レッドクリフとXファイルが見たい!
FBIの科学捜査力をもってしても説明できない未解決事件のレポート。その謎の解明に挑むフォックス・モルダーとダナ・スカリー捜査官の活躍を描いたのが『X-ファイル』超常現象を主に扱うということで、職業柄?興味があります!主役二人のビジュアルもなかなか。テレビ版、映画版ともども全部見ました!このたび、映画版の最新作が発表されました。X-ファイル:真実を求めて11月7日から封切りさて、見に行くか!と思いましたが・・・47都道府県の中で「徳島」だけ上映館がない(汗)何らかの陰謀が絡んでいるのでは?徳島のみなさん。ぜひ抗議の電話を!もうひとつ見たいのがレッドクリフ徳島のみなさんご安心を。こちらは徳島でも上映しています!もともとこの映画には興味はなかったんですが、花咲山♪さんのレビューを拝見してすごく見たくなりました。最初はレッドクリフって何?と思ったんですが、ようは「赤壁」のこと(横文字にされるとわからないー汗)赤壁の戦いというのは、三国志のクライマックスともいえます。三国志というのは後漢末から、晋王朝の天下統一までの話。時は後漢末、400年続いた漢王朝もさすがに衰えが見え始め、各地で反乱が起きました。それに伴い、各地で豪族が割拠して、戦乱の時代が始まりました。ちょうど室町幕府の力が衰え、戦国大名が出現した、戦国時代の日本と同じような状況です。その、天下統一レースで漢王朝を旗印に勝ち上がってきたのが、曹操です。全土の8割を勢力下におさめ、あとは高い山に囲まれた蜀と黄河で隔てられた呉を残すのみ。呉を攻略せんと80万の大軍を起こす曹操。迎え撃つ呉の孫権と劉備の連合軍はわずか5万。まさに風前のともしび。その決戦の舞台が「赤壁」です。意外にも孫権・劉備連合軍が圧倒的な兵力差を跳ね返し、勝利します。その結果、曹操は天下統一をあきらめ魏・蜀漢・呉の三国時代が出現します。まさに三国志のターニングポイント。以下は独断と偏見の三国志論になります。興味の無い方は人気ブログランキングクリックいただき、またのご来場をお待ちしております。 ↓ 三国志演義では諸葛孔明が大活躍!単身呉に乗り込み、曹操との和平が大勢を占める呉の重臣の前で君主孫権を主戦論へと導きます。そして周瑜・魯粛といった呉の重臣を翻弄しことごとくその策を見破り、長江の風を逆に吹かせ、火攻めを成功させて勝利へと導きます。しかし、この赤壁の戦いには疑問があります。なんと、赤壁の戦いはなかった。あるいは、あったとしても局地戦だった。という意見があります。その理由は以下の通り。1、赤壁の場所が明確でない史書に描かれている大海戦があったにも関わらず、候補地が複数あります。さらに、赤壁が主要な長江の渡河地点ではないというのが本当の場所を不明確にしています。長江のような大河で大軍の渡河地点というのは多くありません。赤壁がそのような場所でなかったというところも疑われる要素です。2、その候補地には、多くの船をもやう河岸がない。史実のような大軍船が並べる場所がないというでは当然、史実のように船が炎上する大敗というのもありません。3、大軍を養う後背地がないこれは結構重要な事実です。一般に言われているような曹操軍80万と劉備・孫権軍5万の激突というのは大袈裟です。三国時代始めの魏の人口が450万程度と言われていますので最大動員力はせいぜい20数万。実数とされるのが曹操軍10数万、連合軍3万ぐらいです。それにしても、10数万の大軍を養うのは大変です。昔から軍隊というのは恐れられていますが、その理由の一つに軍による略奪があります。なぜ略奪が起こるかというと兵站の困難さがあります。すなわち、必要物資を後方より送るよりも、現地調達する。その方が、効率的であるし、手間がかからない。軍隊の通った後には何も残らないと言われたのはそのためです。現代でもアフリカにおいてはマシンガンが打ち出の小槌と言われ、略奪の道具となっていますし、米軍が我が国で行っていることも昔とさほど変わりません(苦笑)本題に戻りますが万単位の部隊の必要物資を現地調達することは容易ではありません。それができるような大都市は当時ありませんので、後方から物資を送ることになりますが、それにしてもその物資を集積する場所が必要です。