熱海ゆかりの文化勲章受章者の旧跡めぐり
8/21は静岡県民の日でした。「知られざる、熱海の隠れた史跡探訪ウオーク」の募集があったので参加しました。そして、熱海にゆかりのある文化勲章受賞者の旧跡をたずねて、熱海を猛暑の中、一日歩きました。熱海は温泉地として有名ですが、もともとは冬の避寒地としての政財界人や文化人の別荘地として発展した街なんです。来宮神社にAM8:30に集合し、45名の参加者がありました。 市バスで西熱海別荘で下車、ここからのスタートです。★西熱海別荘地 高台にあり、見晴らしも良く樹木もたくさんで、猛暑の中でも風が気持ちよかったですが、閉じられている家や、売り家の看板も見られました。★彩苑 杉本苑子旧宅 ここに15年間住み、執筆された旧宅です。平成14年文化勲章受賞昭和52年に西熱海に別荘を建て、ここに転居した。 平成7年に転居される際、「熱海文学館」設立を条件に、土地・建物・著作権の全財産を熱海市へ寄贈を申し出た。その申し出を受け、「彩苑」を開館した。熱海市名誉市長です。参加者皆様に「万葉の女性歌人たち」杉本苑子著の、ご本を頂きました。★横山大観の扁額 大観書の扁額が山種別荘の茶室の門で見ることが出来ます。茅葺き屋根の門が風情があります。 横山大観1868~1958昭和12年文化勲章受賞戦時中空襲で自宅が消失、熱海に疎開、伊豆山(現 蓬莱旅館)に居を構えた。★安井曽太郎が滞在した「文芸春秋寮」 昭和27年文化勲章受賞熱海の文芸春秋寮で制作した「楠の新芽」 裸婦の坐像 スランプの時代の彼は熱海での作品が大好評で、41才で不振から抜け出した。熱海の風土が明快な構成美をうながしたからといわれている。★梅原龍三郎 昭和27年文化勲章受賞大正5年、28才の時に初めて熱海に作品制作の為に滞在。その後、昭和6年43才の頃から10年頃まで、野島別荘を借りて裸婦制作に専念。 「熱海野島別荘」油彩画を昭和8年に制作★吉川英治旧居跡 現在は水戸忠の西山寮になっています。昭和27年から37年まで10年間居住しました。昭和36年文化勲章受賞 ぐるっと道に沿って広い敷地のようでした。ここで、「新平家物語」「鳴門飛帳」「温泉雑景」「頼朝と遊覧バス」「史学余話」等を執筆★佐々木信綱の「凌寒荘」 病気療養と著作の為、昭和19年この別荘に転居し、昭和38年亡くなるまで当地で暮らした。昭和12年第1回文化勲章受賞「凌寒荘」は友人の徳富蘇峰が命名したもので、寒さを凌ぐ暖かな熱海の家を意味している。数奇屋造りの平屋建。市有施設として(土)(日)(祝)に一般公開・無料で公開しています。ここで、冷たいお茶と梅干をいただきました。★谷崎潤一郎の「潤雪庵」 昭和24年文化勲章受賞。★谷崎潤一郎は、家族の避寒地としてこの西山の別荘を購入。 昭和17年より20年まで、3年間居住。昭和17年よりこの自宅で「細雪」の執筆に専念した。その他、「疎開日記」★鰻や「重箱」の跡地。 谷崎潤一郎は美食家としても有名でした。自宅から3分ぐらいの所に、鰻やがあり、年に90回ほど通ったそうです。今は、草が生茂っていました。西熱海別荘地からどんどん下りて来て、太陽もギラギラです。来宮神社にお参りをして一休みということになりました。★来宮神社来宮神社には樹齢2000年の天然記念物「大楠」があります。 ★湯川秀樹の歌碑 湯川秀樹(物理学)昭和18年文化勲章 昭和24年ノーベル賞受賞この碑は、大乗寺の境内にあります。「物みなの 底に一つの法ありと 日にけに深く 思い入りつつ」書は大乗寺の先代住職による★川端康成旧居跡(旧鳥尾子爵別荘) 現在は稲葉設計事務所になっていて、住居は無いが庭に黒松と赤松が残っていた。昭和36年文化勲章 ノーベル文学賞受章受賞川端康成は、暖かく温泉がある熱海が好きで、昭和2年から3年の6ヶ月間滞在した。ここの鳥尾別荘は100℃の温泉が出るので、冬でも暖かく「外から玄関に入ると温室に入ったように暖かで下駄も温まっていた」との手記を残している。昼食は「岡本ホテル」の4F大広間で、松花堂弁当(500円)でした。お刺身・天ぷらも入っていて500円は、安~い!! 支払いは各自払いです。45分ほどの昼食タイムの後、市バスで「澤田美術館」へ。★澤田政廣記念美術館 澤田政廣(彫刻家)熱海市出身熱海市名誉市民昭和54年文化勲章受賞「ダヴィンチ人体手稿」 今回の旧跡めぐりの目玉として、参加者だけに同館所蔵の「レオナルドダヴィンチ人体手稿」の原本複製が、初めて特別お披露目された。澤田氏は彫刻制作のデッサンの参考にするために購入したものだそうです。資料は三冊あり、複製は縦45cm、横31,5cmで、解剖図などは201枚と膨大でした。館長さんが澤田氏の作品と関連づけて説明してくれました。★木彫「蓮華」のモデル 美術館の庭に、木彫「蓮華」のモデルになったハスの蕾があった。直径20cm以上の花が午前中だと見られるとか。★樹齢1000年の楠 93才から100才の時に彫るつもりで用意されていたもので、美術館の裏で見ることが出来ます。「澤田政廣の言葉」人生は、マラソンである。この折り返し点は60才である。私には、老後という言葉はない。何故ならば、私には常に打ち込める事の出来る彫刻があるからだ。93才で没するまで意欲的な方だったようです。50分の見学時間は短く、何度でも機会があったら来ようと思いました。★起雲閣 起雲閣は、熱海にゆかりのある文豪の展示室です。太宰治(大鳳の間に宿泊) 三島由紀夫(孔雀の間に新婚旅行) 舟橋聖一(孔雀の間で執筆)山本有三(玉渓の間に宿泊・昭和40年文化勲章受賞)志賀直哉(起雲閣宿泊・昭和24年文化勲章受賞)井上靖(起雲閣宿泊・昭和51年文化勲章受賞)竹田泰淳(別館にて執筆)「起雲閣」は、ここをクリックして下さい。全行程12キロ、22333万歩でした。古き良き時代の「熱海」探訪でした。それにしても、熱海には「負の遺産」が多いな~とも感じました。