『降霊 KOUREI』
マーク・マクシェーンの「雨の午後の降霊術」の映画化。というかTV用映画である。この原作の映画化としては既に1964年、ブライアン・フォーブス監督の同名作品があるので、そのリメイクということになる。監督は黒沢清。効果音技師の佐藤克彦(役所広司)が山の中で自然の音を録音している時、誘拐犯のもとから逃げてきた少女が克彦の大きいトランクに身を隠した。克彦は中身を見ずにトランクを自宅に運び、数日間放置。その頃、誘拐犯は捕まったものの意識不明の重体となってしまい人質の少女の行方は誰にもわからなかった。事件の担当刑事・柏原(きたろう)は旧知の心理学者・北見教授(岸部一徳)から霊能力者の存在を知らされ、北見教授の教え子・早坂(草なぎ剛)と共に霊能力者に会う。実はこの霊能力者は克彦の妻・純子(風吹ジュン)なのだ。刑事から少女の所持品だったハンカチを受け取って家に帰った純子は愕然とする。「何でウチにいるのか」と・・・ 本作のミソは、純子はそれほど強力な霊能力者ではなく、時々霊の存在を感じたり見たりする程度という点。しかし行方不明少女の捜索という仕事が舞い込んできて、有名になろうと言う野心が湧いてきてしまうのだ。それがもとで破滅の途をたどることになる。全体としてはけっこう地味で、幽霊の扱いもオーソドックス。心臓が止まるようなショッキングなシーンはない。しかし何気ない怖さは相当なもので、深夜に観るのは怖いかも。場面は落ち着いた色調で、軽さはあまりない。TV用映画としてはかなりハイクオリティだと思う。 純子の霊視・霊感能力と並んで本作のキーとなるのがドッペルゲンガー現象である。自分と生き写しの人物が目の前に現れると言う現象で、古くから見ると死ぬと言われている。本作では克彦のそれが現れるのだが、このシーンは特異な音楽が相俟って、なかなかユニークで面白い。役者たちは地味ながら、さすがに上手い。終盤少々おかしくなっていく純子を演じた風吹ジュンもいいが、気弱な夫の役所広司も良い。他に大杉漣がファミレスの客(このシーンは怖い)、哀川翔が神主役で出ている。なかなか優れた作品だと思うのだが、残念な点が一つ。それは少女がトランクに入って家に運ばれてくる設定だ。克彦はでかい空のトランクを何の目的で山に持っていったのか?少女が入らなかったら、ただ空のトランクを持っていって、持って帰ってきたということになるが、そんなことがあり得るだろうか。そして小学校低学年の少女とはいえ20キロ位はあるだろうから、持っていて変だと思わなかったのか?・・というところ。この部分がちゃんと理由付けできていたら満点だったろう。まあ、あまり気にしないで観るに限る。地味なホラーがお好きな方にはお勧め。DVDレンタルあり。 監督:黒沢清 原作:マーク・マクシェーン脚本:黒沢清/大石哲也 撮影:柴主高秀 美術:丸尾知行 音楽:ゲイリー芦屋 2001年・日本 / 97分 / 評価:4.0点 / 子供:△