PTAを考える
PTAの互選会に行く日がやってきた。年度末近くの月末となり、目の回る忙しさであるが、どうしても時間に行かなければならない。なんとか切り上げようとするが、結局、いったん戻って、再び職場にもどって仕事をすることにして、とりあえず帰途につく。あいにくの雨。レインコートを着ていても、かなりしみこんでくる。連日の、娘の病気や通院で、夜もあまり寝ておらず、疲れがでて、かなり私も体調がわるい。今日もかなり頭痛がして、気分が悪く、職場の人にも顔色が悪いと会う人、会う人に言われ、おう吐もある。いったん保育園に行き、子供を迎えに行って、帰途につく。子供を下ろして、濡れた体を拭き、子供たちに夕食の指示をしていると、19時の開催時間に遅刻してしまう。遅刻して行くと、遅刻するかもしれないと伝えてはいたが、いないあいだにいろいろと決まってしまい、「学級委員長をやるように。」といわれる。学級委員長は、かなりの頻度で、平日にも学校に向かい、いろいろと取り仕切らなければならない。フルタイムで仕事をしているので、それはできない、というと、何時ぐらいに帰るのか、夜なら明いているだろう、と言われる。明いている、と言われればそれまでだが、明けているというのが正しい。こどものお迎え、食事の世話とあるのに、どうして、明いている、と言えるのか。土曜日も仕事をしている、というと、「日曜日なら明いているだろう」と言われる。日曜日は休みの日ではない。平日できない、家事が山積みである。1週間の食料の買い出し、普段おざなりになっている、そうじ、片付け、子供たちの持って帰ってくる書類の整理、子供たちの必要なものを聞き、買い出しのリストに入れたり、買いに行ったり。細かい修理や、繕い物もしなくてはいけない。一日中かかっても、終わらないのが通常。子供たちにも関わる暇もないぐらいなのに、と思う。できないというのに、「どうしてもやるように。」と言われ「誰もやりたい人はいない。」「6年間やらないで逃げる」等の消極的な言葉に驚く。それを発言したのは、男性でありながら、PTA会長やそのたPTA活動を積極的に引き受けいただき、活躍していただいている方。事情があってできない人がいるというのはわかるが、やりたい人がいないの会など存在意義があるのだろうか。やりたくないことは、だれも頑張らないし、行われるものも精彩を欠き、魅力のないものになってしまう。イベントについても、前年度のものを引き継いだ惰性でやっているのであれば、あまり必要ではないように思う。教養委員なら、PTA新聞をつくるのが役目で、コーラスに参加することが強制され、練習も強要される。体育委員なら、やりたくなくても、バレーボールに参加し、人を集めなければならないし、練習にも参加しなければならない。スポーツやコーラスなど、やりたくない人がやる必要性がどこにあるのだろうか。しかも、こどもとはなんの関係もない。以前にやはりPTAの役員がまわってきたとき、親の入院などが重なってきて、睡眠時間をけずるしかなく、体力気力とも限界を超え、精神的にかなり追いつめられ、子供に学校をやめさせなければならないのかと思い詰めたこともある。子供が4人いれば4回、役員をやらないといけないと言われるが、昼間仕事をして、帰ってからできるというのなら、なぜ男性がほとんど参加しないのであろうか。PTAの活動が、親の活動であれば、子供の数ではなく、親の数で決まるべきではないだろうか。親が一人だと、仕事と家事をひとりで引き受けているのであるから、子供が一人で親が二人の家庭に比べて、8倍の負担がかかっていることになる。わたしが倒れても、結局は誰も責任を取ってくれないが、とりあえず添う決まっているからと強要する。しかし、強要している人も、上からそうしろと言われているからそう言っているだけで、その人にかみついてみてもどうしようもない。「楽しいから、だまされたと思って一緒にやりましょう。しんどい思いしてもやりがいがあるよ。」というのなら分かるけれど、「自分の子供も世話になっているはず。誰もやりたい人がいない。自分もいやだから、あなたもしろ。」という、子供を人質に取ったような言い方では、会がなりたたないのではないであろうか。PTAは加入は任意と聞いている。やりたい人がいない魅力のない活動であれば、これからの時代、加入しない人が増えてくる可能性も高いかと思う。PTAの存在自体、活動自体、やりたいと思わせる魅力なものにしないと、存在が危ぶまれるのではとおもう。やりたい人がいない会は必要ではないし、それでも必要であれば、やりたい会にしないといけないはず。興味もないのに、やらなければいけないコーラスやスポーツ教室の不満は他でも聞く。男性が参加しないことにも不満を聞く。男性が参加しないと行けない設定にすると、知らない顔をしていた男性も、自分のこととなると、改革を行い出すのではないだろうか。今の状態では、役員を立候補している人も、やりたいからやるわけではなく、一度やれば辞退権がでてくるから、低学年のうちに、楽な委員を先にやってしまおう、という消極的になものにすぎない。結局、平日は、活動に参加できないというのを、昼間活動が少ない役割に代えるようにするから、上の人に話しておくからということで、引き受けるとひとことも言わないうちに、引き受けたことにさせられていた。一旦引き受けるとそれなりに、責任もでてくるし、前回引き受けたときも、結局、引き受けるように強要する人と、所属するグループが違うために、所属するグループの人が、そのような状態で全員納得しているわけではなく、結局集まりに参加しないと、悪口の対象にされたといういやな思い出がある。そろそろ本腰で、PTAも改革をすべきところにきているのかもしれず、しかるべきところに出て行き、発言するべきなのであろうと考える。