武辺者(29)
「死に遅れた男」 「馬鹿め、もう合戦の時代は終り徳川家の御世じゃ」「わしには終ってはいない、生き恥を雪ぐ為に高虎の殿に勝負に参ったのよ」「貴様、狂ったか」 藤堂新八郎が呆れ顔で怒声を発した。「大阪冬の陣でわしの手勢に追い回され、逃げ惑っていたが、わしを斬る勇気があるか?」 掛け合いをしていると立派な駕籠が庄兵衛の前に止まり、恰幅の良い白髪の老人が姿を現した。その老人こそが藤堂高虎であった。「これは藤堂の殿、お久しゅうござる」 庄兵衛が手槍を手に軒下から声をかけた。「庄兵衛、わしに遺恨があると聞き飛んで参った」「豊臣家浪人大将の加持庄兵衛にござる。遅まきながら死花を咲かせんとご城下を訪れ、藤堂の殿に見参に罷りこしました」 名乗りをあげた庄兵衛が自慢の大身槍を構えた。どっと藤堂家の家臣が抜刀し、庄兵衛の前を塞いだ。 人込み越しに庄兵衛と高虎の視線が絡まりあった、お互いに歳をとっていた。 言い知れぬ懐かしさで血潮が騒ぎ、お互いの意地が流れ去ってゆく。「庄兵衛、わしの首を取るか?」 気負いのない声に庄兵衛の顔が歪んだ。 高虎の眸が和み往年には見られない、労わりの色が滲んでいる。「叶いませぬな、矢張り元の殿じゃ。お命を頂く魂胆でござったが、それがしには出来ませぬ」 庄兵衛が愛用の大身槍をからりと足元に投げ出した。「庄兵衛、大阪合戦でのそちの働きは見事であった。わしは逃げながらそちの采配には感服しておった」(流石は藤堂高虎様じゃ、役者が違う) そう悟るや思わぬ言葉が口を突いて出た。 「殿はおいくつに成られました?」 懐かしさと己の粗末な身形を恥じる心が交ざりあい、不思議な感慨につつまれた。語りあっていると不思議と過去のわだかまりが氷解してゆく。「六十一歳じゃ、そちは何歳となった」「四十九歳となりました。夏の陣で見事に散る覚悟で真田勢の先鋒として戦いましたが、この歳まで死に切れず生恥を晒して参りました」 「庄兵衛、我家に戻って参れ。わしもそちも若かったのじゃ、自分の気持ちを偽って生きて参ったが、わしは素に戻りたい」 高虎が家臣を掻き分け、庄兵衛の痩せて尖った肩に手を這わせ、ぽんぽんと何度も軽く叩いた。「殿っ」 庄兵衛が平伏した。長い行き違いの人生であったが、こうして顔を会わせ語りあうと、全ての拘りが流れ去って行った。「加持庄兵衛の心意気、この高虎が確と見た」 こうして庄兵衛は再び藤堂家に戻ることになった。高虎は禄をもとの二千石に戻そうとしたが、庄兵衛は頑なにそれを固持した。「百石で十分にござる。その代わりに殿のお側衆に使って下され」 庄兵衛の帰参には家臣等の中で異を唱える者も居たが、高虎は庄兵衛をかばった。「戦国武者の節義を護りぬいた武将じゃ、それ以上の詮索は無用にいたせ」 庄兵衛は高虎に仕え、歳とともに往年の狂気の翳が薄れ、人代わりしたように温厚な男となった。こうして幸せな時が過ぎ去り、高虎は七十四歳で病没した。残された庄兵衛は屋敷の仏間に籠もり高虎の喪に服した。仏壇には四人の位牌が祀られていた。中央には高虎の位牌が置かれその脇に鍬形四郎兵、磯辺隼人、生駒軍兵衛の位牌が灯明の灯りに照らされている。(殿、長い間お世話になりました。鍬形、磯辺、生駒、お主達の許にようやく逝く時が参った。待たせて済まなかった) 庄兵衛は位牌に手を合わせ、お礼と詫びを心中で呟き、見事に切腹を遂げた。それは主人の高虎を慕っての殉死であると同時に、先に壮烈な討死を遂げた、庄兵衛股肱の三人へのお詫びでもあった。 こうして死に遅れた戦国武者の加持庄兵衛は、波乱に満ちた六十二歳の生涯を閉じたのだ。 「了」