『ヘキサゴン』と日本の教育事情/3:思いつき教育論(1)
「クイズ!ヘキサゴン」で、「単位の変換」とともに気になるのが、「アナウンスクイズ」での「漢字の読み」だ。携帯電話やパソコンなどによる日本語変換がごく普通の生活となった昨今、私も直ぐには書けなくなった漢字は少なくない。それでもまだ漢字の読みの方は、少しぐらいは難読漢字も読むことができる。 また、携帯メールやパソコンメールは若者層だけでなく、こどもたちから高齢者まで浸透し、日常生活において文章を書く(打つ)機会は増えているようにも思われる。だから、書く方は変換で苦手になるかも知れないが、読む方は昔より機会が増えている分、得意にはならなくとも苦手になるのはどうしてだろうか。 この事を冷静に考えてみると、「漢字の読み」を間違える言葉の多くが、日常生活で使う言葉ではなく、どちらかと言えば、主に書籍などでお目にかかる非日常的な言葉だ。携帯メールやパソコンメールで使用される言葉は、日常生活でよく使われる言葉、もう少し突っ込んで言えば「書き言葉」ではなく「話し言葉」が主流となっている。 今、「活字離れ」と言われるが、確かに生活の中でテレビ・ビデオ・インターネットなど、文字情報より画像・映像情報に依拠する度合いが増えてきている。当然、小説・エッセイなどの主として文字に頼るような書物を読む機会は相対的に減らざるを得ない。しかし、一方で電子メール文化は漢字を含めた文字に接する新たな機会を作っている。 だから、「活字離れ」の実体は、前記の日常生活における「書き言葉」の減少から考えると、「書き言葉離れ」と呼べる状況になっていると考えられる。そして、そのメールに書かれた(打たれた)文章からは、絵文字やデコ文字が幅をきかせ、漢字のみでなく文字そのものも、その生息範囲を狭めつつある。 「漢字の書き」だけでなく「漢字の読み」さえ苦手になりつつある若者やこどもたちのことを考えれば、そろそろ国語教育のあり方を抜本的に見直しをしていかなければならないだろう。 世界的に見ても、表意的な性質を兼ね備えた文字を現在まで保ち続けている文化は珍しい。そんな文字である漢字を捨て去るのもひとつの方向だが、私はこの漢字文化は、それがユニークであるが故、おそらくそのユニークさに見合って、漢字文化独特の発想が生まれ、ユニークな発明・発見につながってきたと思っている。国語教育、とりわけ漢字教育のより良い発展を心から願っている。エッセイは、次のページでいろいろ掲載しています。遊邑エッセイ