血風甲州路(97)
求馬、この地で斃れるか?「加地三右衛門、ここがお主の墓所となるか」 求馬の乾いた声を浴びた、加地三右衛門が不敵な笑みを浮かべた。「その言葉、そっくり返してやろう」 求馬の脳裡に不審な念がよぎった。 今の境地に立った、加地の言葉とは思えなかったのだ。 加地三右衛門が細い目蓋の奥から、眼を光らせ懐中から右手を抜き出した。鈍く光沢を放つ短銃が握られていた。「卑怯ー」 「喚(わめ)け、動けば遠慮のう引き金を引く」 見守っている、お蘭が蒼白となった。「走狗(そうく)の犬、加地三右衛門。遠慮のう引き金を引くことじゃ」 求馬が村正を垂らし、うっそりと佇みながら嘯いた。「やい、加地三右衛門、侍なら侍らしくしなさいよ」 「ほう、色っぽい姐さんじゃな、伊庭を始末して可愛がってやろう」「馬鹿を云うんじゃないよ、これでも江戸子だよ。旦那になにかあったら舌を噛み切って果てるまでさ」 お蘭が蒼白な顔色で必死に啖呵を切った。「威勢のよい女子じゃ、伊庭ともども冥途に送ってつかわす」 加地三右衛門の細い眼に残酷な色が刷かれた。 瞬間、求馬の痩躯が宙に跳ね上がった。短銃の銃声が響き、求馬の躯がわずかに静止をみせたが、加地三右衛門の頭上を猛禽のごとく飛び越え、村正が鋭く青白い光芒を放った。「ぎやっー」 獣のような声をあげた加地三右衛門が熊笹の中に転がった。 短銃を握った右手が肩口から両断され、宙に跳ね上がっていた。 求馬が跳躍し一瞬の隙をついて、村正で加地の右肩を薙ぎ斬ったのだ。着地するや痩身を加地三右衛門に向け、村正の切っ先が咽喉をかき切った。血が噴き上がり、断末魔の声をあげる事も叶わず、加地三右衛門がもんどりうってのけ反った。 求馬はその傍らに村正を杖として立ち上がっていた。「旦那っ」 お蘭が転がるように駆けよってきた。「お蘭」 二、三歩、お蘭にそばに歩みより求馬が地面に膝をついた。「お怪我ですか」 駆けよったお蘭が求馬の躯を抱え起こした。「奴の弾を食らった」 見ると左胸に銃弾の跡があり、鮮血で濡れている。「確りして下さいな」 「そこの岩にもたせかけてくれえ、そして火を熾せ」「はいな」 求馬は躯を岩にもたせかけ、乱暴に柳行李を開けた。「旦那、火が熾りましたよ」 「小柄の切っ先を焼くのじゃ」 求馬は、その間に三尺手拭を傷口に当て出血を止めている。「小柄の先は赤く焼けたか?」 「はいな」 「着物を脱がせてくれ」「弾を取り出す、取り出したら印籠の薬を傷口を埋めるように塗ってくれ」「はい」 お蘭が蒼白な顔色をみせながら気丈に振舞っている。 求馬が真っ赤に焼けた小柄を突き刺した、肉の焦げる異臭が漂い、お蘭が眼を瞑った。求馬の額に脂汗が滲みだし、頬を伝って滴り落ちている。 お蘭が手拭で懸命に拭いている。求馬が苦痛を堪え傷口から弾を取り出した。「頼む」 求馬が苦しげに岩に躯をもたせかけた、お蘭が血が噴出す傷口に印籠の薬を塗り込んだ。 「出来ましたよ」「傷口に手拭を当て出血を止めるのじゃ、その上から油紙を当ててくれ」 失血の所為で求馬の顔が青白く見える。「終ったら、三尺手拭を躯に巻きつけるのじゃ」 「こうですか?」「もっときつく縛りあげよ」 「はい」 お蘭が治療を終え着物を着せかけた。「良く遣ってくれた」 「大丈夫ですか」「わしは死なぬ、そのうちに猪の吉がもどってこよう」 ずるっと求馬の躯が岩から滑った、すかさずお蘭が抱きとめ膝に頭を乗せ、道行き衣で求馬の痩身を覆った。お蘭には求馬の衰弱する様子が手にとるように判る。 「確りなすってくださいな」 「そちに助けられたのは二度目じゃな」 薄っすらと求馬が頬を崩した。 「雲が綺麗じゃ」 擦れ声で空を見入っている。(猪さん、早くもどっておくれよ) お蘭が祈る思いで猪の吉の帰りを待った。 益々、求馬の容態が悪化している。「お蘭、わしは疲れた。・・・・暫く眠る」 求馬が眼を閉じた。「旦那っ」 お蘭の問いに求馬の返答はなかった。 信濃の空が青く輝きだす午後であった。 「完}本日をもって血風甲州路は完了いたしました。皆様のお蔭で歴史部門は1位となり、小説ブログランキングは4492の中で3位となりました。 これも皆様の応援の賜物と深甚なる謝意を表します。 今回で筆を置きますが、次ぎの作品もよろしくお願いいたします。 有難うございました。血風甲州路(1)へ