日本の能力観
日本人の能力観をしばっているものに受験がある。やれ、東大だ、京大だ、というのがそれだ。その理由といえば、難しい試験に合格したから優秀だというわけだが、果たしてそうだろか?あるいは、そうした能力は実に先天的なもので、ほぼ普遍であるというのがもうひとつあげられる能力観である。最近はリベラルアーツの本を読んではいるが、上の能力観だと、旧制中学、高校の学生の優秀さが説明できない。あるいは、リベラルアーツを学んだ海外のエリートの優秀さも説明できない。要するにいかなる秀才といえども、ないもないところから、情報を生じさせることはできないのである。ゆえに、優秀なカリキュラムを組んだリベラルアーツを重視した大学をつくることは、現代日本の必須事項のように思える。まあ、短いがご清聴ありがとうございました