改定・武田源氏の野望
「信玄の戦略」(最終章) (巨星、墜つ) にほんブログ村にほんブログ村 信玄は先遣隊の用意した本営に入り、すぐに臥所で横になった。 信玄は綿のように疲れきっていた。 武田勢は徳川勢の来襲に備え、警備を強化し夜を迎えていた。 伊那街道への備えには、甘利昌忠が騎馬武者で警護にあたっている。 そんな時、関東の要石、西上野の箕輪城主内藤修理亮昌豊が姿を見せた。 彼は信玄の上洛の陣に加わらず、関東の守りを命じられていた。「これは内藤修理亮さま、何処に参られますぞ」「御屋形のご容態が悪いと聞き、駆けつけるところじゃ」 内藤修理亮の言葉に甘利が畏まった。「御屋形のご体調が悪いとは真か?」「真にございます。御屋形さまが息災の内に、帰還して頂こうと思い、この田口で宿営しております」「判った。わしは先駆けするが、配下を頼む」 武田家四天王の一人、内藤修理亮は懸命に馬を駆けさせた。「御屋形さま、お休みにございますか?」 今井信昌が臥所に低く問いかけた。「眠ってはおらぬ」 「西上野より内藤修理亮さま、駆けつけて参られました」「なんと内藤修理亮昌豊が?」 部屋の外で微かな咳払いがし、静かに三人の宿老が姿を現した。 内藤修理亮が主人の変貌ぶりに声を失った。 「西上野より、馳せ参じてくれたか?」 信玄と昌豊の眸子が確りと交わった。 馬場美濃守と高坂弾正の二人も、信玄の枕頭に座った。「御屋形、甲斐は直ぐにござる。お気を強くお持ち下され」「死ぬる前に、そなたに会えるとは思はなんだ」 信玄の声がかすれて聞こえる。「そのようなお気の弱い事を申されますな」「丁度よい機会じゃ、山県が居らぬが、そちたちに相談がある」 信昌が部屋の不審な者が近づかぬように、無言で辞して行った。「昌豊、余は数日で死する」 信玄が明確な口調で断言した。「死んだのちの天下なんぞは興味がない、武田家の天下取りは終りといたせ、勝頼では甲斐一国でも難しい」「そのような事はございませぬ」 馬場美濃守が静かに反論した。「子の器量を見るは親の眼が一番じゃ。残念じゃが勝頼は、家康にも劣る」「・・・」 「余が死んだら、越後の謙信と和睦いたせ。奴は稀有の武将じゃ。良いの」「畏まりました」 三名の宿老が黙然と平伏した。「余の死は三年間秘匿いたせ。それまでに知れてしまうが構わぬ。余の存在が不明なだけ敵は用心いたす。三年後に余の亡骸を恵林寺に葬ってくれえ」 信玄の呼吸が荒くなってきた。「美濃、弾正、修理亮、勝頼がこと頼むぞ」 信玄が三人の名を区切るように呼び、四郎勝頼の将来を託した。 「畏まってございまする」「昌豊、余はそちの顔をみて安堵いたした」「御屋形、今宵はお静かにお休み下され」 内藤修理亮が頭を垂れた。 翌日、武田勢は田口を発ち、信州飯田の南西にある、駒場(こまんば)に宿営した。ここは天竜川を臨む伊那盆地の一角で、三州路と美濃路の分岐点にあたる山村である。 信玄の容態は悪化の兆しをみせ、一日中昏睡状態となっている。「馬場殿、二万の大軍を留める必要はありません。半数は帰国させましょう」 高坂弾正の意見で、軍勢の半数が勇んで甲斐に帰路についた。 残った将兵は信玄の宿営地を固めるように、山村の各所に駐屯している。 四月十一日の巳の刻(午前十時)頃、信玄は昏睡から目覚めた。 山野には桜が満開に咲いている。 信玄の枕頭には勝頼を筆頭に御親類衆の武田逍遥軒、武田信豊が顔を揃え、武田四天王の馬場美濃守信春、高坂弾正昌信、 内藤修理亮昌豊、山県三郎兵衛昌景等が顔を揃えていた。