実感として光ある年へ
大晦日は例年穏やかな気候の日が多いように思う。 今年は、年はじめの大雪とあの大きな地震、被災地を見ずに盛岡市で過ごした2週間、暑い夏、久しぶりの背骨(椎間板)とその3日後に1時間の野外ライブ敢行、そして初めてのブラスセッションによる初めての老人ホームでのライブ、例年にない雪の多い12月、といったところだった。 この1年間は、何よりまして、人と比べる空虚な相対的幸福や、坂を転げるようにとめどを知らない物を持ち続ける欲求や、スケジュール帳がいっぱいだと落ち着く症候群や、でかい車でかいテレビへの矮小な自分の反語としての所有欲やらが、憑き物が落ちたように、体から抜け落ちたことが大きい。 目に見えて、手に触れて、そのものの成り立ちが多少なりともわかるものを持ち、実感としてのさいわいを得て、暗くも卑屈にもならず、穏やかに、光の中を進んでいこう。 周囲を気にする目を正面少し上に向ければ、どんよりとした雲間から、明るい光が差し込んでくるのがみえるはずだ。前を向いて、そこを目指して歩いていけばよい。