おいらが見たW杯・日本代表
えー、まず、多方面から色々とご心配を頂いておりましたので、この場をお借りして御礼とお詫びを。この度、あたくし、左足を骨折しましてw。まあ、骨折と言っても、2カ所?(1.5カ所的な?)剥離骨折と言うことで、大したこたぁ、ありません。30年近くぶりに松葉杖なんつーもんも使用しましたが、大したこたぁありません。すんげえ痛い・・痛かったんですが、大したこたぁありません。かすり傷みたいなもんです。何が痛いって、心が・・・(んなこたぁない)。そうじゃなくて、仕事の滞りが超痛いってなもんです。打ち合わせに行けない。施工現場行っても役立たない。これが「痛い」幸い上半身は無駄に元気なのでPC作業には支障なかったのが幸いなのですが、それでも痛みやら疲れで、どうにも集中出来ずにデザインが浮かんで来ない現象には悩まされっぱなしの2週間でした。ただ、もう、大丈夫ですんで、ホンマにメール下さった方々には感謝の気持ちで一杯です。怪我した当初、お返事出来なかった方には、本当に失礼しました。この場をお借りして、改めて御礼申し上げます。しかし、アレですな、学生の頃、サッカーなんかで骨折した時に、松葉杖なんて当たり前に使ってて、走るより速いんじゃねーか?ぐらい、バリバリ動いてたんですが、四十も中盤になって使ってみたら、これがエラい重労働でしてね。「おっさん化」を痛感した次第であります。脇やら胸が痛いわ、杖握る両手の平が筋肉痛になるわ、あり得ん事ばかりが起きる訳です。廻りでは、「大胸筋が鍛えられて巨乳になんじゃねーの?」的な、下衆なおっさん会話が繰り広げられていたのですが、笑い事じゃありません。どんだけ衰えてりゃあ気が済むんだ?位、衰えております。衰えているのは、髪だけだと思っていたアタシに、新たな現実の宣戦布告です。で、そんなこたぁ、どーでも良くてですね、今日は音楽を離れて、タイトルにも書きました「おいらが見たW杯・日本代表」でございます。残念ながら、我らが日本代表は、決勝リーグ一回戦で涙の敗退だった訳ですが、ここをご覧になっている皆さんも、悲しいだけの涙では無く、何となく前向きな爽やかな敗戦に感じられたのでは無いでしょうか?大方の予想を覆した素晴らしいチームでしたね。チーム全員にMVPを差し上げたいくらいです。ここでちょっと脱線ですが、おいらの「勝手にW杯史」w。おいらが、初めてサッカーワールドカップと言うものを認識・意識したのが、1978年だから・・・えー、今から32年前の大会です。決勝戦のアルゼンチン-オランダ戦が非常に印象に残っております。と言っても、確か早朝の放送で登校前の30分程度しか見られなかった記憶があるのですが、アルゼンチンのマリオ・ケンペスというストライカーに魅了されたのがおいらのW杯観戦のスタートです。まだ、マラドーナが出て来る前のスーパースターだったのですが、長身、そして長髪をなびかせてゴールに突進する様には、当時本当に驚かされました。そしてそれ以上に驚かされたのは、紙吹雪が舞う汚ないフィールドや、7万人以上と言う大観衆でした。「どんだけ盛り上がっとるんや?」と。当時の日本は、社会人リーグしかなく、枯れた茶色いフィールドで観客もまばらで寂しい~印象しかなく、プロ野球しか盛り上がるスポーツは無い状況でしたよね。そんな日本とのギャップを感じつつの82年スペイン大会。サンチャゴ・ベルナベウやカンプ・ノウと言った9万人クラスのスタジアムの熱狂に、またまた日本との格差を感じw、ブラジルのジーコ、ファルカン、ソクラテス、セレーゾの黄金の中盤に度肝を抜かれ、西ドイツのシューマッハー、イタリアのゾフと行った名ゴールキーパーの前にひれ伏したのであります(笑)。もう、日本とは、別次元の「サッカー」が展開されていた訳です。こんな事やってたら長くなるので、もう割愛してですね、86年のメキシコは、言わずと知れたマラドーナの大会。