか。 テレビ美術舘夢見る宝塚