村上訳『グレート・ギャツビー』、そして『ノルウェイの森 上下』
先月出版された村上春樹訳の『グレート・ギャツビー』が、古典の翻訳としては驚異的に売れている、という記事を新聞で読みました。『キャッチャー・イン・ザ・ライ』に続いて、野崎孝御大訳へ挑戦…そんなふうに考えてしまうのは僕だけでしょうか?まあ、ライ麦畑のホールデンくんも「『ギャツビー』の価値は認めているし、夢中になったもんだよ」と言っているので、よしとしましょう。さて、この本、愛蔵版ということで、ハルキストにはおなじみの和田誠さんのメランコリックな表紙の本体に加えて、春樹氏が書き下ろした<『グレート・ギャツビー』に描かれたニューヨーク>という付録の小冊子が立派な化粧箱に入っています。左胸のポケットに入れておいたら、ピストルで撃たれたときに助かるかもしれません。価格は税込みで2600円。ちょっとしたプレゼントにもいいような気がします、さすがベストセラー作家とその編集陣というのは、どうすれば本が売れるかよく理解してらっしゃる。1987年に『ノルウェイの森』が史上空前の売れ行きを達成しましたが、これは赤と緑のクリスマスカラーでプレゼントにもってこいだったという話も聞きます。こちらは上下巻セットで各1000円。当時やっていた「はなきんデータランド」という番組で、長い期間にわたってトップを走り続けていたことをなんとなく覚えています。春樹氏が装丁を自分でやっていたのは有名ですが、最初から『ノルウェイ』は上下二巻本として構想されていたそうです。もちろん赤と緑はクリスマスシーズンのセールスを狙っただけでなく、物語の中の「死と再生」のテーマにかかわっています。なにしろ、第二のヒロインの名前はそのもの、ずばり「ミドリ」ですから。『ノルウェイ』は、ご丁寧なことに赤い表紙の上巻は裏表紙は緑で栞紐も緑。緑の表紙の下巻はその逆になっています。徹底しているといっていいでしょう。二冊の本を構成する色は、赤と緑とページの色の白、活字の黒と四色しかありません。そして赤と緑は、紫と黄色なんかと同じように補色。混ぜると黒になります。上下巻をそれぞれに分けると鮮やかな色ですが、あわせると黒になります。本には黒と白が残り、葬儀や死を連想させるといったしかけになっているようです。そしてこれは『ノルウェイの森』で強調された文字で書かれている一文、「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」を本自体が体現してるといったようにも感じられます。物語の最初のほうで自殺するキズキという名のワタナベくんの友達がいますが、きちんと赤いホンダN360の中でガス自殺しています。まあ、「僕は緑のフェルトを貼ったビリヤード台や、赤いN360や机の上の白い花や、そんなものをみんなきれいさっぱい忘れてしまうことにした」とか「文鎮の中にも、ビリヤード台の上に並んだ赤と白のボールの中にも死は存在しているのだ」といった文が出てくるのですけれど。このへんのことは加藤典洋の『村上春樹イエローページ」に詳しく書いてあります。閑話休題。『グレート・ギャツビー』です。ハルキストにとっては待ちに待った翻訳だったのではないでしょうか?少なくとも僕にとってはそうでした。『ノルウェイの森』が村上春樹の世界への入り口だった僕にとって、やはり『ギャツビイ』には格別の思い入れがあります。『グレート・ギャツビイ』は『ノルウェイの森』の主人公のワタナベくんがトーマス・マンの『魔の山』と並んで熱心に読んでいる本で、物語で重要な役割を果たす永沢さんというキャラクタと知り合うきっかけになった本として登場します。「『グレート・ギャツビイ』を三回読む男なら俺と友だちになれそうだな」という永沢さんの台詞があって、僕もそれにならって新潮文庫の野崎訳『華麗なるギャツビイ』を三回読もうと思いましたが、難しすぎて一回で断念しました。まだ『ギャツビー』を読めるような人間じゃなかったのだと思います。『ライ麦畑』のDBも「ガキには『ギャツビー』はわからん」というようなことを言ってましたね。その後、ポートランドにある「パウエルズ・ブックストア」という北米一のグレート(巨大)な本屋で『ギャツビイ』が3ドル85セントで売られているのをたまたま見つけました。カヴァーはなかったのですが、しっかりしたつくりの本だったので購入。留学から帰ってきて「英語を忘れちゃうんじゃないか」という恐怖に突き動かされて読んだことを覚えています。読んだといっても、分からないところは全部すっ飛ばしての流し読みですけれど。その分からないところをズルして読むために野崎訳を片手に読みました。それでようやく『グレート・ギャツビイ』がどうしてグレートな作品として読まれているのかが、少し分かりました。学生のころ、持ち歩いていた講義用のノートに『ギャツビー』の冒頭の文章と最後の文章を原文から書き写していました。まずは冒頭の文。In my younger and more vulnerable years my father gave me some advice that I’ve been turning over in my mind ever since.“Whenever you feel like criticizing any one,” he told me, “just remember that all the people in this world haven’t had the advantages that you’ve had.”僕がまだ年若く、心に傷を負いやすかったころ、父親がひとつ忠告してくれた。その言葉について僕は、ことあるごとに考えをめぐらせてきた。「誰かのことを批判したくなったときには、こう考えるようにするんだよ」と父は言った。「世間のすべての人が、お前のように恵まれた条件を与えられたわけではないのだと」村上訳では上のように訳されています。いきなり独特の言い回しできたなあ、というのが第一印象です。春樹氏は自著ではわりと「傷つく(傷つきやすい)」という表現を使っているように僕は感じていますが、ここではvulnerableを「心に傷を負いやすい」とワンクッション置いたようなの訳し方をしているように感じられます。翻訳であるからには自分の匂いを消さなくてはならないけれど、消しすぎるとそもそもリヴァイズすることの意味がなくなってしまうといったところでしょうか。それにしても「ことあるごとに」みたいな言い方にはいいですね。物語り全体を暗に指しているのが感じられます。学生のころ、この文章に出合ったせいで、今も言いたいことがいえないのかもしれません。そして、最後の文章。20世紀の文学が得た宝のひとつといわれている?文章です。たしか旺文社か桐原だったかの受験英語の参考書でも読んだような。Gatsby believed in the green light, the orgastic future that year by year recedes before us. It eluded us then, but that’s no matter―tomorrow we will run faster, stretch out our arms farther. . . . And one fine morning―So we beat on, boats against the current, borne back ceaselessly into the past.こちらは、まだ村上訳を読んでいないので、どうなっているか楽しみです。最後の一文は「絶えず過去へと流されながらも力の限り漕いでゆく」といったような意味ですが、昔読んだ本を引っ張り出して、いま自分が立っている位置を確かめるってのも「過去へと流されている」ことなのでしょうか。われらが「オールド・スポート」、ニック・キャラウェイ氏に聞いてみたいものです。ところで『ノルウェイ』の中では『ギャツビイ』となっていたのが、今回の本では『ギャツビー』になったのは、どうしてなんでしょ?上段左から:愛蔵版箱、本体、付録小冊子下段左、『ノルウェイの森』オリジナルとアルフレッド・バーンバウム訳の"NORWEGIAN WOOD"下段右、CHARLES SCRIBNER'S SONS出版の"The Great Gatsby"(3.85ドル)