なぜコントロールしてしまうか?
心のトラブル、そしてそれが物質世界に表現されたトラブル、これらはすべて恐れとその恐れから逃れるためにしてしまっているコントロールドラマが原因となっています。 恐れとは、『基準以下ではダメだ』という思いから生じます。多くの人は、なかなかこの視点は持てないと思います。 この視点を持つと人生がシンプルになっていきます。 この『基準以下ではダメだ』という思いがあるから、競うことになり、争いが起こるのです。 もう少し詳しく説明すると、この基準を絶対視したときに恐れの感情に支配されることになります。 基準を相対的なものだと正しく見ていれば、恐れに支配されることはありません。 なぜなら、基準を生じさせている目的を見直せば、恐れはあっという間に消えてしまうからです。 たとえば、この間のトリノ冬季オリンピックで、荒川静香選手は、『メダルを期待されていなかったから、この(ハレの)場を楽しもうと思った』というような意味のことを言っていました。 もし、メダルをとることを目的としていたら、『失敗したらどうしよう』などという恐れから緊張しすぎて、実力を出し切れなかったかもしれません。 よく、「開き直る」という言葉がありますが、このような『失敗したらどうしよう』などという恐れから解放されるために、『私は私だ、できることしかできない、今はメダルのことは忘れて自分にできる精一杯のことをするだけだ』というように思い直すことが、実は目的を変えることになっているのです。 このとき、「メダルをとる」ということが、自分の思いだから、自分だけで変更できるのです。オウム真理教の信者が、おかしいと思いつつ、サリンをまいてしまったのは、「サリンをまく」ということが、自分の思いではなかったからです。 コントロールドラマは恐れから生じ、その恐れは、他者の価値観を生きていることから生じているのです。 「自分を生きる」 このことをみんなができるようになると醜い争いはなくなります。 ■今回のブログはいかがでした?(^-^) 今日はとても深いお話をしてみました。よかったと思われたらぜひ ランキングボタン↓を押してね(^^)♪