うわばみ新弥行状譚(100)
「石垣忠左衛門ならびに倅の一之進に申しわたす。その方等、次席家老の要職にありながら、藩庫より金子を横領いたし、既に死亡せし江戸家老の宍戸梅雪に賄賂を贈り、城代家老の職を獲んと画策したるは重大なる罪状である。あまつさに藩士を賭場に誘い、借金のかたに妻女を召し上げ、町人に春をひさがせたるは、武士としての道を踏み外した外道者の行為。よってここに厳罰に処するなり」 飯岡大膳が毅然として言い放った。「して我等親子の処分はいかに?」 石垣忠左衛門が不敵な面魂で訊ねた。「石垣殿よ、斬首じゃ」 飯岡大膳が声を低めた。「なんと、斬首ー」 忠左衛門が細い眼を光らせ、「斬首」と一之進が喚いた。「見苦しい」 忠左衛門が倅を一喝した、凄惨な雰囲気が漂った。「石垣家は次席家老を踏襲して参った由緒ある家柄。公儀の手前もあり、お取り潰しは免除され、しかるべき親類縁者より、これと思われる者に石垣家の名跡を継がせるものといたす。これは殿の格別の慈悲にござる。不服がござれば申されよ」 飯岡大膳が二人を見据えた。「かたじけない」 石垣忠左衛門が平伏した。 翌朝、石垣親子の処刑が行われた。忠左衛門は悪びれた態度をみせず、従容として首を討たれた。だが倅の一之進は最後まで怯懦(きょうだ)の振る舞いをみせ、介錯人の手を煩わしたすえ斬首された。 人斬り疾風の残した帳簿に記載された町人等は、秘かに藩庁に呼び出され、大目付となった磯辺伝三郎より、きつい処罰を言い渡され釈放された。この処置で国許の町人達に、戦慄が奔りぬけたことは容易に推測できる。国許の乱れは正された。だが不幸な出来事が起こっていた、次席家老親子の処刑が行われた翌日、加藤鍬次郎と妻女のお糸が自害して果てたのだ。 何れは妻女の醜聞(しゅうぶん)は漏れる、そう思っての自害であった。新弥が、あれほど生きるよう説得したにも係わらず、彼等夫婦は死を選んだのだ。「武士(もののふ)の、情けを知らぬ我が身とぞ、迷い迷いて死での夏風」「背の君と、心のこさず、ゆく身をば幸せ思う、庭の蛍火」 対照的な辞世の句であった、新弥はまだこれを知らずにいた。 江戸の朝は早いが、大名屋敷は深閑として佇んでいる。牧野家上屋敷の門前に、新弥の巨体が現れた。梶原庄兵衛一人が見送りに出ていた。「殿は、お見送りなされぬが、励めとのお言葉でござった」「はっ、殿にはよしなにお伝い下され。梶原さまも御身大切になされませ」「ご貴殿もな、早う国許に帰り、ご妻女に無事な顔をお見せなされ」「梶原さま、来年は国許でお会いしましょう」 新弥が深々と腰をかがめ、素早い身ごなしで門前を離れた。「面白いご仁じやった。・・・して我家にも春が訪れるかの」 梶原庄兵衛が意味深な独り言を呟いていた。新弥の巨体がゆったりと上屋敷から遠ざかった、門前の陰から、お峰がすがるような熱い眼差しで見送っていたが、新弥は知るよしもなかった。 心は既に国許のことで一杯となっていた。その様子を忠直が小姓を従い眺めていた。あの、うどのような男では女子の心は分るまい。 せめて一晩でも情けをかけるものじゃ。余が昨晩、お峰の心中を察し伽(とぎ)を命じたが、あの男はお峰に情けをかけたのか。女の一人や二人を御することが出来なくて大事が為せるか。忠直は胸中で呟きながら、黙々と歩んで行く新弥を見続けていた。お峰の夜這いに斎藤め、どのように応じたのかな。存外とお峰を手こずらせたかも知れぬな、新弥の大きな背中をみつめ閨の仕草を想像した、途端に腹の底から笑いがこみ上げてきた。唐突に忠直がからからと笑いをあげた。傍らの小姓が、なんで主人が笑いだしたのか知らずに、怪訝な顔つきで見あげた。 昨夜のお峰の夜這いが、忠直の心遣いとは知らない新弥は身も心も軽く藩邸をあとにしているが、何となく鼻の奥がこそばゆい、 「へっくしょん」突然、新弥が大きなくしゃみをした。 (完) 今日でもって「うわばみ新弥行状譚」完了となりました。拙い小説をご愛読頂き感謝申します。今後のことは何も計画しておりませんが、これから熟慮いたしたいと考えております。その節はまた宜しくお願い申し上げます。うわばみ新弥行状譚(1)へ