精神としての自分
ダニオン・ブリンクリー(ポール・ペリー共著)の「続 未来からの生還」の中にこんな文があります。--- 引用開始 ----------------------------------------------- 彼ら(光の存在)は私に、私たちが自分たちの精神を取り戻さなければ未来には対処できないことを、はっきりと伝えた。 彼らは、人々がストレスを減少させ、その過程で精神としての自分を見出すことになるセンターの設立方法を教えてくれた。(「続 未来からの生還」P21、括弧内はwing-spaceの補足)--- 引用終了 ----------------------------------------------- つまり、ここから、私たちは【精神としての自分】を見出すことが必要だということがわかります。 『なるほど』と思う方もいると思いますが、では、「精神を取り戻す」って、具体的にどういうことで、どうすればいいか、説明できますか?そう聞かれると、頭の中が真っ白になるか、質問がぐるぐると堂々巡りをするだけとかになってしまうものです。 なぜなら、ふつうの人は、肉体としての自分、心としての自分、という概念は使っていますが、【精神としての自分】という概念を使って生きていないからです。 このことは、「神との対話2」の中で同様のことが述べられています。--- 引用開始 ----------------------------------------------- あなた方の一部は---少数だが---肉体と精神の両方があることを理解している。そんなひとたちは、精神もていねいに扱う。だが、精神と精神的なことがらを大切にしているひとでさえ、精神の能力の一割も活用していない。精神にどれほど大きな能力があるかがわかったら、精神の脅威のお相伴にあずからないではいられないだろうに。肉体と精神のバランスをとっている者が少数だとしたら、肉体と精神と魂という三つの部分を生きている人はさらに少ない。だが、あなたがたは三つの部分からなっている。肉体以上の存在であり、精神をもった肉体以上の存在なのだよ。(「神との対話2」P138)--- 引用終了 ----------------------------------------------- さて、こちらの引用にも「精神」という言葉がありますが、ダニオン・ブリンクリーが「続 未来からの生還」の中で【精神の自分】と言っているものは、こちらでは、【魂】と呼ばれています。 翻訳の過程で、別な概念を【精神】という同じ言葉で表現し、しかも同じ概念を【精神】と【魂】という別の言葉で表現しているのですから、とても、ややこしいことになっています。 私は、英語版の「神との対話」を持っている人に、原語を確認したところ、肉体 → body精神 → mind魂 → soulでした。mind (思考・判断・知覚・感情・意思などの働きをする)心、精神や知性,頭,頭脳のことですから、つまり、こちらの精神とは、【心】や【思考の主体】のことなんですね。実際、「神との対話」では、【心】と訳されている部分があります。--- 引用開始 ----------------------------------------------- 死にゆく者への最大の贈り物は、安らかに死なせてやることだ。「がんばれ」とか、苦しみつづけろだの、本人にとっての人生最大の転機に、周りのことを心配しろだのと要求しないほうがいい。まだ生きると言い、まだ生きられると信じていると言う人、生きたいと祈ってるひとでさえ、魂のレベルでは「気が変わっている」ことがしばしばある。魂が身体を捨てて自由になり、別の探求の旅に出る時がきた、と決意したら、身体が何をしても決意をひるがえすことはできない。精神が何を考えても、変えることはできない。死ぬときに、身体と心と魂のうちのどれがものごとを動かしているのかがわかる。一生を通じて、あなたは身体が自分だと思っている。ときには、精神が自分だと思うこともある。ほんとうの自分は何者かを知るのは、死ぬときだ。(「神との対話」P110)魂はしばしば、身体から去るべきだと決意する。身体と精神---魂のしもべ---がこれを聞き入れて、脱出のプロセスが始まる。ところが、精神(自我)が嫌がることがある。要するに死は自我の終わりなのだから。(「神との対話」P110P111)--- 引用終了 ----------------------------------------------- ですから、ダニオン・ブリンクリーが「続 未来からの生還」の中で【精神の自分】と言っているものは、「神との対話」では【魂】と呼ばれているものです。(ちなみに、神対の方の精神とは、自我とその反映としての心のことですね) そのことは、「続 未来からの生還」のこんな文からもわかります。--- 引用開始 ----------------------------------------------- 何百万人もの人々が、臨死体験で味わうこのような経験を語っている。それが落雷による場合でも、心臓発作、あるいは交通事故で瀕死の重傷を負ったときの体験でも、臨死体験を経て生還した何百万もの人々は、精神の王国を訪れたことを語る。(「続 未来からの生還」P21)--- 引用終了 ----------------------------------------------- 人が亡くなったときに行く「魂の世界」のことを「精神の王国」と言っていますね。 このように、本から知識をスピリチュアルな知識を得ようとするとき、その概念はまだ使っていないものであることが多いので、表面的な言葉に惑わされないで、その概念をしっかり掴むことが大切です。 ■今回のブログはいかがでした?(^-^) 『まあ、いいんじゃない(^^)』と思われたら、 ランキングボタン↓を押してね(^^)♪