地域でも安易な経済合理性が優先されている
肉のマジシャンも耐震偽装も「金」が動機だろうとされています。 お金というのはあればもっと欲しくなるもので、「美酒」も飲み過ぎればのどが渇き、水分を求め、連日の美酒は依存症へとなることもあります。 民間企業がお金を稼ぐのは決して悪いことではありません。 その活動の中での「創意工夫」は社会に還元されていきます。 先日も知人がマヨネーズの価格が上がることを例に挙げ、「ガソリンもマヨネーズも何でも上がって大変」 とこぼしていたので、「でもね。バブル崩壊直後から考えて、物価は異常に安くなって 少なくともあの頃よりは生活しやすくなっているんだよ」 というと不満なようで唇を尖らせます。そこで、「吉野家もマクドナルドも当時より安いし、 安い衣料品の代名詞だったイトーヨーカドーより安くて それなりの商品がユニクロで売られているよね」 イトーヨーカドーで合点がいったようです。 その昔、日常使いの安い服はイトーヨーカドーの代名詞だったのです。 時代がうろ覚えで申し訳ないのですが、98年冬からのユニクロのフリース旋風で爆発的成長に危機感を覚えた、イトーヨーカドーやイオンが、ユニクロの「フリースをそのままぱくる」 という戦術で社会をあっと言わせて一時的にユニクロを追い詰めました。 しかし、所詮パクリはパクリです。創意工夫のない仕掛けはタコが足を食べるように、既にもっている市場以上への波及はありませんでした。 もうすっかり覚えている人も少なくなりましたが、その昔ユニクロはバッドボーイズやヘインズなどのブランド商品を売っていたのですが、自社生産に切り替え急成長ロードを爆走していきました。 急成長は「中国生産」でした。 悪品の代名詞だった中国で上手くいくはずがないと言われていたものを「創意工夫」で成功させたのです。 もっとも彼国製品の悪名は今もまだ鳴り響いておりますが。 経済至上主義というと昨今批判の声もありますが、それが「市場原理」 に則っていればだいたい丁度よいところに落ち着き、少しはよくなっているものなのです(但し、この場合の良いが一段低いモラルに引きずられる危険性はあるのですが)。 ところが中途半端に「市場介入」がある世界では、最悪の方向に流れていくことも少なくありません。 ミートホープは農水省、耐震偽造は国交省。 巨悪に辿り着くといつも紐付きです。 お上が悪い。とはステレオタイプですが、紐付き市場介入はどこでも起こっており、時に文化を滅ぼしかねないというのが今日の本題です。「日本全国YOSAKOI・ソーラン化現象」 今年の浅草三社祭で「逮捕者」がでたのは全国的なニュースとなったのでご存じの方も多いでしょうが、地域により若干異なるとはいえ、御輿は神様の乗り物で、人間が乗って良いものではありません。 ここ数年注意してきたのですが、いっこうにやめる気配がないので、御輿の担ぎ手から念書をとり、その上で地元警察と協力して「逮捕者」までだしたということです。 数年間の「のらないで」という注意喚起の上ですから、仕方がないかなあと思いつつ、一方で放置してきたことと、担ぎ手の減少から地元以外から「募集」したことのツケではないでしょうか。 氏神様は地域で祭り、氏子が面倒を見るのが「筋」なのですが、担ぎ手がいなければ「盛り上がらない」と、市場介入したことによります。 観光街故の頭の痛いところではあるのですが、文化風習と(本来は信仰ですが)現実的な事情との狭間で負の面が顕在化しているのです。 これは浅草ではなく深川の話ですが、「担ぎ屋があっちこちからやってきて地元出身者が担ぎにくい」 という本末転倒も聞こえてきます。 身体にアートを施した人も沢山いるようで、育った街で自分たちは引っ越してしまったが、旧友や馴染みがいるので、祭りの時ぐらいはと戻っても、「怖くて担げない」 というのです。住み続けているのならともかく、祭りの1日2日でトラブルに遭いたくないと。 そしてとある町内では「氏子(地元民)がマイノリティー」 となっているとも聞いたことがあります。 そして「担ぎ屋」がくるのはメジャー祭りだけですが、本格的な文化崩壊を起こしかねないのが「YOSAKOI・ソーラン」 です。 今週末、地元の西新井大師駅前の商店街でおこなれたとのこと。 私のルーツがYOSAKOIの高知県で子供の頃は鳴子で遊んでいました。夜中にならして父の鉄拳を食らったものです。 そしてソーランはソーラン節を祖とするものですが、今、ソーラン節で「ヤフー検索」すると、株式会社yosanetが提供するYOSAKOIソーラン祭り公式ホームページhttp://www.yosanet.com/yosakoi/ が1位で表示されます。 その次が「南中ソーラン」を踊る大阪の小学校のサイトが表示されます。 南中ソーランとは稚内南中学校が荒れた学校の建て直しにダンスを導入して成功したもので、音楽は地元の北海道の民謡を採用したものです。 これを「金八先生」で取り上げたところ、「不良も荒れたクラスも改善する特効薬」 かのように語られ、パクリがはじまり、全国に波及していきました。子供達のためにと考えた「南中」とは志が違います。 私は決して本家の「YOSAKOI・ソーラン」 を揶揄するものではありません。 高知県のYOSAKOI祭りリスペクトから始まり、「創意工夫」を重ね、今にいたり全国に名前を轟かせていることは実に素晴らしいと賞賛を惜しまないのですが、そこに安易に乗っかる商業主義が文化破壊を引き起こすのではないかと懸念するのです。 西新井大師はいつの頃からか関東の三大師と呼ばれるようになり、あの空海が絡んでいるという由緒正しいお寺です。 小学校の頃「足立の歴史」で習いました。 西新井。高知県とも札幌とも関係ありません。 ニシンも鰹もとれません。 関係者によると「人が集まる」とのこと。 YOSAKOI・ソーランは。 ちなみに足立区には「鹿浜獅子舞」「島根ばやし」といった土着の祭りが今も受け継がれています。 にも関わらず、「YOSAKOI・ソーラン」。 主催者は商店街。 0から作り上げたサッポロの祭りとして作り上げたものを歴史ある寺町商店街が観光客誘致でパクリをかます。 本家はまさしく「ピープルパワー」という市場原理が勝利したのですが、パクリは主催者による市場介入があり、競争にゆがみが生じるのです。 商店街の観光客誘致で歴史の文脈にない「祭り」を開催。 個性を伸ばすはずだったゆとり教育の現場が日本全国「ソーラン化」という地域性の消失。 それは成功例を導入すれば良いという安易な経済合理性に成り立っています。 パクリとリスペクトの根本的に違いはその精神にあります。 祭りは地域に根ざした土着のもの。 京都の祭りを北海道でやるのは無理がありますし、雪祭りは沖縄ではできません。 また、沖縄のエイサーを東京で見ても感動の種類が違います。 経済事件を批判するのは結構ですが、同時に地域でもまた安易な経済合理性が優先されているのです。 ちなみにイトーヨーカドーはその後、パクリ路線から撤退してPBの充実を図り、なかなかお洒落な製品を発売しております。ユニクロとは違う路線で。