「改訂 上杉景勝」
「改訂 上杉景勝」 (27) (四面楚歌) 春日山城は三月を迎えていた。日本海も春を迎え穏やかに凪いでいる。 残雪を残した高田平野が一目で見通され、人々の行き交う姿も見えた。「お屋形さま、ようやく越後の平定も終わりましたな」「そちのお蔭じゃ」 景勝は二十七歳の青年国主となたが、相も変わらず開け放った居間で酒を愛でている。謙信とちがい大根の漬物を肴に飲んでいる。 頬も豊となり、眼光の鋭さも和んで見える。 併し内心は秋霜烈日の勇猛心を秘めていた。挙措もなんとなく不識庵に似てきている、これも日頃からの鍛錬のたまものであろう。 だが決して笑顔を見せることはなかった。 兼続も二十三歳を迎え、若くして老成した雰囲気を醸しだしていた。 智謀冴え、白皙長身の容姿は人々を圧倒する威厳を備えている。「御館の乱の論功行賞に不服を申す輩がおると耳にします」「わしの仕置きに文句を申す者が居るともうすか」 影勝が剽悍な眼を細め訊ねた。「公明正大に扱っても欲深い者には際限がございませぬ」「わしは自分自身の褒美は酒じゃ」「お屋形さまはそうでございましょうな。だが我家は四面楚歌の状況にございます、他国からの調略の手が心配にございますな」 主従が越後の情勢を熱ぼっく語りあっている。「申し上げます。越中の河田長親(ながちか)さまの使いが、お目通りを願い出ております」 留守役の黒金泰忠の声である。「通せ」 兼続がすかさず声をかけた。 河田長親は謙信存命中に、越中の代官を申しつけられ魚津城につめていた。越後が内乱中に織田勢は加賀能登と侵攻し、越中の富山城を攻略した。 魚津城は越後の国境に近く、上杉家の前哨基地として松倉城と共同して織田勢の侵攻を阻止していたのだ。 黒金泰忠が一人の男を従い居間に現れた。「魚津城の河田長親さまの家臣、斎藤親広と申します。主人、河田は体調をくずし松倉城で静養中にございます。是非、書状をお屋形さまにお届けいたすように命じられ、罷りこしました」「ご苦労じゃ、下がって休息いたせ。追って沙汰をいたす」 兼続が指示を与え、斎藤親広が居間を辞していった。「兼続、書状を読み上げよ」 景勝の命で兼続が書状を一読し頬を崩した。「お屋形さま朗報にございます。織田家の北陸方面の武将らは、二月末の洛中での馬揃(うまぞろ)いの為に京に戻り、越中を留守にしている模様にございます」 この織田家の馬揃いとは、京との朝廷や公家、町人に対し織田家が天下を捕ったと宣伝する、一種の軍事パレ-ドであった。「上洛した武将共の名は分かるか」「柴田勝家、前田利家、佐々成政、不破光治、金森長近らにございます」「面白い、北陸の武将ども全てじゃな」 景勝が剽悍な眼差しで呟いた。「佐々成政には痛い目にあっております。奴の小出城を攻め落としますか」「そうなれば富山城は孤立いたすな」「御意に」「陣触れじゃ」 景勝が即断した。 兼続が黒金泰忠に陣触れを命じ、斎藤親広を呼びだした。 にわかに春日山城が騒がしくなり、陣触れの法螺貝と大太鼓が高田平野に轟いた。すわ出陣じゃと家臣が戦闘支度で参集してくる。「斎藤、耳にした通りじゃ、お屋形さまの率いる八千名が越中に向かう。魚津城で遭おうと河田殿に申しあげよ」「ははっ」 斎藤親広が拝跪し春日山城から辞して行った。改訂上杉景勝(1)へ