チーズクラッカー
賛否両論、あると思うが、私は、作業所で作られた物を販売している場面に出会うと、積極的に購入する傾向にある。それは、障碍を持った娘を授かったから、というわけではなく、彼女が私の元にやってくる前から、そういう傾向にあった。だからと言って、障害者を支援する気持ちがあったわけではない。夫に成人アトピーや食物アレルギーがあったから、口にする物や肌に触れる物は、やれる範囲ぐらいのものだが、気にはしていた、から、自然食品や無添加のものが多い作業所の物を、比較的多く購入してきた、というに過ぎない。いや、それだけではないな。娘を授かる前の私には、もっといやしい気持ちがあった、と思う。『可哀想な人が作るものは、きっと良心的なものだろうから、とりたてて調べる苦労を廃しても安心出来るだろう』というような。過日も、娘の保育園で、近くの作業所が作った、無添加の手作りお菓子を予約販売していたので申し込んだ。はたして、そのものが保育園に届いていたので袋ごと無造作にしまい、家に帰って開けてみた。その中の一つ、チーズクラッカーを手にしたとき、なんとも言えない感情に包まれた。焦り、緊張。そういった類の感情だったと思う。クラッカーは、焼くとき、膨らみを抑えるために、穴を開ける。そのクラッカーも、もちろん、開いてはいたのだが、フォークで刺したような3連の穴が、不揃いでまばらに配されていて、穴が足りない場所は、不恰好にも膨らんでしまっていた。私は、その、形も小さく、いびつにカットされたチーズクラッカーを口に入れてみた。国産小麦粉の味自体は香ばしくて噛めば噛むほど味がでて美味しかったのだが、やはり、膨らんでしまった部分は、なんともボソッとした歯ざわりで、美味しさに欠けていた。片手に容易に乗る程の量で200円。安い買い物ではない。何個も何個も口に運びながら、私は想いをめぐらせていた。このクラッカーにフォーク片手に穴を配した人は、きっと、生地を触らせてもらえないような新人なのだろう。もしかしたら、力の加減が難しくて、フォークで刺すことにしたのかもしれない。1回、1回。他の人がやれば、なんでもない作業を、時間をかけて、丁寧に行ったのだろう。その彼、彼女と私は面識はないが、これだけは断言できる。彼、彼女は絶対に手を抜いていない。それどころか、渾身の力と忍耐力を使って、この仕事に臨んでいたのだろう。でも、どうだろう。このチーズクラッカーを手にし、口にした人達の、一体何人がそこまで彼らを想いやる。想いやったとしても、この値段を不当と思わないで心から、美味しかったと手を合わせることの出来る人が、この世の中に一体、何人、存在してくれているのだろうか。だから、作業所のあり方を考えよ。クオリティを市場に合わせよ。採算を取れる作業所に。そんな大それた議論に、まだ、自分の障害児さえも受け止められない私には到底、答えを出せそうにない。が、このチーズクラッカーだけは、涙なくしては食べられなかった。