兵站を切るというのが、軍事の常道手段ですからそれなりの都市でそれなりの兵に警備させて守る必要があります。そのような後背地が近くにないということは大軍を養うための物資を輸送することになります。当然、兵站を切られる恐れがありますからそのような大軍を対峙したまま置いておくのは難しい。という結論になります。4、曹操が翌年、再び呉を伺うべく出兵。当然のことながら、十数万という、自国軍の半数を超える大軍を率いて大敗すれば、しばらくは自国の守りに回って他国を狙うような軍事行動を起こせないのが普通です。それがすぐに軍事行動を起こしていることから、赤壁ではさほどダメージを受けていないと推測されます。ちなみに、「曹操が病の流行により、自ら船を焼いて撤退した」という記述も史書にはあります。三国志に現われるような華々しい戦いがあったのではなく、荒木又右衛門の36人切り以上に誇張されているのかもしれません。とはいえ、フィクションでも80万対5万の大海戦を見てみたいですね!それに花咲山♪さんのレビューによると、三国志演義と違う展開があるようで、それも面白そう。ところで、劉備といえば徳はあって情に厚いが優柔不断で、戦に弱く情けないというイメージがあります。西遊記の玄奘にしても、水滸伝の宋江にしても、別段能力があるわけでなし、優柔不断で無能!しかし、徳があって有能な部下に慕われる。これは中国の理想のリーダー像を当てはめたものです。リーダーたるもの能力よりも徳。徳があれば有能な部下によって守り立てられるということでしょうか?しかし、現実の劉備は違います!(推測)そもそも筵売りというのが???日蓮上人が貧しい漁民の子というのと同じで嘘でしょう。(漁村とはいえ、その地方を取り仕切る網元といわれています)地方豪族階級の出身とも、戦乱の当時は軍備ともいえる馬を扱って莫大な利益を上げたともいわれています。その中で後に部下となる関羽・張飛と出会ったといいます。戦乱の時代に各地の群雄を頼って転戦します。曹操は兵を率いること60数度、その勝率8割と言いますが、劉備は連戦連敗?(笑)負けるシーンが多いです。ところが、不思議なのは、負けても自軍の兵力を損なうことなく(むしろ増強して)生き残っていることです。普通、負け戦では大きく兵力を失うのが普通。それが、増強しているのは只者ではない!彼我の形勢を分析し、負け戦を読みきる判断力。敵の追撃をかわす指揮力がずば抜けていたのでは?当然、関羽・張飛をはじめとする有力武将を抱えていたことも大きいでしょう。公孫サン、陶謙、呂布、曹操、袁紹、劉表と多くの群雄の間を渡り歩きながら、どこでも迎えられたのは徳ではないでしょう、むしろ劉備の率いる軍団の軍事力では?すなわち、当時最強の傭兵部隊のリーダーだった?群雄割拠の時代から、曹操一人が勝ちあがっているわけですから他の群雄は負けて姿を消しているわけです。実は消えて当然、しかし、姿を消すことなく兵力を温存して生き残って行く劉備はある意味では勝者!強大な曹操に対向すべく、赤壁では呉を焚きつけて、曹操に当たらせ、赤壁後は、曹操と対峙している呉を横目に見ながら荊州南部を掠め取る。結構抜け目の無い人物です!一方の曹操は悪役のイメージが強いのですが、実像はそうでもありません。詩人と言うとロマンティックなイメージがありますが、実は曹操は有名な詩人、というより、詩を文学にまで高めたのが曹操!つまり、詩人の元祖!さらに、かの有名な「孫子」(兵法書)をまとめたのも曹操。「孫子」は指揮官として戦うこと60数度、その勝率8割という天才武将の曹操によって名が高められたのです。戦乱で荒れた国土を立て直したのも曹操。荒れた農地を兵に耕作をさせる屯田のシステムを開発します。もともと、食い詰めて流民となったものがどんどん集まり、食料と兵の確保につながったのです。曹操が強大になるのは当然。有能な政治家にして、武将にして、戦争理論家にして詩人。戦乱の時代を勝ち抜いたのも当然。その曹操がなぜ悪役としてかかれたか?儒教に合わないからに他なりません。現代の評価からすれば、むしろ、悪役という評価は不当。赤壁の話だけを書くつもりが、長々と書いてしまいました。延々と続きそうなのでこの辺で。ということで、レッドクリフが早く見たいです!人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