90年のイタリア大会は、バッジオやスキラッチと言ったイタリアのスーパースターが活躍しつつも、鉄壁のディフェンスと全員攻撃の西ドイツの優勝。94年のアメリカ大会では、今回の駒野選手どころの騒ぎでは無い、ブラジル-イタリアによる決勝戦でのPK戦で、まさかのバッジオがミス。バッジオのうつむく後ろ姿とドゥンガがジュール・リメを高々と突き上げた姿の対比が印象に残ります。そして98年のフランス大会で夢の日本代表出場。華麗だったジダンのスーパープレー。と、おいらは何を一生懸命書いてるんでしょ?つーか、おいら的には、こんだけ遠い存在で、あまりにも凄過ぎたサッカーW杯に日本が参加していると言うだけで、正直満足なのですと言いたい訳ですw。出られただけでも満足だった日本が、初参加してから4回目の今大会。(やっと本題だ)何よりも、今回の日本代表に一番感じたのは、「日本のスタイル」が見えたこと。過去3回は、中田や中村を中心にした中盤のスターというのが数多く存在して、それなりに期待感もあった訳ですが、攻撃陣と中盤、中盤とディフェンス陣の間が空くことが多く、そのスペースを突かれてゲームを支配されることが多かったと思います(大雑把ですが)。攻撃なのか、守りなのか、どうにも中途半端な感じが否めなかったんですね。ところが、今回は(攻撃陣は置いといて)、中盤とディフェンスの連携と言うのが非常に良かったと思います。必ず、ボールを複数以上で取りに行くと言うのが徹底されてましたね。加えて、極端な表現で言うと1トップ10バックと言っても良いフォーメーションが見事に機能したと。(選手にとっては、かなり体力的に苦しかったでしょうが。)ひたすら守って、チャンスとなると本田、松井、大久保、遠藤、長谷部の5人が中心で攻撃する。で、また攻撃されたら1トップ10バックと。これを頑張って繰り返していたことが日本のパフォーマンスを上げていった様に感じます。とにかく失点しないことで、様々な可能性と期待感を呼び起こした感があります。98年フランス大会 4失点02年日韓大会 3失点(グループリーグでは2失点)06年ドイツ大会 7失点10年アフリカ大会 2失点自国開催は、ちょっと除外するとしても、失点が少ないことが明白ですし、失点の内容も、川嶋選手の惜しい弾かれ方と、長谷部選手の微妙なファールによるPKです。圧倒的な流れや完璧に突き崩された力負けによる失点ではなかったと言う事。それが、今回の大会を楽しむことが出来た一番の要因でもある訳です。本当に良く守ってましたし、選手が一丸となっている様を見て感動させてもらいました。が、しかし、守るだけでは勝てないと言う「当り前の現実」を突きつけられたのも事実です。パラグアイ戦では120分間負けなかった。でも、勝てなかった。駒野選手がPKを外したことなど、何の問題でも無いのです。本戦中に得点がなかったと言う厳しい現実。得点する・・・日本に一番足りないもの。これは、まだまだ時間がかかるでしょう。と言うか、どんな強豪国でも負けた時は、得点力不足と非難されますから、サッカーにとって得点力不足なんて無限ループです。どんな国でも永遠の課題です。ただ、「負けにくいサッカー」が出来る様になった今回の日本チームは、一つ階段を上がったと言えるのでは無いでしょうか?「日本チームからは得点しにくい」と言う印象を与え続ける事で、相手が無理をする時間帯が増えれば、日本もその隙を突けることが多くなると思います。まず日本の第一段階が見えた今大会は、非常に意味のある、価値ある一歩を踏み出した大会だったと思います。80年間19回の歴史を誇る大会です。そうそう簡単では無いでしょう。でも、日本のスタイルを自信を持って貫き続けることで、いつの日か決勝戦の舞台に日本が立つ日が来るかも知れません。そして相手のゴールネットを豪快に揺さぶってくれる選手が、出てくれるのかも知れません。遠いあの日に見た、マリオ・ケンペスの様に・・・。