梅の花いま盛りなり
昨日(8日)は、年来の友人・野〇氏との会食。まあ、彼とは今年になって初めて一緒に飲み食いするのであれば、遅ればせながらの二人だけの新年会という訳であります。 彼と知り合ったのは小生が26歳の頃である。小生は現在「1298歳」であるから、彼との付き合いは実に「1272年」もの長きにわたることとなる(笑)。彼は小生より2歳年長である。数日後には彼は誕生日を迎えるので1300歳になる計算。若くして独立起業。小さな会社の社長となって事業を展開、少しずつ事業を大きくして来られたが、昨年引退されて今はフリー。最近の10年間に限れば、年に1~2回顔を合わせる位のことであるが、今も親友の一人であることに変わりはない。 そんな彼から久々に電話があり、一緒にメシでも食わないかというお誘い。で、難波まで出掛けたと言う次第。食事のことはさて置き、彼の馴染みのスナックでは、小生の勤務していた会社で営業をやっていた山〇君と偶然に顔を合わせるなどの愉快もありました。同君も今は定年退職し、或る別の会社の顧問をやっているとかで、変わらず生き生きとされていたのは更にも愉快なことでありました。(高島屋・南海電鉄難波駅) この駅ビルの一画で野〇氏と待ち合わせました。(難波界隈) 山〇君と遭遇したスナックはこの通りから路地を少し入った処にありました。 このスナックの常連客で、小生は勿論初対面であるが、野〇氏とは親しい知り合いでもあるというY女史とも近い席となり、自然と話が進みました。ママさんバレーでアタッカーをやっているという、なかなか男前と言うか、サッパリしたと言うか、嫌みの無い自然体な女性。その流れで、スナックを出てもう一軒別のバーで暫く3人で過ごした後、9時過ぎに野〇氏・Y女史と別れて家路につきました。 話は前後しますが、6日は墓参でありました。 いつものお寺の門前の言葉は、今日はこれ。(門前の言葉) 本当に 自分を知るには やはり 人という鏡が なくてはならない ーー高光大船 まあ、そうでしょうね。「やさしい」「気が短い」「辛抱強い」「飽きっぽい」「明るい・暗い」「潔い」など、人の性格や人格を表現する言葉は無数にあるけれど、そのすべては他の人一般に比べての評価に基づいて形容されるものであるのだから当然です。花の色だってそうです。色が赤だけなら、赤い花は自分を赤だと意識することもないでしょう。白い花、青い花など色々な花があってこそ、自身が赤だと気付くこととなる。しかし、大事なのはそこではなく、花は赤でなくてはならない、などと傲慢自尊にもならず、赤であってはいけない、などと卑下したりもしない、ということであるのでしょうな(笑)。(センダン・楝) 墓参の後は、山添いの野道を辿り、枚岡梅林まで散策。 山際にはセンダンが実を鈴なりにつけて、花も少ないこの季節、ひと際目立って屹立しているのでありました。この時期のセンダンの木は小生の最も好む景色の一つでもある。(同上) 枚岡梅林は既にかなりの梅が花を咲かせて馥郁たる香を放っているのでありました。勿論まだ蕾の固い木も多く、花の盛りは、もう少し先のようですが。(枚岡梅林の梅) (同上) 梅の花には蛾の幼虫も居たりしましたが、なかなか風流な毛虫のようです。白梅の花の上では天敵の小鳥などにも狙われやすくなるだろうに、花の香に誘われて、身の危険も顧みず「観梅」にお出ましとは。梅の花 今盛りなり 百鳥の 嘴(はし)おそろしけど われは来にける (毛虫花人)(本歌)梅の花 いまさかりなり 百鳥の 声の恋(こほ)しき 春来たるらし (田氏肥人 万葉集巻5-834)(同上・緋梅) 白梅は気品があって見飽きない。一方、紅梅は艶やかで可愛らしくもあり、目を惹く。しかし、長く見ているとその色の所為で見飽きて来るという面もなきにしもあらず、である。(同上・月影) この白梅は「月影」という品種。 梅と月と来れば、この歌が思い浮かぶ。闇夜(やみ)ならば うべも来まさじ 梅の花 咲ける月夜(つくよ)に 出でまさじとや (紀女郎 万葉集巻8ー1452)<闇夜なら来ないの分かるけど、梅の花が咲いている月夜になんで来ないのよ。> この歌は紀女郎(万葉集では「名を小鹿といへり」とある。)が大伴家持に贈った歌である。彼女は多分、家持より5~6歳年長。家持は20歳になるかならないかの若者。夫の安貴王と別れた彼女は戯れの恋とて若き貴公子の家持さんをからかって楽しんでいたのかも知れない。この歌に家持さんはどんな返歌を贈ったものか、贈らなかったのか、万葉集は何も伝えていない。 (同上) もう一つ思い浮かぶ歌はこれ。雪の上に 照れる月夜に 梅の花 折りて贈らむ 愛(は)しき兒もがも (大伴家持 万葉集巻18ー4134)<降り積もった雪を照らして月が輝いている夜。こんな夜には梅の花を手折って贈る愛すべき人が欲しい。> この歌は、雪月花を詠んだ我が国で最初の歌とされていて、夙に有名であるが、日本人の美意識の原点はこの歌にあると言ってもいいのではないだろうか(笑)。 月光に照らされた雪と白梅の花。その美しさを目にして家持は恋人に梅の花を贈りたいという衝動に駆られた。もっとも、この歌は宴席での歌と題詞にあるから、その時のリアルな感情ではないであろうが、彼がそのような衝動体験をしたことがあったから、このような宴席での歌も生まれたのであろう。 この歌がいつの作であるかについては、万葉集には12月の作とあるだけで何年の12月なのかは記載がない。ただ、前後の歌の年代からは一応天平勝宝元年(749年)12月と推定されるから、家持32歳の時の歌ということになる。家持が越中守であった時期である。