こんな映画を観た~草原の実験
一日限りのシアターキノ主催「アジア映画祭」で上映された一本。数々の映画賞を受賞した2014年作品。アレクサンドル・コットというロシアの新進映画監督が脚本も兼ねている。映画の新しい世界を拓いた画期的な作品であり、監督の名は映画史に特筆されることになるだろう。オペラにしろ映画にしろミュージカルにしろ、言葉の問題というか言葉の壁の問題がある。吹き替えや字幕でなかば解決可能だが、文字を読めない8億人にはこうした芸術は届かない。それでも他愛ないお話ならバレエで表現できるだろうが、たいていそうはいかない。この映画にはセリフがない。セリフのない映画はほかにもあるが、そうした映画でも文字を読む必要、字幕が必要なケースがほとんどのはずだ。しかし、この映画は言葉なしですべてを表現しているし、そのために衝撃度がさらに高まる。この映画はいったい何を言いたいのだろうと「言語脳」で映画を見ている自分の鑑賞姿勢そのものを破壊されるような衝撃があるのだ。最初はモンゴル映画かと思っていた。父と二人で暮らす少女の、その父の風貌がいかにもモンゴル人のそれだからだ。少女をめぐって二人の男があらそう。ひとりの風貌が白人のそれなので、その次には旧ソ連の中央アジアの国の映画かと思いながら見た。予備知識なしに見た人は同じように感じるのではないかと思う。しかしラストでロシア映画だということがわかる。いや、あまりにも世情にうとい人はわからないかもしれない。でも、わからなくてもかまわない。この「実験」が何の実験であるか、少女の父がなぜ病気で死んだのかを推測できることができれば、どんな国のどんな民族でもこの映画を100%理解できるし、国家と権力の反人間性のすさまじさに衝撃を受けるはずだ。一度見て絶対に忘れられない映画は、実は決して多くない。この映画は「戦艦ポチョムキン」「独裁者」「ローマの休日」などと並ぶ、その数少ない一本である。