魔法の丘――『吟遊詩人トーマス』ほか
「エイルドンEiledonの丘」は、昔のイングランド-スコットランドの国境地帯にあります。私の“行ってみたい土地”リストを作ったとしたら、多分No.1でしょう。 私が初めてこの丘に出会った?のは、サトクリフの古代英国史小説『第九軍団のワシ』でした。イングランドがローマ領だった頃、その辺りは最果ての属州で、トリノモンティウム(三つの丘の土地)という砦がありました。主人公たちが、うち捨てられ廃墟となった砦で野宿していると、荒涼として亡霊の出そうな静けさの中、ふいにどこからかローマ兵の歌が口笛で流れてくる・・・ そんな雰囲気を記憶していたら、数年後ウォルター・スコットの叙事詩「最後の吟遊詩人の歌」The Lay of the Last Minstrel の一節に、大魔術師マイケル・スコットがその魔力で「エイルドンの丘を三つに裂き」というくだりがあるのに出くわしました。 実際、スコットはエイルドンの丘の見える家に住んでいたことがあったそうです。 さらに、素敵なエイルドンに遭遇したのは、ビッグ・カントリーという80年代英国ロック・バンドの歌でした。ケルト風のメロディーを使ったり、ギターでバグパイプの音色を真似るなど、私の趣味にぴったりのバンドでしたが、3rdアルバム「The Seer」(予言者、千里眼)の中に、ゆったりとしたバラード調べの「Eiledon」という一曲があったのです; Eiledon, I will be there / Eiledon, my dream is there 彼らの歌を聴くと、発音は「エィーリドン」のように聞こえます。 さて、この丘で妖精の女王に会い、彼女にキスをして妖精の国の楽師になったというのが、「正直者」トーマスの伝説です。彼が7年間、妖精の女王に仕え、嘘をつけなくなったのでそう呼ばれるのだとか。7年後人間界に戻ってきたトーマスは予言者としても有名になり、年老いてまた妖精の国に行ってしまったといいます。 妖精の美女に連れられて異界に行ってしまう男の話は、浦島太郎からアイルランドのオシアンまで、いくつか似た伝説があるようですが、帰ってきてからも大活躍をするのはトーマスだけではないでしょうか。そう考えると、妖精界と人間界と両方で成功をおさめたトーマスって、すごいですね。 その魅力的なトーマス伝説を小説化した『吟遊詩人トーマス』では、井辻朱美がEiledenを「イールドン」と訳しています。幻想文学大賞受賞作だそうです。 ところが、読んでみると、魔法の雰囲気に満ちていて、味のある登場人物が出てき、語り口もなめらかなのに、いま一歩物足りないようなお話でした。 スコットランドの自然や風物、人々の生活はていねいに描かれているし、妖精世界の描き方も不可思議で美しく、また残酷で興味深い。だのに、肝心のトーマスに期待したほどの魅力が感じられないのです。 美形で腕もよく、モテモテの吟遊詩人であるトーマスは、普通の人間くさいところもあって、イールドンの百姓娘とごく普通の恋もしました。それなのに、妖精女王と一緒に行ってしまうのは、なぜなのか・・・そのあたりをもっと突っこんで書いてくれれば・・・と思います。 神隠しにあったトーマスを親身になって心配する老夫婦や、百姓娘エスペルスが、人間として親しみ深く描かれているのに対し、トーマス自身は結局どんな人物なのかつかみどころがないままなのです。人間も妖精も、トーマスのどこにそんなに惚れこんだのか? というあたりが、最後まで読んでもよく分かりませんでした。 ただ、訳者井辻朱美の解説を読むと、はっきりとした人物像をあえて描ききらずに、わざとぼやかしてあるのだとのことです。それこそが、トーマス伝説の神秘さ、不思議さをあらわしているのだと・・・ それはともかく、「イールドンの丘」の描写は素敵です。ますます行ってみたくなります; そこ〔=イールドンの峰〕からなら、世界が宝石ずくめの地図のように眼下に広がっているのが見え、きこえるのは風がエニシダの茂みを鳴らす音ばかりだという。 ――エレン・カシュナー『吟遊詩人トーマス』井辻朱美訳 これは、『ウォーターシップダウンのうさぎたち』で、やっと丘の頂上に着いたうさぎたちが、「来て、見てごらんよ! 世界中が見える」と感動するくだりを思い出させました。 ファンタジーの本質の一つに、現実世界から離れた視点から現実世界を見つめ直すということがあります。妖精女王の鈴の音は聞けずとも、下界を見はらせる丘の上は、ファンタジーにぴったりの聖域なのだと思います。