もみぢの万葉歌
本日は雨。 雨障み(雨つつみ)とは、男が女の許へ行けぬ口実に使う常套句らしいですが、銀輪散歩にとっては、口実ではなく雨は実際の障りにて候。 と言うことで、もみぢ散歩の付録にと、万葉集から「もみち」(名詞)「もみつ」(動詞)という言葉が出て来る歌を拾い出してみました。掲載文字数制限の関係で第1巻から第10巻の途中までの歌(但し、短歌に限りました。)30首です。(もみち葉)秋山の もみちを茂み 迷(まど)ひぬる 妹を求めむ 山道(やまぢ)知らずも (柿本人麻呂 万葉集巻2-208)もみち葉の ちりぬるなへに 玉づさの 使(つかひ)を見れば あひし日思ほゆ (柿本人麻呂 同巻2-209)秋山の もみちあはれと うらぶれて 入りにし妹は 待てど来まさず (同巻7-1409)今朝(けさ)の朝け 雁が音(ね)聞きつ 春日山 もみちにけらし わが情(こころ)痛し (穂積皇子 同巻8-1513)秋山に もみつ木(こ)の葉の うつりなば 更にや秋を 見まく欲(ほ)りせむ (山部王 同巻8-1516)味酒(うまさけ) 三輪の祝(はふり)が 山照らす 秋のもみちの 散らまく惜しも (長屋王 同巻8-1517)暮(よひ)にあひて 朝(あした)面(おも)無(な)み 隠野(なばりの)の 萩は散りにき もみち早(はや)続(つ)げ (縁達師(えにたちし) 同巻8-1536)時待ちて 降りし時雨(しぐれ)の 雨やみぬ 明けむ朝(あした)か 山のもみちむ (市原王 同巻8-1551)皇(おほきみ)の 三笠の山の もみち葉は 今日の時雨に 散りか過ぎなむ (大伴家持 同巻8-1554)春日野に 時雨降る見ゆ 明日よりは もみちかざさむ 高円の山 (藤原八束 同巻8-1571)雲の上に 鳴きつる雁の 寒きなへ 萩の下葉は もみちせるかも (高橋安麻呂 同巻8-1575)手(た)折らずて 散りなば惜しと わが思(も)ひし 秋のもみちを かざしつるかも (橘奈良麻呂 同巻8-1581)めづらしき 人に見せむと もみち葉を 手(た)折りぞわが来(こ)し 雨のふらくに (同上 同巻8-1582)もみち葉を 散らす時雨に ぬれて来て 君がもみちを かざしつるかも (久米女王 同巻8-1583)めづらしと わが思(も)ふ君は 秋山の 初黄葉(はつもみぢば)に 似てこそありけれ (長忌寸の娘 同巻8-1584)奈良山の 峯のもみち葉 取れば散る 時雨の雨し 間無く降るらし (犬養吉男 同巻8-1585)もみち葉を 散らまく惜しみ 手(た)折り来て 今夜(こよひ)かざしつ 何か思はむ (県犬養持男 同巻8-1586)あしひきの 山のもみち葉 今夜(こよひ)もか 浮(うか)び去(ゆ)くらむ 山川の瀬に (大伴書持 同巻8-1587)奈良山を にほはすもみち 手折り来て 今夜かざしつ 散らば散るとも (三手代人名 同巻8-1588)露霜に あへるもみちを 手折り来て 妹とかざしつ 後(のち)は散るとも (秦許遍麻呂 同巻8-1589)十月(かむなづき) 時雨に逢へる もみち葉の 吹かば散りなむ 風のまにまに (大伴池主 同巻8-1590)もみち葉の 過ぎまく惜しみ 思ふどち 遊ぶ今夜は 明けずもあらぬか (大伴家持 同巻8-1591)秋されば 春日の山の もみち見る 寧楽(なら)の京師(みやこ)の 荒るらく惜しも (大原今城 同巻8-1604)わが屋前(には)の 萩の下葉は 秋風も いまだ吹かねば かくぞもみてる (大伴家持 同巻8-1628)背の山に もみち常(つね)敷(し)く 神岳(かみをか)の 山のもみちは 今日か散るらむ (長意吉麻呂 同巻9-1676)雲隠(がく)り 雁鳴く時に 秋山の もみち片待つ 時は過ぎねど (柿本人麻呂 同巻9-1703)筑波嶺(ね)の 裾廻(すそみ)の田井に 秋田刈る 妹がりやらむ もみち手折らな (高橋虫麻呂 同巻9-1758)もみち葉の 過ぎにし子らと たづさはり 遊びし磯を 見れば悲しも (柿本人麻呂 同巻9-1796)雁がねは 今は来(き)鳴きぬ わが待ちし もみち早(はや)継(つ)げ 待たば苦しも (柿本人麻呂歌集 同巻10-2183)秋山を ゆめ人懸(か)くな 忘れにし そのもみち葉の 思ほゆらくに (柿本人麻呂歌集 同巻10-2184)