神的意思のあらわれ
在ることは真であり、成ることは神の御心である。 小さい人間的な道理なるものに捉われることなく、私たちは、無限に観、無限に聴き、無限に活きなければならない。 真理は溝の中にもひそむ、技術は書籍と経験との中にのみひそむ。 哲学者は、理論の技術に巧み、歴史家は、歴史の技術に巧み、医者は医術に巧みなり。こは大工の建築のことにくわしく、 農夫の耕作のことに塾すると異ならず。 真理は哲学でなく 歴史でなく医術でない。大工も心理を語り得、農夫も胎動を体得し得。 しかり、真理はどぶの中にも潜み、技術書籍と経験との仲にのみあり。 神に通じる門戸として三つある。 それは善とか愛とかいう方面から神を感じる道、これは、宗教あるいは道徳である。 真理、道理によって神を感じるのは、これは学問である。 美によって神を感じるのが、これが芸術である。 よく、ものごとを観察して、それから、いろいろの天理地相を悟るべきである。 この間から一時に、しけやら、火事やら、地震やら、人殺しやら、衝突やら、沈没やら、墜落やらがふえているように思われる。 こうした災害も、きっと周期的に行われているに違いない。 そして何かを暗示しているに違いない。 天災人事、すべてこれ天地の意思表示であるから、われわれはよくこれを考えなければならない。 真の神は決して些細な事で、人間に罰をあたえたり、禍をくだしたりするものでない。いや、たいていのことは大目に見ておられるのである。 今の人間社会にこんな不幸や禍があるのは、そのなかばは、人間自身がみずから作りあげたものである。 人間同士のいろいろの誤解や嫉妬や怨恨の結果である。 つまり、しないでもよいことに苦労しているのである。 (生きがいの確信出口日出麿) 今日は、12月8日。大戦勃発の日。検診の日。待合室にて感銘しましたので紹介します。133,88血圧。