「皆うち揃っておるの、余は夢をみていた。京に武田の御旗が翻る夢じゃ」 信玄の顔色に赤みがさしている。「勝頼、余を起こせ」 「ご無理は禁物です」 信玄は勝頼に手を借り脇息に寄りかかり、一座に視線を廻した。「直ぐに別れが参ろう、名残り惜しいが仕方があるまい。命ある者は死す。皆々、勝頼の行く末を頼むぞ」 「承りましてございます」 全員が落涙して平伏した。「勝頼、余が死んだら三年間、喪を秘すのじゃ」 「何故、父上の喪を隠しまする?」「勝頼、余は天下に恐れられた武将じゃ。余の死が洩れたら叛く者も現れよう。それを恐れるためじゃ」 信玄が諭すように話しかけた。 今の信玄は、一人の父親として語っているのだ。「父上、それがしは叛く者も恐れませぬ。天下を望む事も諦めませぬ」 勝頼が顔面を朱色に染め叫んだ。「信廉や宿老達に申し渡す。余の遺言に違背はならぬ」 信玄の声が凛として響き、勝頼が不満そうな顔付をしている。「美濃、弾正、修理亮、三郎兵衛」 信玄が宿老の一人一人に声をかけ、「これが余の遺言じゃ」 死に行く者とは思われない眼光をみせ断じた。「ご違背は決していたしませぬ」 馬場美濃守が代表し約束した。この一言から彼等の悲劇が起こるのであった。「これで、思い残すことはない」 信玄の顔色が鉛色に変わり、冷汗が首筋を伝っている。 馬場美濃守が信玄を褥にそっと寝かした。 御屋形の死で武田は終りかも知れぬ、そんな思いが脳裡を過ぎった。 天正元年四月十二日、駒場を囲む山並は眩しい新緑につつまれ、山桜が満開となっている。 信玄の容態は誰の目からみても悪化している。 宿老は信玄の枕頭を離れず、荒々しい呼吸を続ける主を見守っている。 独り勝頼だけが、違った思いで父の容態を眺めているようだ。 天下に恐れられた信玄も、死すればただの男。瀕死の父と争った日を想いだしているようだ。 旗本の今井信昌が懸命に、信玄の額の汗を拭っている。「夢じゃー」 信玄が突然、大声を挙げた。「御屋形」 馬場美濃守が覗き込むように声をかけ、一座の全員が信玄を見つめた。「源四郎、京の瀬田に我が旗を立てよ」 源四郎とは山県三郎兵衛の幼名であり、彼はじっと次ぎの言葉を待ったが、再び信玄は声を発する事はなかった。 医師の監物が脈を探り、「ご臨終にございまする」 と、悲痛な声をあげた。 こうして武田信玄は、波乱にとんだ五十三才の生涯を閉じた。 夜の帳が落ち、駒場の本陣から荼毘の炎が燃え盛っている。 荼毘の炎の見える小高い丘に、老武士が草叢に座り落涙している。 老武士が笠を脱いだ、隻眼で老醜の顔が闇に浮かびあがった。 それは年老いた山本勘助の姿であった。「御屋形さま、無念に存じます」 勘助には言うべき言葉がなかった。 ひと際、炎が高くたち昇った。勘助が肩を揺すって闇に姿を没した。 信虎は信玄の上洛の軍旅を知るとお弓を伴い、信濃の伊那郡に移り住み、信玄の死去を知り落胆の日々を過ごし、翌年の二月三日にその地で没した。 享年、八十一才であった。 信玄の葬儀は遺言どおり三年後の天正四年四月十六日、恵林寺で行われた。 そこに出席した武将は高坂弾正のみで、あとの馬場美濃守、内藤修理亮、山県三郎兵衛の姿はなかった。 彼等、三名は長篠の合戦で勝頼の無謀な戦術で鬼籍に入っていたのだ。 この六年後に武田勝頼と武田一族は信長に破れ、甲斐の田野まで逃れそこで自害し、武田一族は滅亡した。 この原因は小山田信茂の裏切りにあったのだ。 (了)