東西のいい男論
いい男とはどんな男か?もちろん眉目秀麗ならいうことはないが、ここでは、人格について考えてみたい。漫画家に柴門ふみがいるが、彼女の漫画である、あすなろ白書の主人公である、かけい君をみると、まだいい男としてはまだもうひとつという感がする。かけい君の設定は、秀才であるが、どこか影があって、ホストをしているというものだ。もちろん、すごい男には違いないが、まだまだ、女の視点からみたいい男という感がぬぐえない。風とともに去りぬの主人公レッドバトラーはどう描かれてるだろうか。南北戦争が始まる前にパーティーをするのだが、南軍の男たちは、皆が皆、血気にはやって北軍などとるにたらんと主張する。しかし、レッドバトラーは北軍の工業力のすごさを主張し、皆からへっぴり腰だとバカにされる。事態を冷静に分析するという点と、一人だけみなの前で自説を主張すると言う点で著者マーガレット・ミッチェルのいい男感が描かれている。そしていざ戦争がはじまると、レッドバトラーは、大活躍をするである。日本の実在上の人物である山本五十六を彷彿とさせる内容だ。僕はいい男というのは、一種あまのじゃくだと思うのだが、そういう点でマーガレット・ミッチェルのいい男像はすぐれていると思う。