2種類の希望の持ち方
NHK『100分de名著』で、V.E.フランクルの『夜と霧』をやっていました。昨年8月に放送したシリーズということなので、再放送のようです。【送料無料】夜と霧新版 [ ヴィクトル・エミール・フランクル ]価格:1,575円(税込、送料込) 第1回は『絶望の中で見つけた希望』で、ナチスの強制収容所の中で「クリスマスには解放される」といううわさが流れ、多くの人がクリスマスまで希望をもって生きていたが、実際は解放されなかったために、逆に多くの人がクリスマス直後に亡くなっていった、ということです。 伊集院光が「希望を持つことは諸刃の剣だ」といっていましたが、実は希望を持つということには、二種類あるのです。 伊集院光も含め、多くの人が想定するのは、現状を否定し、受け入れられないために、未来に受け入れられる状況が来るという希望をもつというものです。この場合、クリスマスの解放という例のように来るはずの希望する状況が来なかったときに、希望が大きければ大きいほど、反動として逆に大きな失望がやってきます。 しかし、フランクルは、「それでも人生にイエスと言う」と言っているように、自分の人生に訪れるどんな状況にもイエスと言うことを前提にしているのです。【送料無料】それでも人生にイエスと言う [ ヴィクトル・エミール・フランクル ]価格:1,785円(税込、送料込) つまり、自分に訪れた状況を否定せずにあるがままを受け容れること、その上で何をどんな態度を選ぶかという態度価値を実践するということです。 この場合、選んだ希望は現状を否定するから生まれたものではなく、現状は否定しないが、選びたくないから別のものを選びたいという希望なので、反動が来ないのです。 プラスとマイナスでいえば、前者は、現状のマイナスに対して、プラスを望んでいる状況であり、後者は、現状を受け容れることで、一旦ゼロにしてプラスを望む状況なのです。 態度価値とは、その運命を受け容れた上で、自由に選び取る態度なのです。『夜と霧』の中にあるように、過酷な労働と食事も満足に無いという極限の状態の中で、人の態度がまるで悪魔と天使のような二つに分かれて、とても人間とは思えないような仕打ちをする人がいる一方で、他人にやさしい言葉をかけたり、わずかなパンを与えたりするやさしさを失わない人がいました。 その違いは今ここのあるがままを受け容れるかどうかにかかっているのです。 このことがフランクルを理解するうえで大切なことなのです。 ■今回のブログはいかがでした?(^-^) 『まあ、いいんじゃない(^^)』と思われたら、 ランキングボタン↓を押してね(^^)♪