「私が愛する日本人へ~ドナルド・キーン 文豪との70年~」
10日土曜日に放送されたNHKスペシャルの録画を見終えました。ドナルド・キーン氏に関しては日本文学を研究する翻訳家・親日的米国人学者(2012年に日本国籍取得)という概要を知る程度で、雑誌記事や折々にTVで拝見する位で著作にもあたった事は無いのですが、今回の番組は氏の半生と其の仕事は多くの日本人が知り、評価し、感謝すべき人物である事を改めて認識させる内容でありました。青年期に母国で偶然手にした源氏物語の翻訳本との出会いが、彼が日本に興味をもつ切掛けだったといいます。その後に彼が米国兵士として日本軍が玉砕したアッツ島に赴いた時に手榴弾で自決する日本兵の在り様に衝撃を受け、尚且つ其の日本兵が自決前に十数粒の豆を「最後の晩餐」として数粒づつ分け合ったという日記を目にした事が「日本人とは何者か?」を探求する彼のその後の人生と仕事のインセンティブになった様です。日本人を理解する上で、日本人自身も自覚が希薄である「儚さ」や「曖昧さ」という心象的情景への「無意識の共有・共感」の理解は如何しても必要だと思われますが、此の部分を「不合理なもの」として一蹴してしまうか、「アイデンティティーとして欠くべからざるもの」として理解しようとするかで外国人の日本観は大きく違ってくると思われます。番組のドラマ部分でキーン氏が川端康成と対談した際に「雪国」の表現の曖昧さを質問する下りは象徴的で、川端は「その曖昧さこそ日本人が共感する余白であり、余情である。」と返します。キーン氏は其の日本的余情を理解し、世界に共感される言語として日本文化を発信し続けた稀有な存在であったのです。ノーベル文学賞に関するエピソードも面白かったですね。キーン氏がノーベル財団から受賞候補の推薦依頼を受けていたという話から、昭和30年代の段階でキーン氏の業績が如何程の国際的な評価を受けていたかが伺い知る事が出来ます。氏は谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫の順番で候補者を挙げましたが、実際には三島由紀夫が最高峰に在るという認識はあったそうです。日本の年功序列意識は文壇も例外では無かった様で、キーン氏の推薦順序は其処を慮ったものであったらしいですね。結局は谷崎は受賞前に亡くなってしまい川端が受賞した訳ですが、現在になって思えば三島も唯一の受賞期を逃してしまった事になります。私個人的には川端作品は「雪国」しか読んでおらず谷崎と三島が受賞出来なかった事は至極残念に思うのですが、此れはキーン氏を責める筋合いのものでもありませんね^^;蛇足ですが、三島が受賞を逃した経緯にはキーン氏の思惑を離れた部分の逸話があります。キーン氏の翻訳「宴のあと」を読んだ財団側の選考委員が「政治小説」と判断し、しかもあろう事か三島由紀夫を「左翼」と誤認して選考委員会に報告して非常に三島に不利な状況を作り出してしまったという事実があった様です。現在となっては何とも馬鹿らしい話ですが「後の祭り」で致し方ありません”(-“”-)”キーン氏は東日本大震災を機に日本に骨を埋める覚悟で日本国籍を取得し、米国での生活を清算されて来ました。多くの外国人が福島原発の被災を恐れて帰国する中で「日本への愛」を敢えて示されたという事で、一日本人として有難い事だなと感動いたします。氏は多くの日本人が自分達の伝統に興味を示さぬ事を嘆き斯う語っています。「伝統は時々見えなくなるが続いている。伝統を知り、其処から楽しみを得る事が大切だ。」と・・・