新聞小説「研修生(プラクティカンティン)」の謎
新聞小説を読むのはこれで2作目。随分前の「川の光」には主人公の川ネズミの冒険にワクワクして毎日、新聞を開くのが楽しみだった。児童小説のようで読みやすかった。その後も好きな作家のは読み始めても、途中で読み忘れてしまい、それが続いて読まなくなるのが殆ど。この小説を読むきっかけは、新聞を片付けていてたまたま始まって数回目のを試しに読んだこと。ドイツでの生活の話しで興味深くて最初から読み始めて現在まで数回、読み飛ばしもあったが続いている。作家の多和田さん、図書館で一度手に取っているが私には合わないと思って本では読んだことがなかった。では今の新聞小説では何が良かったのか。まず読みやすい文体。海外で働き、そこでの生活が興味深い。主人公に関わる周りの人の様子の説明がとてもわかりやすい。大きな出来事があるわけでもなく、主人公のドイツでの生活を仕事仲間やそれ以外の人と積極的に関わっていく様子が会話も楽しく、読んでいて心地良いのだ。そこで最近気づいたのが、この主人公は同性愛者なのかという疑問。これは思い込みなのだが著者が女性なので小説の「私」は当然女性と思っていた。本人の名前も出てこないのも原因だ。最近、マグダレーナという女性の家にしょっちゅう泊まる。またそれらしき行為を何となくうっすらと表現している文章があって、読んでいて「まさかね」と頭を振り払った思い出が。ようするにそうなってほしくない思いがあった。それがダメ押しなように今日の小説に「どちらかともなく抱擁を始める」と。欧米はハグとか当たり前だからと思ったけどさすがに違う気がする。それでネットで調べたら同じ思いの人がいて「主人公は男性なのかも」という考察に驚いた。それは考えに無かった。それだったら主人公の行いは普通だ。しかし、ずっと女性と思って読んできてそれまでの周りの人とのやりとりも女性ならではと思ったけど。例えばバイク好きの男性にバイクの後ろに乗せてもらうエピソードとか。しかし、初対面のその彼にノコノコ付いていくのは危ないなともその時、思っていた。主人公が男性だったらバイク興味ある同志でついて行ったのかもとなる。違和感のあったエピソードで男性なら納得というのも思い出した。「きょうもマグダレーナの家に泊まれると思ったのに、機嫌の悪い彼女から帰るように言われ、深夜の夜道を一人で帰る」という描写。当時は若い女性(私の勝手な思い込みだが)を深夜一人で帰すなんて酷いと思っていた。女性作家なので当然、主人公も女性とおもっていたけど。これも作者がミスリードをねらったのかな。正直、同性愛の話しは好きじゃない。そうでありませんようにと男性だと思って読み進めてみよう。※その後小説の中で女性だという記述が出てきました。