わかる喜びとほめること:楽しい勉強への一私見(その2)
一昨日に書いた「新しい知識を取り入れるのにどん欲で、その事に喜びを感じるのが、こども本来の姿だ。」と言うことを言い換えれば、こども達は「わかる」「できる」ことに素直に喜びを感じると言うことになる。 このことから、この「わかる・できる」喜びを持続させることが、「楽しい勉強」を維持させるための教え手の気構え・心得の新たなあり方として導き出される。 では、この「わかる・できる」喜びを持続させる上で大事な点は何だろうか。まず第一に、「わかる・できる」と言うことを当たり前のことにしないことだ。「わかる・できる」と言うことは素晴らしい、大げさに言うと極めて神秘的な尊いものであることを絶えずこども達に伝えることだ。 算数に例をとると、「1+1=2ができて当然だ。」と言うような態度や言葉かけが教え手側に見られる時がある。それは、すでに「1+1=2」を理解し得た方の考えで、自分が如何に苦労してその事が理解し得たかを忘れてしまった方の考えだと思っています。 この日記でも、こども(おとなも)が数(すう)というものを理解する上での難しさについては縷々触れてきた。数自体の理解が難しいのに、その演算となれば数段違った難しさが横たわっている。 例えば、足し算とかけ算の関係を理解していれば、九九は少々面倒だが、覚えなくても自ら導き出せる。九九ができない高校生がいるという話あるが、その中に七の段の九九をよく間違うが、七の段の入らない数ケタのかけ算はできるということがある。このことは、かけ算という演算が十分理解しきていない現れだと思う。 この様に、算数・数学は易しいようで難しい学問(勉強)、正確には深く理解することがはなはだ難解な学問なのだ。算数も然り、どの子もみんな苦労して学んでいるのだ。そうした苦労に報いるような対応の仕方が望まれるのだ。 「できない?」と言われている子ほど苦労して勉強している。その子にとって「できる」と言うことはどれ程すごいのか分かってやる思いやりが大切だと思う。その思いやりの最高の形が、ほめてやるという簡単な対応だ。 おそらく「できたこと」「わかったこと」にこども自身もすでに喜びをかんじているはずだ。「よく頑張ったな!」「すごいな!できたの!」「よくわかったな!」などと、声をかけてあげれば、その喜びは幾倍も大きくなるはずだ。 そうした喜びは、新たな苦労への大きな支えとなる。また、喜びに満ちたこども達の笑顔は教え手の喜びとなって返ってくる。こんな関係は、おそらくいろんなところで見られるだろうが、教師と生徒の間で、保育士と園児の間で、親と子の間でもっともっと拡がっていくことを願ってやまない。子育てに関するエッセイは、次のページでいろいろ掲載しています。遊邑エッセイ-------私的ウィルス情報------W32.Netsky.B 本日0通 通算1通(今月)W32.Netsky.D 本日6通 通算70通(今月)W32.Netsky.K 本日0通 通算8通(今月)W32.Netsky.P 本日4通 通算49通(今月)W32.Netsky.Q 本日9通 通算139通(今月)W32.Klez.H 本日0通 通算1通(今月)(送られてきたウィルスメールは今月合計268通)ちなみに、アンチウィルスソフトは、このシリーズを使っています。